――ネットが発達した昨今では、写真週刊誌も苦しい中で日夜スクープを追っているようだが、週刊誌が華やかなりし頃はどうだったのか? ここでは、かつて大手誌にいたカメラマンに過去の話と、現在について聞いた。
ビートたけしとたけし軍団による「フライデー襲撃事件」は、週刊誌業界でも語りぐさとなっている。
年々張り込み写真は厳しくなりつつあるようだが、では、写真週刊誌が全盛の時代はどのような張り込みが行われていたのだろうか?80年代~90年代にかけて、10年間某大手写真誌で張り込みカメラマンとして活躍し、おニャン子クラブをはじめとするアイドルたちの熱愛を激写したA氏は当時の様子をこう振り返る。
「当時は、撮りにくくはなかったよね(笑)。今よりもだいぶガードが緩い時代だったんじゃないかな。ビートたけしによるFRIDAY編集部襲撃事件がきっかけとなって、80年代中盤以降、写真誌が徐々に下降していったけど、『3FET』(FRIDAY、FLASH、FOCUS、Emma、TOUCH)と呼ばれる写真誌もバンバン刊行されていて、世間からも注目を集めていたんです。当時、張り込みをしていると、一般の人から『がんばれよ!』なんて声をかけられることもありました」
当時は芸能人のスクープを伝える写真週刊誌を世間も面白がり、注目や信頼も高かったようだ。しかし、ライバルが多かった当時、他社を出し抜くために、今では考えられないような行為で熱愛スキャンダルをもぎ取ってきたのだという。
「時効だから話せますが、当時は、メールもなくて電話と郵便で連絡をしていた時代。記者の中には、芸能人の手紙を盗んだり、勝手に開封したりといった違法行為をしていた人もいましたね。私自身は、隣室の壁に聞き耳を立てて、シャワーの音を聞いていました。部屋の中に2人いれば、2回分のシャワーの音がするから熱愛中かどうかすぐにわかるんです」
さらに、張り込み班の待遇も全く違うものだった、とA氏。出版全盛の時代、経費も使い放題で、心置きなく芸能人を張り込むことが可能だった。
「当時は出版社に金があったから、ひとりのタレントを数カ月にわたって張り込んでいることも珍しくなかったんです。ギャラもよく、みんな車を持ち、当時あこがれとされていた車載電話も搭載できていました。僕らは自分たちのことをカメラマン未満の存在として『シャッターマン』と揶揄していましたが、世間からすればかっこいい職業だったんです」
張り込み写真からは離れたが、現在も、カメラマンとして仕事するA氏。若き日の経験は今でも役に立っているという。
「若いころに鍛えられたお陰で、どんなに長い待ち時間も苦痛ではありません。風景写真を撮影する場合でも、太陽の光や雲の動きなど、ベストショットを収めるためには忍耐力が必要ですからね」
若手カメラマンは、スキルアップのため、「張り込み写真」という選択肢を視野に入れるのも悪くないかもしれない。ただし、A氏が経験したような華やかで羽振りのいい世界はすでに消滅してしまっているが……。