イスラエルによって徹底的に破壊され尽くしたガザの住民を受け入れる考えがある──そんなことを石破総理が口にしたが、その真意はどこにあるのか?
ガザは実験場です。
二○○七年当時で百五十万人以上の人間を狭い場所に閉じ込めて、経済基盤を破壊して、ライフラインは最低限しか供給せず、命を繋ぐのがやっとという状況にとどめおいて、何年かに一度大規模に殺戮し、社会インフラを破壊し、そういうことを十六年間続けた時、世界はこれに対してどうするのかという実験です。
そして、分かったこと──世界は何もしない。(原文ママ)
『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理著/大和書房)に収録されているこの衝撃的な文章は、早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授で、パレスチナ問題に取り組んできた岡氏が、2023年10月23日に早稲田大学で開催した緊急学習会で発言した言葉だ。
ガザ地区で破壊された建物の残骸を通り過ぎるパレスチナ人の男性と子どもたち。(写真/Ali Jadallah/Anadolu via Getty Images)
同年10月7日、ハマースの越境奇襲攻撃に対する報復として始まったイスラエルによるジェノサイドは、薄氷状態で始まった停戦がいつ破綻して、攻撃が再開されても不思議ではない。15カ月以上続いたジェノサイドで、ガザのパレスチナ人にはどれだけの被害が生じたのだろうか? 岡氏は、次のように語る。
「ガザの保健省が毎日死者数を発表していましたが、それはミサイルなどの攻撃で亡くなって、遺体が発見された人だけの数です。それが停戦間際には4万8000人程度になったのですが、イギリスの権威ある医学雑誌・ランセットは、実際の死者数は同省が発表した数字の約1・4倍だと推計しています。でも、これは攻撃による死者だけ。生活や医療のインフラが破壊されたことによる餓死者や病死者といった間接的な死者数は含まれていません。
同誌の別の論文によれば、近年の紛争では直接的な死者の3倍から15倍は間接的な死者がいるとされています。すごく少なめに見積もって4倍としても間接的死を含めた死者は30万人前後になるわけで、ガザの人口は今回のジェノサイドが始まった23年10月7日以前で約230万人ですから、その1割以上が亡くなったことになります。まさに、第二次大戦後にこの規模の破壊と殺戮が行われたのは誰も見たことがなかったというレベルの攻撃が行われたのです」
それだけの破壊が行われていながら、日本ではガザに対する適切な報道がなされておらず、これがジェノサイドだということが認識されていないと岡氏は感じている。
「日本のニュース番組や新聞では、世界で起きるさまざまなニュースのひとつとして小さく報じる程度の扱いで、報道の質と量、双方ともに足りません。1日のうちにガザのあちこちが攻撃されて、死者の合計が100人近くになっても、もはやそれがガザの日常になってしまっているので、ニュースでも取り上げられず、一度の爆撃で100人の犠牲者が出たらようやく報道される。ジェノサイド条約の定義によれば、ジェノサイドとは国民的、人種的、宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって、集団構成員を殺害したり、危害を加えたりすることですが、今回のイスラエルによるガザに対する攻撃がジェノサイドに当たるということも日本のメディアは十分認識していません。それは日本のメディアだけでなく、西側諸国のメディアもそうです。
アメリカの主流メディアはすべて、親イスラエル資本の傘下にあり、報道が規制されています。ジェノサイドをジェノサイドとして語らない、非難しないというのは、ジェノサイドに加担しているのと同じです」
改めて「ガザは実験場である」とはどのような意味で述べたのだろうか?岡氏は続ける。
「イスラエルによるガザに対しての大規模攻撃は、08年12月暮れに始まった攻撃を初めとして、これまでに4回ありました。それ以外にも散発的な攻撃は日常茶飯事ですが、攻撃が何日間か続いて大量に死者が出ない限りメディアは報道しません。4回というのは、一定期間継続し、100人以上、あるいは1000人以上の死者が出た攻撃が4回あったということです。
ガザ地区の負傷者を日本に受け入れる可能性を検討すると明らかにした石破茂総理だが……。(写真/Buda Mendes/Getty Images)
たとえば08年12月から09年1月にかけてはイスラエルからガザに対し23日間に及ぶ攻撃が行われ、パレスチナ側の死者は1400人超にのぼりました。さすがに攻撃が続いていた当初は、連日のように報道がありましたが、ひとたび停戦になれば報道もされず、この攻撃を記憶していない……。
“ガザは実験場である”というのは、これまでも言われていたことです。新しい兵器が開発されると古い兵器は耐用年数が切れる。ガザは、そうした古くなった兵器の在庫一掃のための場でもありますが、同時に、新しい兵器の使い勝手も試す。そうした新しい兵器の実験場に、ガザはなっているということです。アメリカを通してイスラエル側に武器を供与している軍事産業にしても、ガザを実験場にして、その性能を試しているのです」
再建はいつになるか誰もわからない
もっとも、23年10月7日から始まった攻撃は、最初はガザを実効支配するイスラーム組織であるハマース──とよく言われるが、岡氏はハマースはパレスチナ立法評議会選挙で民主的に選ばれたことを強調する──による越境奇襲攻撃がきっかけで始まったことから、イスラエルを非難するのはおかしいと考える人もいる。だがまず前提としなければならないのは、1948年のイスラエル建国にあたって発生したナクバ(大厄災/パレスチナに対してイスラエルが行った組織的かつ計画的な民族浄化と集団虐殺)以来、パレスチナ人はイスラエルに抑圧され、ガザやヨルダン川西岸といった狭い土地に押し込められるか、シリアやヨルダンなどの近隣諸国で難民となって生きるしかなかったということである。
そして、23年の越境攻撃にしても、メディアによって伝わっているイメージと実態はだいぶ異なっていると岡氏は説明する。