サイゾーpremium  > 特集  > エンタメ  > 【東映ヤクザ映画】の桁外れな歴史考察
第1特集
【限定ロングver.】破天荒な男たちが炸裂! 東映ヤクザ映画の歴史【1】

『アウトレイジ』はリアルじゃない? 東映ヤクザ映画の桁外れな歴史考察

+お気に入りに追加

──「仁義なき戦い」「極道の妻たち」など、東映が迫力あるヤクザ映画を生み出せた理由は、絵空事だけではないヤクザとの関係があった。その歴史を振り返りながら、暴排条例以後のヤクザ映画を占うと……。

1303_az_06.jpg
『日本映画ポスター集―東映活劇任侠篇』

「全員悪人」のキャッチコピーで、北野武監督が情も義理もない殺伐とした抗争の世界を描いたヤクザ映画、『アウトレイジ』。その続編である、『アウトレイジ ビヨンド』は、動員数110万人、興行収入14億5000万人という記録を叩き出し、第69回ベネチア国際映画祭コンペティション部門の正式上映でも高い評価を受けた。同作の配給はワーナー・ブラザーズとオフィス北野。伝統的なヤクザ映画の枠組みとは外れたところから送り出されている。そもそも“ヤクザ映画といえば東映”といわれるほど、質量共に優れた作品を生み出し続けてきたのは東映だった。『仁義なき戦い』【1】『極道の妻たち』【2】といった不動の人気シリーズ、その下地を作った『網走番外地』【3】、『昭和残侠伝』【4】、『緋牡丹博徒』【5】といった任侠物……。

 名作ヤクザ映画の下地となった作品が作られた60年代半ば当時、同作は学生運動に身を投じる若者にも絶大な支持を受けたという。映画評論家の佐藤忠男氏は次のように解説する。

「あの頃の学生自身も、時代の変革を叫びながら、実は自分たちの闘争が任侠映画のような、時代に逆行する反社会性に基づいていることを、どこかで自覚していたのではないでしょうか」

 権力や社会を怖れない男たちの生きざまに、観客は本気でシビレたのだろうが、ヤクザ映画は、基本的に暴力団を美化して格好良く見せることから成り立っている。『ヤクザも惚れた任侠映画』(宝島SUGOI文庫)の編集などを手がけ、マンガ『クロサギ』の原作者でもある夏原武氏によると、「本職のヤクザの中には、ヤクザになる前からヤクザ映画を見て憧れていたという人も多く、実際にヤクザの事務所にはヤクザ映画のビデオがあり、事務所の留守番をする若い衆に見せているところも多かった」という。だが、現在の暴力団事務所には銃を常備していないことがほとんどで、敵対する組員の襲撃に対して銃で応戦するといった抗争シーンは、現実とかけ離れていると続けている。各所で高い評価を得た『アウトレイジ』についても、夏原氏は「あれは完全にファンタジーの世界。まるで警察もマスコミも存在しないかのような世界だし、現実にあんなに銃を使ったら大騒ぎになりますよ」とそのリアリティには否定的だ。

 一方、かつての東映ヤクザ映画といえば、想像の産物どころか、十二分に実際のヤクザの世界を映画の中に反映させようと、まさに血の滲むような格闘を続けてきた歴史があり、それが絵空事ではない迫力をスクリーンに生み出してきた。実際の抗争を映画化するために本物のヤクザと交渉したり、時にはリアルな絵作りのためにヤクザに協力を仰いだりと、暴力団排除が叫ばれる今では、とても考えられないようなことが起こっていたのだ。三代目山口組田岡一雄組長の半生を実名で描いた『山口組三代目』【5】、稲川会の代紋が登場する『修羅の群れ』【6】など、まさにタブー破りの常習犯であった東映ヤクザ映画の歴史を、ここでは振り返ってみたい。

時代劇から任侠物へ 新興会社・東映のDNA

 東映ヤクザ映画の歴史を語るには、その前段の東映任侠映画、さらにその前に作られていた東映時代劇にまで遡る必要がある。前出の佐藤氏に解説を願おう。

「東映は、東横映画と大泉スタジオという会社が戦後に合併してできた、松竹・大映・東宝といった会社に対して後発の映画会社。東横映画は満州の国策映画会社だった満映(満洲映画協会)の引揚者を大勢受け入れています。組合と会社が対立して東宝争議を起こした東宝などと比べると、東映は人材の性格としては保守派、やや右がかった人が基盤となって成立した映画会社だと言えます」

 ちなみに、その満映の理事長を務めていたのは、大杉栄の殺害でも知られる軍人・甘粕正彦。映画人としては、中国人女優の立場も大切に扱うなど、戦後満映から引き上げて東映に参加した東映社員の間でも評判が良かったという。

