――本文中には多くの歴史小説家が登場したが、その中で、緻密な取材で大胆な人物像を描く、文豪・司馬遼太郎。一方で、司馬史観などに対する批判もある彼の真の功罪とは?
『燃えよ剣〈上〉』(新潮文庫)
日本でもっとも人気のある歴史小説家ともいえる司馬遼太郎。だが、本文でも述べられてきた通り、ときにその飛躍しすぎた描写が”司馬史観”と語られ、一部の歴史好きだけでなく、本来ならフィクションなどは相手にしない歴史学者からも糾弾されてきた。ただし、こうした批判は、最終的にはイデオロギー的な部分に対してのことが多い。
ところが、ある歴史研究家は、「時代小説を歴史小説として、一段上に昇華させたのが司馬遼太郎であり、ここに彼の功罪がある」と話す。
「初期の作品は、歴史資料にあたる一方で、妖術忍術的なあきらかなるフィクションも描かれており、純粋な読み物としての時代小説を描いていた。ところが、その後、そうした妖術的な部分は徐々に消え、1969年に刊行された『妖怪』【1】以降は、一切なくなります。代わりに、伝記とフィクションを織り交ぜて歴史を追う、歴史小説としての側面が強くなっていった。私は、1965年に発売され、秀作と呼ばれる『国盗り物語』【2】のころから、その創作具合いに拍車がかかってきたと思います。同作は戦国時代、一介の油売りから身を起こし美濃一国を手に入れた斎藤道三編と、その娘婿である織田信長編の2つに分かれています。その中で、歴史的な資料が乏しい道三については、想像で飛躍させて描かれるのは致し方ないことだとしても、『信長公記』をはじめ、数多くの資料が残っている信長についても道三編と同じように、かなり逸脱して描いてしまっている。これが、後に続く日本の歴史小説の、歪んだお手本になってしまったのです」(同)
自らの祖父も司馬に取材を受けており、そこで語られたことがどう創作されていくのかをまざまざと見たと言う同氏。彼がどんな人物かを知る上で一番参考になるのが、司馬の編集担当者だった和田宏が著した『司馬遼太郎という人』【3】だという。
「和田氏は、司馬との思い出を朗らかに描いてますが、ちょっと歴史を知る者なら、彼がどのようにして、創作したかがよくわかります。例えば、『日露戦争を書くにあたって、関連の古本が神保町の古書店から消えた』といった記述があり、どうやら『司馬先生が探していたのは自家本だった』とも。つまり、彼は世の中にほとんど流通しないような自費出版物から引用していた、と読めるわけです。事実、司馬は十数件の訴訟を抱えておりそのいくつかは盗作疑惑に関するもの。ちなみに、それ以外のいくつかは被差別部落に関するものでした。『十一番目の志士』で被差別部落の女性が登場したり、『胡蝶の夢』でえた頭の弾三右衛門が出てきたりしていますが、これも取材も容易にできず、資料もほとんどないところで描いたので無理が生じているのです」
被差別部落に関するものは、差別用語で描かれているものもあり、結果、訴訟に至っているようだ。
司馬の作品は、まるで実際の出来事であったかのような完成度の高さゆえ、デフォルメされた部分さえも史実であるかのように一般読者に受け入れられてしまう。もちろん小説なので、想像の羽を飛躍させて当然だ。まして現代にも続く歴史小説を大いに発展させたという意味では、その功績が後世に残ることは間違いない。ただし、司馬史観などと揶揄されている以上、それについてはじっくり検証されるべきなのかもしれない。
【1】『妖怪(上)』
司馬遼太郎/講談社(2007年)/667円+税
怨霊や生霊、妖怪の類いが実在すると信じられた、室町時代後期の人々と応仁の乱前の混乱を描く。気軽に読める娯楽作であるとされる一方で、賛否両論の批評が巻き起こる。
【2】『国盗り物語(1)』
司馬遼太郎/新潮社(2004年)/750円+税
斎藤道三編・織田信長編の、二編構成からなる歴史小説。1973年に大河ドラマ化された際は、司馬の『新史太閤記』『功名が辻』『尻啖え孫市』『梟の城』などを合わせて脚色された。
【3】『司馬遼太郎という人』
和田宏/文藝春秋(2004年)/720円+税
長年、柴原の担当編集者を務めた著者が描く、回顧録。ユーモラスな一面や、戦争観、仕事観などが淡々と描かれ、司馬遼太郎のイデオロギーがよく分かる一冊。