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第1特集
サイゾーPremium 特別企画「今こそ知りたい“ロシア文化”ガイド」

プロパガンダに興味のない観客にとっては悲劇……「今」を知るためのロシアと旧ソ連の映画

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『惑星ソラリス』のポスター。(写真:Movie Poster Image Art/Getty Images)

ーー日々、報じられるウクライナ情勢。しかし、ウクライナとロシアという国や文化について、本当のところ私たち日本人はどこまで深く理解できているのだろうか?

そこで、今回は国内の動画サブスクリプションサービスでも視聴可能な、近年の注目作品を中心に、この状況下でこそ鑑賞するべきロシア映画・ウクライナ映画を、映画研究者の西周成氏に紹介してもらった。ロシア・旧ソ連の映画を専門に研究する西氏だが、旧共産圏の映画を通して、現在のウクライナ情勢への関心や理解を少しでも深める一助としたい。

暗いイメージはなぜ? 旧ソ連映画の制作事情

――アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(1972年)やゲオルギー・ダネリヤ監督の『不思議惑星キン・ザ・ザ』(86年)など、今も名画座などではソ連時代の映画作家が手がけた名作が上映されています。しかし、ソ連時代の作品はアート性が強く、ともすれば暗くて退屈というイメージが一般的には強い気がします。

西周成(以下、西) それは、ソ連時代に西側に輸出された映画は、ある程度の大作で、イデオロギー性が前面に出ておらず、国際的な映画祭で評価されそうな作品が主だったことが理由です。つまり、当時の映画はソ連当局が監視・管理していたため、重厚な文芸大作や戦争映画、芸術性の高い作品など、ソ連の威信を失わない、あるいは国を代表するような作品しか輸出されなかったんです。今挙げられたタルコフスキー監督は、実は当局からは少し嫌がられていたのですが、当時から一部の映画ファンに非常に高く評価されていましたし、あれだけの名声があると映画制作をさせないわけにもいかない。ほかにも、レフ・トルストイの原作を映画化したセルゲイ・ボンダルチュク監督の『戦争と平和』(67年)は、ある程度売れることが目に見えていたので、あらかじめ当局から予算をつけられ、国際的にも評価されました。

――『戦争と平和』はアカデミー賞外国語映画賞も獲っているんですね。

西 ところが、ソ連崩壊後は国の経済が急激に悪化し、ロシアの映画産業も崩壊寸前までいきました。しかし、この時期は作家映画・アート映画のおかげでロシア映画は国際的な名声を保っていられた面もあります。90年代前半に日本で「レンフィルム祭」という、サンクトペテルブルグのスタジオ「レンフィルム」作品を上映する映画祭がありましたが、そのほとんどは作家性の強いアート作品が中心だったので、世間ではいまだにそうしたロシア映画の印象が強いのでしょう。

――なるほど。どことなく、ロシア映画は暗いというイメージは、そのようにして出来上がっていったんですね。ということは、逆にソ連国内では娯楽映画などの作品もたくさん制作されていたのでしょうか?

西 映画の海外輸出だけでなく、旧ソ連圏の民族共和国やロシア国内向けの映画産業も当局が管理していました。ソ連国内向けのコメディ映画など、大衆娯楽映画はたくさんありました。しかし、これはソ連崩壊後、西側で徐々に知られるようになったことです。そして、最近では過去のソ連映画の人気にあやかった娯楽映画が制作される動きも、ロシアの映画制作者の中にあります。世界的なヒット作『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(2019年)は、『鬼戦車T-34』(64年)を想起させます。趣はだいぶ違いますが、戦車兵が主役でT-34という第二次世界大戦時代の代表的なソ連の戦車が出てきて大活躍するという大筋は同じです。

T-34 レジェンド・オブ・ウォー(Amazon Prime Video)

――アニメ『ガールズ&パンツァー』でも古いほうの『鬼戦車T-34』を見るシーンがありましたね……。それと『不思議惑星キン・ザ・ザ』も、13年にアニメ化されました。

西 『キン・ザ・ザ』はソ連末期、80年代に制作された作品で風刺が強く、不条理モノを好まない当局に目をつけられたのですが、日本でもカルト的人気を得ました。本作のゲオルギー・ダネリヤ監督はグルジア共和国(現・ジョージア)出身です。彼のようにソ連時代の有名監督は、必ずしもロシア人だけではないんですよ。キルギス、グルジア、アルメニアなど各民族共和国から、略称VGIK(ブギック)というモスクワの国立映画大学(全ソ国立映画大学、現・全ロ国立映画大学)で映画づくりを学び、ロシアを含むソ連内の民族共和国のスタジオに就職するというのが一般的なキャリアでした。ソ連は各民族文化の独自性も否定せず、スタジオに就職すれば映画監督として生きる道もあったわけですが、国際的評価を得ても当局から異端視されるパターンがわりと多かったんですよね。これは、ソ連の映画産業・映画文化の矛盾です。

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