「戦後、GHQの指導で時代劇は国家主義的・封建主義的であるとして、製作に制限がかけられました。そのため、かつての時代劇スターたちであった、片岡千恵蔵や市川右太衛門は、大映で主役を張れなくなり、新興映画会社の東映に移籍してきます。東映は片岡千恵蔵にピストルを持たせて探偵物のシリーズを撮ったり、市川右太衛門のために民主的な時代劇として百姓を主人公にした映画を撮ったりしましたが、かつての時代劇スターにとっては、本意ではないところがあったでしょう。しかし51年、対日講和条約が調印されると、時代劇制限が撤廃、時代劇スターが晴れて再び刀を振り回せるようになります。これを機に、東映は52年に『忠臣蔵』を映画化。タイトルはアメリカに遠慮して『赤穂城』とつけましたが、これが大ヒット。これを皮切りに、東映は片岡千恵蔵、市川右太衛門、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)などを主役に時代劇を量産。他社よりも平均年齢が若く、人件費が安い中で、二本立ての時代劇を量産し、またたくまに日本でトップの映画会社へと踊り出ます」(佐藤氏)

 しかし、その時代劇の人気も10年ほどで陰りが出始める。それと代わるように台頭してきたのが、明治以降の侠客の世界を描いた任侠映画だった。

「その皮切り的作品が、鶴田浩二と高倉健が共演した『人生劇場・飛車角』【8】。『人生劇場』は戦前から何度も映画化されてきた、作家・尾崎士郎の自伝的作品ですが、この作品では、あえてヤクザ=侠客の登場人物“飛車角”を中心に据え、任侠物という新ジャンルを築き上げました」 

 ヤクザ者の飛車角に注目し、彼を主役に据えることを渋る原作者を説得したのが、のちに東映のカリスマ社長として鳴らす岡田茂。東映の社長を長年務めた岡田茂には、三代目山口組・田岡一雄組長とのある逸話がある。美空ひばりが若かりし時、当時製作課長をしていた岡田が、ひばりのステージママだった加藤喜美枝、そして田岡組長との間で話し合いの席を持った時のこと。「ひばりを出演者のトップにするように」と言うふたりに、岡田は「それはケースバイケースです。今回、ひばりさんは出演者の最後にクレジットさせてください」と明言し、これに感心した田岡組長は逆にひばりママを諭したというのだ。その岡田は、東映が任侠路線、さらにヤクザ映画へと傾斜していくにつれて、その路線を「不良性感度」と名付け、ことあるごとに「映画には不良性感度がなければダメだ」と公言していた。暴力やエロティシズムを追求し、社会の裏面で、権威を怖れずに生きる男たちの生きざまを描くことが、東映の基本路線となったのである。

 その先鞭をつけたのが、明治から昭和初期を舞台に、侠客といわれる古き時代のヤクザたちを描いた作品群であった。特に60年代半ばにかけては、高倉健による三大ヒットシリーズ『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』が始まり、大ブームとなる。「昭和残侠伝」において、高倉健は着流しの和服姿で、古き時代の侠客を演じるのだが、そもそも、この侠客とは何のことを言うのか、ピンと来ない向きも今は多いであろう。それを理解するには、そもそも日本のヤクザの成り立ちを知る必要があるのだ。佐藤氏が解説する。

「日本の社会において、江戸時代の昔から、土木・建築・運輸・消防などは『組』と称する集団が担っており、そこでは荒くれ男たちが親分と子方の関係を築いていました。そして、組同士で揉め事があると、双方がにらみ合いながらも、親方同士で話をつけるということもありました。組で働く職人は、親方の紹介で各地を歩いて、行く先々の組で挨拶をして働いて腕を磨いていったのです。これらの慣習が、いわゆる『任侠物』のベースになっています」

 明治以降、組の多くは株式会社として、近代社会の枠組みに飲み込まれていくが、その中には、ヤクザとしての性格を強め、現在の暴力団の源流となった組織も現れたのである。

 藤純子(現在は富司純子)演じる女博徒のあでやかさでこちらもブームになった『緋牡丹博徒』シリーズも、かつての日本各地で開かれていた賭場の世界が舞台となっているが、前出の夏原氏によれば、「これらの映画に見られる賭場は、55年に賭博開帳図利罪による事後逮捕ができるようになってから、急速に開かれなくなっていった」という。

