――没後55年、生誕100年。三島由紀夫は、ノーベル文学賞にまでノミネートされた文豪、はたまた陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で切腹したというイメージだけでは、その“多面体”の実像は捉えきれない──。映画出演や写真集出版、エンタメ作品を手掛けるなど極めてその全方位的な〈本気〉三島に、作家・評論家の中森明夫と、映画監督の豊島圭介が迫る。
背景は三島由紀夫監督・主演映画『憂国』より(写真/石田 寛)
三島由紀夫というと一般的には、自らの思想を貫いた末に己の腹まで貫いた、戦後の純文学シーン(メインストリーム)における文豪の姿が思い浮かばれるかもしれない。それはむろん誤りではないが、しかし同時に三島は、演劇の世界でもジャンル横断的な活躍で知られており、また映画作品にも、『からっ風野郎』(1960年)、『憂国』(66年)、『人斬り』(69年)などに出演。たびたび写真の被写体も務めており、ある種センセーショナルな作品と言っていい細江英公の『薔薇刑』(63年)や、横尾忠則による再構成を経て2020年に刊行された篠山紀信の『OTOKO NO SHI』(20年)は、特にその代表作と位置付けられるべきだろう。
さらに池袋東武百貨店では自身の展覧会(70年)も開催している。こうした三島の仕事を並べてみると、国語や歴史の教科書を通して知る思想史/文学史上の人物とは少し違った印象が現れてくる。三島生誕100年のこんにち、そういった側面も含めて彼を捉え直す必要があるのではないか。
そこで、いままさに三島由紀夫を題材とする小説を執筆中だという評論家の中森明夫氏と、69年に東大駒場キャンパスで行われた三島と東大全共闘との伝説的な討論会の全貌に迫った映画『三島由紀夫VS東大全共闘~50年目の真実~』(20年)の監督を務めた豊島圭介氏に話を聞いた。
中森明夫(以下、中森) 豊島さんって東大出身で、しかも三島の一周忌の71年11月に生まれてるんでしょ?これはもう『VS東大全共闘』は撮るべくして撮ったってふうにも思えるんだけど、まず撮ることになったときってどうでした?