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田澤健一郎の「体育会系LGBTQ」【8】

スポーツ校で女子扱いされなかったレズビアン剣道部員の忍耐

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無理に「合わせる」必要がないパートナーとの幸せな暮らし

ただ、大学の剣道部は高校時代ほど時間的拘束はない。心身に余裕が生まれた香奈子は、かねてより疑問を感じていた自分の性についてネットで調べるようになった。そして自分はレズビアンかもしれない、という結論に至る。

「中学でも高校でも、男子と付き合ったことはあるんですよ。『合わせる』一環というか、そうしなきゃいけないのかな、みたいな感じで。だから、自分としては友達付き合いの延長のようなもの。恋愛感情もなかった」

そこで、レズビアンが集うネットの掲示板を利用して、なんとなく好印象を抱いた女性と連絡を取り、会ってみることにした。すると、今までにない感情が自分の中に生まれた。

「会う日までのドキドキする具合が、男子と付き合ったときと全然違うんですよ。これが恋愛か! と種類の違う満足感が得られて。思い返してみれば、中学でも高校でもドキッとした女子はいたんですよね。『この子、かわいい!』とときめいたり。でも、恋愛的な行動に移すことはなかった。友達として好きなんだ、と勝手に思い込もうとしていたような気がします」

それもまた、剣道の「修行」で培った忍耐力、自制心がそうさせたのか。

「キレイ系よりもカワイイ系、清楚な感じがする女性が好みなんです。芸能人なら宮﨑あおいとか」

現れた相手は、まさにそんなタイプの、年下の女性だった。香奈子は一瞬で恋に落ちた。相手も香奈子のようなボーイッシュな女性が好みだった。以来、10年以上、2人はパートナーとして同じ時間を過ごしている。

「一緒に暮らし始めてずいぶん時間が経ったし、もう添い遂げられたら、という気持ちですね。彼女と付き合うようになってから、周囲に合わせるため、無理をしてかわいらしい服を着ることもほとんどなくなりました。だから自分の好きな男っぽい格好になっちゃうんですけど、彼女もそれが好みだから」

剣道も趣味として、たまに竹刀を振る程度には続けている。頼まれて地域の小学生のコーチを務めた時期もあった。大学卒業後、縁あってサービス業に就いたため、教師や警察官として剣道を続ける道はなくなった。だが、今くらいの距離感のほうが剣道を嫌いにならないで済むと感じている。得意の忍耐力を発揮しなくてもいい暮らしを、香奈子は手に入れたのだ。

*本稿は実話をもとにしていますが、プライバシー保護のため一部脚色しています。

田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。

前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
【第2回】サッカー強豪校でカミングアウトを封じた少年
【第3回】“見世物のゲイ”にはならないプロレスラーの誇りと覚悟
【第4回】童貞とバカにされながら野球に没頭した専門学校の部員
【第5回】男性として生きるために引退を決めた女子野球選手の葛藤
【第6回】「ウリ専」のバイトでゲイを自覚した一流大学のボクサー
【第7回】男子フィギュアスケーターがゲイを隠すために同調した“誤解”


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