実在のモデルとも交渉した実録ヤクザ路線の台頭

 こういった任侠映画から、新たに実録ヤクザ映画の時代へと幕を開けた映画こそが、やはり東映によるヤクザ映画の金字塔『仁義なき戦い』だった。

 同作は「実録」の名の通り、実際に起こったヤクザの抗争を映画化。東映の社長・会長を務めた、高岩淡氏が、当時のいきさつを振り返る。

「仁義なき戦いの主人公・広能昌三のモデルとなった美能幸三の手記に東映が目をつけたのは、まだ飯干晃一による週刊サンケイに連載された原作小説『仁義なき戦い』が形になる前でした。手記を直接映画化したのではさすがに差し障りがあるので、飯干さんの原作を置くことでワンクッション置いた経緯があるのです。モデルの美能さんには、映画化の許可をもらうために、繰り返しお願いに行きました」

美能幸三は、映画にして当事者たちの目に触れると、自分の身が危なくなるのではと恐れて、映画化に絶対反対していた。そこを東映側が懇願するうちに、せめて抗争の当事者の目につく機会を少なくしようと、次第に『広島では公開するな』とか、『テレビでは放映するな』と条件がつき始め、最終的にはそれも押し切る形で映画化が実現することになったのだという。

周知の通り、『仁義なき戦い』は大ヒットを記録。73年のキネマ旬報ベストテン2位、映画芸術ベストテン1位を受賞するなど、単なるヤクザ映画の枠を超えた高い評価を受け、シリーズ化されていったが、それ以外にも東映は、実際のヤクザの抗争史をもとにした実録ヤクザ映画を次々と制作する。『仁義なき戦い』と同じ73年には、三代目山口組・田岡一雄組長の自伝をほとんどの登場人物を実名のまま映画化した『山口組三代目』なる映画まで製作。公開時、この映画の前売り券が山口組に流れていることを問題視した警察から、東映本社や関西支社、プロデューサーの俊藤浩滋宅などが家宅捜索される事態にも発展した。前出の夏原氏は、「実在の組やヤクザをそのままの名前や、明らかに類推できる名前で出す場合は、それなりの筋に話を通すのは基本です。そうしないと、妨害が入ることになりかねませんから。東映の『修羅の群れ』(84)という稲川会の稲川聖城総裁をモデルにした作品など、稲川会の本物の代紋を使っていましたが、それもあの映画は稲川会の全面協力に近い体制だったからできたことです」と語る。

 また、『暴力団』(新潮新書)などの著書で知られる、ノンフィクション作家の溝口敦氏は、民事介入暴力に辣腕を振るった経済ヤクザを扱った自身の作品が映画化された『民暴の帝王』【9】についてこう語る。

「東映のプロデューサーの俊藤浩滋さんが僕のところに来て、一方の組はOKを出しているけど、よく書かれてないと思った相手側が文句を言っているから、クレジットから溝口の名前を外せないか、と言ってきたので、了承したことがありました。もともとの原作を書いた私の名前を見るのは不快だということだったのでしょう」

 前出の高岩淡・東映元会長も、こんなエピソードを披露する。

「鶴田浩二出演の映画で、ある組が潰されるシーンがありましたが、それを見た組員が激怒して撮影所に乗り込んできましてね。私を含めた東映の社員3人でその組の本部に謝りに行ったら、親分衆が40人ほど顔を揃えていて、2時間吊し上げです。それから10日ほどたって、文句を言いに来た組員が警察につかまったのですが、『てっきり東映がばらしたと思ったら、東映は一言も警察に話してないことがわかった』と、逆に感謝されまして、代紋の入った鎧兜をお礼にと持ってきたことがありました」

 ある意味、そこまでしても、火中の栗を拾う豪胆さが、東映ヤクザ映画の迫力を作り上げていたと言えるだろう。

東映ヤクザ映画はなぜ作られなくなったか

 やがて実録ヤクザ路線も影をひそめ、80年代に入ると、東映は『鬼龍院花子の生涯』【10】を皮切りに、女性を中心に据えた文芸ドラマを手がけていくようになる。とはいえ、『鬼龍院~』も、高知の侠客の世界を舞台にしており、東映の「不良性感度」の系譜を受けたものであった。

 その後、86年公開の『極道の妻たち』が大ヒット。岩下志麻演じるヤクザの妻を主人公に据えたこの映画はシリーズ化され、高島礼子に主演が交代したものも含めると、05年までに15作が製作されている。もっとも、女性が組長代行として組織の前面にたつという展開については、本職のヤクザの間では「確かに姐さんの力は大きいものがあるが、あそこまでしゃしゃり出るのは、男の世界のヤクザ社会ではありえない」と、否定的な人も多いようだ。いずれにせよ、女性を主軸に据えるようになったのも、男が実力と胆力を武器にのし上がっていくという姿に美学を感じさせるという、従来通りのヒロイズムがもはや観客に通用しなくなってきたことの証左だとも言える。

