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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【48】

同世代同士の血で血を洗う争い――幽霊、過去を裁いて復讐する者たち。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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学生時代に買って、未だ手元に置いている一冊。植草甚一的ヴァラエティブックやビックリハウスや宝島のドス黒いパロディ。

 ピエール瀧のコカイン逮捕と販売自粛ラッシュの後に、内田裕也と萩原健一が亡くなって追悼ムードというのはどんなブラックジョークかと思うが、世間なんてそんなものだよな、と改めて乾いた笑いを浮かべていた。逮捕自体は法を破っているのだから当然だが、販売自粛措置は思考停止でしかないので、馬鹿馬鹿しい話だ。しかし、ピエール瀧がスターに成り上がってなければ、販売自粛措置は批判されたのだろうか? 人生や電気グルーヴでデビューした頃の瀧のように、筆者みたいな偏屈な若造が面白がっているだけのマニアックな業界人だったら、コカインどころか「世間の空気を読まない」だけでも社会的に抹殺されるし、擁護されることすらないのだ。

 重ねて書くが、ピエール瀧は90年代サブカル界隈の登場人物が軒並み凋落していく中で例外的に名声を得た人物で、その活躍が「あの時代もそんなにクズではなかったよな」というガス抜きになっていた。まあ、逮捕されたことでやっぱりクズだったという結論になってしまったのだが、90年代に界隈の底辺で燻っていた人々がこれに乗じて復讐しているのも釈然としない。石野卓球に対する能町みね子とか。80年代後半の空気を清算するようにとんねるずが叩かれたのが数年前で、次は90年代前半に台頭したダウンタウンが叩かれ、その次が電気グルーヴなのだが、文化的カーストがだんだん下がって90年代サブカルの底辺へ近づいていくことで、これは世代間の対立ではなく、同世代の復讐が大衆化したのだと確信した。

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