――近年のエンタメ界には、受け手の興味が“よそ”に移る前に、見せ場や仕掛けが絶え間なく繰り出されるコンテンツが溢れ返っている。もはや抗えない激流の中、持続的な刺激に慣らされた人々を象徴するトレンドワードが「ドパガキ」だ。音楽、映画、ショート動画――加速する“ドーパミン系”のエンタメとその消費は、私たちをどこへ連れて行くのだろうか?
「ドパガキ」の発端となったMrs.GREEN APPLE。(写真/JB Lacroix/WireImage)
ドパガキとは「ドーパミン中毒のガキ」を略したネットミーム。「ガキ」とあるが必ずしも若年層だけを指すわけでなく、大人が自嘲気味に使うケースも多い。
起源とされているのは、約2年前、あるXユーザーが投下した発言だ。
〈Mrs. Green Appleのライラックをさっき初めて通しで聴いたんだけど、集中力がないZ世代のガキが途中で再生止めないように一定間隔でメロディに変化を加えてて、ドーパミン中毒のガキ相手の商売って大変だなって思いました〉(原文ママ)
2024年12月28日にされたこの投稿は、現在までに表示回数3510万回超を集めている。
爆発的拡散の背景には、〈ドーパミン中毒のガキ〉というワードのおもしろみと「Mrs.GREEN APPLEが熱狂的な支持を得る理由」を“言い当てた”感があった。
当時のミセスは、若者中心の支持から国民的人気アーティストへの移行期。24年はビルボードジャパンの年間総合チャートでトップ10に4曲がランクインしたほか、年間アーティストチャートで1位を獲得。さらに日本レコード大賞を2年連続で受賞した年だ。
そんなミセスの代表曲「ライラック」には、イントロの高速ギターリフ、サビのハイトーン、繰り返される転調、大サビの伏線回収など、聴き手が数秒ごとに「気持ち良く」なれる仕掛けが盛り込まれる。同曲を数秒でも耳にしたことがある人にとって〈ドーパミン中毒のガキ〉は、次々と差し出される刺激に身を委ね、コンテンツを消費する現代人の生態を言い得て妙だった。
それが〈ドパガキ〉とキャッチーに略された後、浸透が加速したのは今年になってからだ。1月には高比良くるまがPodcast番組『令和ロマンのご様子』で自身を「ドパガキ」とネタにしたほか、4月には「ドパガキ度チェック」なる診断がX上で拡散。さらに、時代の空気を絶妙にすくうことでコアな人気を誇るメロコアバンド「ヤバイTシャツ屋さん」が6月24日にリリースした「アルゴリズムの犬」の歌詞には〈あつまれドパガキたち!!〉というフレーズがある。アルゴリズムに左右される令和の消費形態を“それは本当にやりたいことなのか”と風刺した同楽曲について、ベース・ボーカルのありぼぼは音楽情報サイト『音楽ナタリー』のインタビューで、軽薄ノリでヒットした「あつまれ!パーティーピーポー」(16年)と重ね、「10年経ってパリピはいなくなって今はドパガキばっかりなんで(笑)」と語った。
踊っているのか、踊らされているのか。まさしくそのコメントは、この10年間で急激に変化したエンタメ界を取り巻く現状を端的に表しているといえよう。
『超かぐや姫!』をめぐる「ドパガキ論」
「ドパガキ」のGoogleトレンド検索結果。2026年から急に上昇している。
メディアでも「ドパガキ」の生態が取り上げられるようになるなか、SNSで「ドパガキ向け」かどうかの議論が沸騰した作品がNetflix『超かぐや姫!』である。同作は今年1月の配信後、劇場公開されると全国100館以上への拡大&4カ月のロングランで、配信先行作として異例の興行収入27億円超えという快挙を生んだ。
あらすじは古典『竹取物語』を下敷きに、月からやってきた少女・かぐやと一人暮らしの女子高生・彩葉がバーチャルタレント活動を通して絆を深めていくというもの。シンプルに見えてその中身は、1クール(概ね24分×10話~13話)かけても持て余しそうな多くの要素を上映時間140分に詰め込む高密度。山下清悟監督が、プロデューサーから「シリーズですよね?」と確認された裏話があるほどだ。視聴者にとって多少のツッコミどころや消化不良があれど構わず、キレッキレな作画と演出のパワーで高速&強引に突き進む。
疾走感を支えるのは全10曲の劇中歌だ。歌って踊ってのライブシーン、エモくて愛らしい日常を彩る楽曲が感情を揺さぶり続け、画面から離れる隙を与えない。
映画『超かぐや姫!』のポスター。
著書『本を読めなくなった人たち』(中公新書ラクレ/26年)や『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書/22年)で現代消費社会を取り上げてきた稲田豊史氏は、同作品を「まさに今っぽいつくり」だと評する。
「ドーパミンとは、つまり脳の報酬系の話。現代は最小の労力で最大の刺激を得られる快楽主義が暴走していて、作り手はいかに受け手を興奮させ続けられるかの戦いがヒートアップしている。『超かぐ』はその最たる例です。制作側が視聴者の『ライブシーンを即物的に味わいたい』という欲求に応えることを第一としていて、ストーリーは見せ場と見せ場を埋める“つなぎ”に過ぎない。もともとミュージカルとしてそういう構造のものはありますが、より圧縮濃度が高く、新たな意外性を矢継ぎ早に提示する」(稲田氏)
たとえるならば、「好きなものだからといって、ハンバーグの直後にステーキを食べるようなもの。胃もたれや食べ合わせは考えない」(稲田氏)。そこにあるのは、全体の「調和」よりも優先される「刹那的な気持ち良さ」だ。