 現在、東映ではほとんどヤクザ映画が作られなくなっているが、その理由について、夏原氏はこう分析する。

「バブル経済下の地上げなどで大きな金が動くようになり、ヤクザ社会が大きく変質したところに、92年頃からバブルの崩壊と暴対法の成立が重なり、暴排の流れからヤクザ映画が作りにくい社会状況になっていきました。ヤクザ社会も抗争ではなく経済活動へと変貌し、リアルに描いても面白くなくなったことも関係しているでしょう。この頃には東映も警察や一般社会に遠慮するようになり、たとえ面白おかしくフィクションとして描いても、ヒットしなくなったことも重なった」

 また、溝口氏はヤクザ映画衰退の理由をこう読み解く。

「ヤクザの世界も格差社会になり、上のほうは今でも羽振りがいいものの、末端の組員は日々の生活にも困っているという状況の中、どのクラスのヤクザを扱っても、カタルシスが起こらないだけでなく、世間の同調も得られなくなっているのではないでしょうか」(溝口氏)

 東映ヤクザ映画は、実際のヤクザに取材するだけではなく、時には盃事のシーンに本物のヤクザを登場させたり、本物の代紋を登場させたりと、真剣勝負の迫力を追求してきた。プロデューサーたちも実際のヤクザと掛け合って作品を作り上げており、監督にしても、『鬼龍院~』『極道の妻たち』の五社英雄監督は晩年、実際にホテルに彫物師を呼んで背中に彫り物を入れるなど、型破りな男たちが東映ヤクザ映画を作ってきたのである。また、東映のヤクザ路線を決定づけた岡田茂は、ヤクザ映画路線を生み出すほどの、常識にとらわれない感性の持ち主であった。ひるがえって、現在、東映の社長は岡田茂の息子である岡田裕介が務めているが、若き日に東宝で俳優として活動した経歴もある裕介社長には、父親のような不良性感度には欠ける嫌いは否めない。だが、東映映画のアウトローが、東映アニメーションの作る『ワンピース』の海賊だけというのはいかにも物寂しい。ぜひとも東映には、かつてのような異彩を放つヤクザ映画で、再び我々を酔わせてほしいものである。

(取材・文/里中高志)

1303_893_shita1.jpg

【1】『仁義なき戦い』
監督:深作欣二/出演:菅原文太、松方弘樹ほか/発売:東映(2940円)
実際の抗争をもとに、深作欣二監督が手持ちカメラの映像で鮮烈な暴力の世界を描いた。それまでの任侠映画の様式美を覆し、実録ヤクザ路線を決定づけた。(73年公開)


1303_893_shita2.jpg

【2】『極道の妻たち』
監督:五社英雄/出演:岩下志麻、かたせ梨乃ほか/発売:東映(4980円)
家田荘子のノンフィクションをもとにした映画。岩下志麻とかたせ梨乃の演じる姉妹の葛藤に加え、世良公則演じるヤクザの荒々しい情熱が評判を呼んだ。(86年公開)


1303_893_shita3.jpg

【3】『網走番外地』
監督:石井輝男/出演:高倉健、南原宏治ほか/発売:東映ビデオ(4725円)
網走刑務所に約1年服役した伊藤一原作の実録もの小説の映画版。囚人たちの絆や裏切りなど、網走刑務所内で起こるさまざまな人間模様を描いたヤクザ映画の古典。(65年公開)


1303_893_shita4.jpg

【4】『昭和残侠伝』
監督:佐伯清/出演:高倉健、池部良ほか/発売:東映ビデオ(4725円)
東映任侠路線を代表するヒットシリーズの第一作。高倉健演じる、義理人情に厚いヤクザが、新旧ヤクザの対立の中で耐えに耐えた末、殴りこんで……というのが、シリーズに共通する展開。(65年公開)


1303_893_shita5.jpg

【5】『緋牡丹博徒』
監督:山下耕作/出演:藤純子、高倉健ほか/発売:東映(4725円)
任侠の世界であえて女を主人公とし、藤純子を不動の人気にした。緋牡丹の刺青を背中に入れた「緋牡丹のお竜」が賭場を流れ歩き、女ながらに敵対する組に斬り込んで行く。(68年公開)


1303_893_shita6.jpg

【6】『山口組三代目』
監督:山下耕作/出演:高倉健、菅原文太ほか/絶版
裏社会を席捲し、日本のヤクザ史上において最強最大の組織をつくりあげた山口組三代目・田岡一雄組長。その波乱万丈な人生を赤裸々に綴った自伝を映画化。(73年公開)


