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連載
ある芸人の赤裸裸笑(小)説「ニューヨーク戦記」第4回

いざ、次なるミッションへ――「先生、俺もコメディがしたいです」

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〈前回までのあらすじ〉
 コメディと英語を学ぶため、単身ニューヨークへ修行に来た芸人・中牟田。ついに日本で報じられたスキャンダルのせいで、語学学校の日本人にはよそよそしくされ、反対に学校の先生たちからはコメディアンとして期待を一心に受けるというジレンマに陥りつつも、日々を楽しく過ごしていた。そしてとうとう、もうひとつの目的であるコメディの勉強にも着手することに――。

 日本のテレビ局がやってきた。

 英語を題材に扱う日本の番組が、ニューヨークの制作会社を介して、中牟田が語学学校で英語を学んでいるところをドキュメントとして撮影するのだという。同じ学校に通う日本人は最初、彼が日本で報じられた例のスキャンダルがらみでカメラが来ているのかも、と思ったらしく、カメラが校内を通ると日本人だけは顔を隠すように避けるのだが、ほかの国の生徒はマラソン見物の沿道の市民よろしく、カメラにピースしている。同じ国の同胞からは忌み嫌われ、他国民からは浮かれ騒がれている。中国では弾圧されて、アメリカに来ると英雄のような扱いのダライ・ラマ14世みたいなものかな、と勝手に思って、その状況を楽しむほかない、と中牟田は自分に言い聞かせた。

 撮影は、寮のルームメイトでドイツ人のエチェンとの相部屋仲良しトークを撮ったり、台湾人リリー、ラオス人トン、韓国人ジヨン、コロンビア人レオナルド等との、お友達トークを挟んだりした。

 台湾人のリリーはとても愛らしい女性で、彼女がホームシックで泣いていたところを、中牟田が親身になったふりで話しかけて以降、一緒にいることが多くなった。海外にひとりで住むと、大抵の人間は精神が不安定になる。そこを埋め合わせるようにコミュニケーションを取れば、気持ちが通るのだ。異国で外国人女性と仲良くなるのは、結構簡単なのである。ラオス人男性のトンは母国では有名デザイナーなのだが、同性愛者で、中牟田に夜な夜なテレフォンセックスまがいの電話をかけてきた。日本でテレビに出ていたときから、彼の声は低くて特徴的だとよく言われたのだが、それは外国人のホモからもウケがよく、電話越しに何度もトンのズリネタにされていたのである。韓国人のジヨンは日本の芸能界の話が好きなのだが、歴史の話になると、どうしても日韓歴史観の軋轢があらわになってしまう。コロンビア人のレオナルドは、英語のアクセントが強すぎて、ほとんど何を言ってるのかわからなかったが、大体は家族大好き話だった。カトリック系の国は絆が強い。


* * * * *


 そんな国際色の強い場所で生活していた中牟田だったが、もうひとつの留学目的であるコメディの実践とネットワーク作りも忘れてはいなかった。

 日本のテレビ局は、中牟田がニューヨークでアメリカ人コメディアンと接触するのを撮りたかったようで、「スタンダップ・NY」というコメディクラブ内で彼が観劇しているところを収録した。局から依頼を受けて、場所とコメディアンとマネージャーの調整をしてくれたのが、リオさんという、名古屋生まれの生粋日本人のスタンダップコメディアンだった。

 リオさんのことは、日本にいる時から名前は知っていた。そのため、ニューヨークに来たからには是非会いたいと思っていたのだが、この収録を機に知り合うことができた。収録はリオさんの尽力もあって、滞りなく済んだのであった。

 中牟田にとって、リオさんとの出会いは格別だった。「イチローがレンタルビデオ屋で4〜5年働くと、こんな感じになります」といった風情の彼は、もともと社交ダンスのプロとして活躍していたという。25歳でアメリカに渡り、表現の幅を広げるべく挑戦したコメディスクールでその才能を花開かせ、ほぼ独学でスタンダップコメディの技術を習得、現在ではいくつものコメディクラブで、プロとして金をもらって客を満足させている。年齢は中牟田よりちょっと上なだけなのに、すでにその道で名を上げているのだ。日本で芸能人をやり抜くかっこよさもひとつの美学だが、異国の地で、そこの言葉を覚えて身ひとつで、己の腕と交渉力とで異国の同業者としのぎを削り合うというのも、眩しすぎるくらいイケている芸人道である。松井やイチローがアメリカで戦うことの大変さは日本人でもよく知っているが、それとはまるっきりベクトルが違う。コメディというのは、言葉と文化とセンスに極めて多くの比重がかかるジャンルで、スポーツのように身体的な技術をそのまま母国からコンバートして通用する世界ではない。白人・黒人の前で、英語でスピーチするだけでもビビる日本人が、彼らを前にして笑いを取らなければいけない。たったひとりでマイク一本で、観客を魅了しなければいけない、ごまかしが一切利かない真っ向勝負のエンタメなのである。しかも、出演からギャラの交渉まで、すべて自力でこなさなければならない。そうして初めて、劇薬と媚薬の入り混じる、それはそれは究極に怖くて面白いフィールドに立てるのである。

