――1980年代以降、使い捨てカメラ、チェキ、カメラ付きケータイ、スマホと、カメラはどんどんと身近さを増してきた。その中で生まれたスキャンダルや写真界におけるブームを拾い上げながら、写真というメディアの国内30年史を『1995年』『ラーメンと愛国』の速水健朗が読み解く。
高部知子のスクープを掲載した「FOCUS」が創刊されたのは81年。80年代は、写真週刊誌の隆盛期でもあった。
写真とメディアの正の歴史は、アート、(いわゆる第四の権力としての)報道ジャーナリズム、公式記録などと結びついてきましたが、写真の歴史はそれだけではありません。
ここでのぞいてみたいのは、その“裏”の歴史。素人の写真とメディア、そしてテクノロジーの関わりの歴史です。
それを振り返る上での重要なポイントとなるのは、1981年です。写真史的には、赤瀬川原平の「トマソン」が連載されていた「写真時代」(白夜書房)が編集者・末井昭によって創刊された年ですが、むしろここで脚光を当てるべきは『アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム』(KKベストセラーズ)の刊行でしょう。女性の下着を盗み撮りするテクニック、つまり盗撮の仕方を記した不届きな写真術本であり、今では刊行も危うい感じの本ですが、当時のニーズにばっちりあって大ベストセラーになりました。同年、これに伴い素人の投稿写真雑誌「セクシー・アクション」(サン出版)も刊行され、アクションカメラ(≒盗撮)が日の目を見る、今となっては奇妙な時代が始まりました。
この80年前後の時代に10代の男の子たちが憧れたガジェットのナンバーワンが、一眼レフカメラでした。大場久美子がオリンパス、キヤノンの藤谷美和子、早見優のペンタックスといった具合に、当時の男子に人気のアイドル・女優たちがこぞってカメラ会社のCMに起用されていたことからも間違いありません。なかでもカメラ会社のCMで有名になったのが、当時現役女子大生だった宮崎美子でした。「いまのキミはピカピカに光って」(80年)という糸井重里のコピーと、海辺の木の下で周囲を気にする様子を見せながら、洋服を脱いで水着姿になる演技の鮮烈さで注目を集めたこのCMは、ミノルタの一眼レフカメラのCMでした。このCMのテーマは、ずばり盗撮です。カメラが男の子の憧れのガジェットになった背景には、エロが透けて見えるのです。
こうしたアクションカメラ、つまり素人の写真とエロの融合は、ある事件へと結びつきます。それは83年の「ニャンニャン事件」です。当時、萩本欽一のバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)に出演し、女の子ユニット“わらべ”の一員として人気を博していた高部知子の、ベッドで裸で煙草をくわえている写真が写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に掲載されたという事件でした。「ニャンニャン」とは、このときの見出しに使われたもので、80年代に性行為を意味する隠語として定着します。おニャン子クラブが登場したフジテレビのバラエティ『夕やけニャンニャン』などへと影響を与えた重要事件です。
ちなみに高部の場合は、彼氏が写真週刊誌に持ち込んだというケースで、これを機に高部自身は転落の一途をたどり、当の交際相手は掲載から2カ月後に自殺するという悲劇的な展開を迎えます。
こうした流出事件は、むしろ現代では日常茶飯事となりつつあります。2012年の指原莉乃のセクシー画像の流出(「週刊文春」)、香港俳優エディソン・チャンのプライベート写真の流出事件(08年)はその中でも有名なもの。さらに昨年、ジェニファー・ローレンスらハリウッド女優のネット流出写真を掲載した週刊誌「FLASH」(光文社)が回収されるという騒動もありましたが、すでに流出はコモデティ化の時代を迎えようとしているようです。
再び時代を戻しますが、こうした素人によるエッチな写真の投稿、盗撮といったカルチャーは、ある画期的機器の登場によってさらに加速しました。85年、ミノルタは世界初のオートフォーカス一眼レフカメラ「α-7000」を発売します。「カメラ小僧のためのカメラ」。この画期的なカメラは、そんな不名誉なあだ名でも呼ばれていました。表の報道写真史においては、64年の東京オリンピックで名機「ニコンF」が活躍し、ジャーナリズムにおけるニコンの優位が決定づけられたことと裏腹の、しかし重要な歴史的な1コマです。
レースクイーンが初めて登場したのは、84年の鈴鹿8時間耐久ロードレースといわれています。このレースクイーンの登場、オートフォーカスというテクノロジーの登場、そして折からのアクションカメラブーム。これらの3つの流れは、カメラ小僧というウェイブを生み出しました。「カメラ小僧」という言葉自体は、篠山紀信が70年代に、女性ポートレートを写真雑誌に投稿する素人を指して付けた言葉とされていますが、いわゆるデカい望遠カメラを一眼レフにくっつけて、レースクイーンなどを激写している人々を指す言葉に変化したのは、80年代半ばのことでしょう。
写真メディア、報道写真の歴史からはかけ離れた存在ではありますが、このカメラ小僧の誕生は、写真という世界でテクノロジーの発達によってプロの特権がはがされていく最初の過程を可視化するものでもありました。