1303_893_shita7.jpg

【7】『修羅の群れ』
監督:山下耕作/出演:松方弘樹、鶴田浩二ほか/発売:東映ビデオ(4725円)
日本有数の巨大ヤクザ組織である稲川会の創始者・稲川聖城総裁をモデルとして、暴力の世界に身を投じた男の生々しく怒涛なる半生を豪華キャストで描いた超大作。(84年公開)


1303_893_shita8.jpg

【8】『人生劇場 飛車角』
監督:沢島忠/出演:鶴田浩二、高倉健ほか/発売:東映ビデオ(4725円)
小説家を目指す主人公の青春を描いた原作から、ヤクザの登場人物「飛車角」にスポットを当て、任侠映画という新ジャンルを切り開いた。(63年公開)


1303_893_shita9.jpg

【9】『民暴の帝王』
監督:和泉聖治/出演:小林旭、渡瀬恒彦ほか/発売:東映(4725円)
闇社会のドンとして君臨する広域暴力団の会長を中心に、彼の生きざまと一般社会、そして地上げ屋不正融資など、経済の裏側に介入するヤクザの姿を描く。(93年公開)


1303_893_shita10.jpg

【10】『鬼龍院花子の生涯』
監督:五社英雄/出演:仲代達矢、夏目雅子ほか/発売:東映(2940円)
高知の侠客と、その養女の激動の人生を描いた宮尾登美子原作の映画。夏目雅子の「なめたらいかんぜよ」のタンカは流行語にもなった。(82年公開)


任侠映画の祖を作った
東映ヤクザ映画年表

[1951年]東横映画と大泉スタジオが合併し、東映が誕生。東京撮影所、京都撮影所、5劇場を傘下におさめた。

[1952年]占領軍の時代劇制限が解除されたのを受け、忠臣蔵を題材に『赤穂城』を公開。

[1957年]市川右太衛門主演『旗本退屈男』より、東映のトレードマークとなる「荒磯に波」のクレジット・タイトルが登場。

[1963年]鶴田浩二主演の『人生劇場 飛車角』公開。任侠映画路線がスタートする。
翌年、高倉健主演の『日本侠客伝』シリーズスタート。

[1965年]高倉健主演の『網走番外地』『昭和残侠伝』シリーズがスタート。

[1968年]藤純子主演の『緋牡丹博徒』シリーズがスタート。女博徒に扮した藤純子が大人気となる。

[1971年]岡田茂が社長就任。

[1973年]『仁義なき戦い』が公開され、実録ヤクザもの路線がスタート。
同年、山口組三代目田岡一雄組長を主人公とした『山口組三代目』公開。この映画と山口組のつながりを問題視した警察から、東映が家宅捜索を受ける。

[1974年]仁義なき戦い5作目となる『仁義なき戦い・完結編』が公開。その後も、『新仁義なき戦い』などが公開される。

[1975年]時代劇の斜陽化が進むなか、東映京都撮影所の一部を一般公開する「東映太秦映画村」が開業。

[1977年]山口組をモデルに、日本版『ゴッドファーザー』の趣を持たせた『日本の首領』3部作が、78年にかけて公開。

[1982年]『鬼龍院花子の生涯』公開。高知の侠客の世界を舞台に、夏目雅子を配して女性の情念を描く。

[1984年]稲川会総裁の稲川聖城をモデルとした『修羅の群れ』が公開。

[1986年]『極道の妻たち』が公開。ヤクザの妻たちを前面に据え、人気シリーズとなる。

[1993年]高岩淡が社長に就任。

[2000年]深作欣二監督の遺作となった、架空の近未来で中学生が殺し合うというストーリーの『バトル・ロワイアル』が大ヒット。

[2002年]岡田裕介が社長に就任し、高岩淡が会長に就任。

[2005年]『極道の妻たち』の最後の作品(当時)『極道の妻たち 情炎』が公開(最新作は今夏公開)。

[2012年]相談役となっていた高岩淡が東映のすべての役職から退く。
海賊ルフィが主人公のアニメ映画『ONE PIECE FILM Z』が大ヒット。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミアム

2022年6・7月号

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論
    • 音楽業界からの【賛辞と批判】
    • 【芸能プロ】的戦略が抱える2つの“矛盾”
    • 令和の【ジャニーズ・シングル】20選
    • 20年代のジャニーズ【ミュージックビデオ】

移ろいゆくウクライナ避難者

移ろいゆくウクライナ避難者
    • 移ろいゆく【ウクライナ】避難者

NEWS SOURCE

インタビュー

連載

サイゾーパブリシティ