 中牟田はリオさんと後日再び会い、今度は彼のステージを目の当たりにした。20代前半の遊び盛りの白人でごった返している客席から、彼はガツンガツンと笑いを取っている。客席はざっと50人くらいの入りだが、面白いことには反応して、面白くないことは完全無視して友達と話し込むというような状況だ。そんな中でリオさんはマイクを手に取ると、アジア人としてのエスニックジョークを連発する。若い白人たちがげらげら笑う。これは、誰かが仕込んで客席の白人に「笑ってください」と頼んでいるわけではない。ガチンコでアメリカ人と向き合って、パフォームする。日本の芸能界では決して味わえないスリルである。


* * * * *


 日本人はとかく、自分たちの笑いのセンスを良いものと位置づけたがる。アメリカやイギリスよりも数段レベルが高い、と日本人同士で言い合う。アメリカのコメディ映画やイギリスのコメディドラマを観て、そう結論する。しかし現実には、米英は日本のお笑いには見向きもしていないし、日本人に対しては「真面目でしっかり者」くらいのイメージで、お笑い・喜劇というジャンルを楽しんでいる国民とは到底思っていない。ましてや大半の日本人は英語を全然話せないし、ジョークも言えないから、コメディとは程遠いメンタリティーを持っていると思われても仕方がない。笑いの価値観に対して日本と欧米のギャップは大きい。

 だが、このリオさんは、そういう欧米人が抱くステレオタイプな日本人とは一線を画している。日本人も本場でコメディができる、真っ向勝負できる、と証明しているのだ。中牟田は、「やはりニューヨークに来て間違いない」と思った。自分もこの人のようにリアルな技術を持って、異国の地でも堂々と自分の職業を証明できる人間になろう、と思えたのだ。

 リオさんから彼へのアドバイスは、「コメディスクールの授業を取ったらいいんじゃないか」というものだった。コメディの勉強ができるからということではなく、同じ境遇のコメディアンの友達を作れるからだ、という。それを聞いて中牟田は、さっそくニューヨークはマンハッタンでも有名なコメディクラブに付属するスクールに入ることにしたのだった。

 授業初日、事務所の一室に、計7人のコメディアン志望の生徒が集まった。スティーブンという大柄の男が放送作家で、コメディの指導もするという。そのあたりは日本のお笑いスクールと変わらない。そのスティーブンが、延々とコメディの作り方やらコメディアンとしての資質について話をする。完全にネイティブスピーカー同士の会話なので、聴き取れないところはたくさんあった。ただ、大まかにわかった限りでは、日本で学んできたお笑い理論と、そう変わらない。「舞台に上がったら、終わるまで決して諦めないで、笑いを取ろうとするんだ」という肯定的な根性論も言っていた。

 話が終わると、今度はそれぞれネタをやってみろ、という。コメディ素人のアメリカ人が緊張しながら、漫談を始める。雑談していたときにはかなりお調子者だった人も、いざネタをやるとなると調子を崩している。

 中牟田は、あの陽気なアメリカ人がガチガチになっているのを見て、心中で大笑いした。「たとえ英語が話せてアメリカ生まれでも、ネタとなると、そうそううまくはいかないんだな」と思ったのだ。

 そして、ついに彼の番が来た。アメリカで、アメリカ人ばかりの前でやるのは初めてだ。だが、不思議となんら緊張はしなかった。〈続く〉


 ※この小説はフィクションです......ということにしておいてください。


ながい・ひでかず
お笑い芸人。07年9月、突如およそ1年間に及ぶニューヨーク武者修行へ。現地にて「ガチで笑いの取れる、数少ない日本人」との高い評価を得て帰ってくる一方で、私生活では女性問題が原因となって嫁に逃げられ、世間様から「ダメ人間」のレッテルを貼られる。


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