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萱野稔人と巡る超・人間学【第22回】

萱野稔人と巡る【超・人間学】――誰もが直面する倫理の問題(後編)

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――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

[前編はこちら]

倫理学者・佐藤岳詩氏との“倫理の問題”をめぐる対話は続く。倫理に絶対的な真理は存在するのか。倫理的な問いが乱立する現代社会において佐藤氏が抱える危機意識とは。

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佐藤岳詩氏(写真/永峰拓也)

今月のゲスト
佐藤岳詩[専修大学文学部哲学科准教授]

1979年生まれ。京都大学文学部卒業。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。熊本大学文学部准教授を経て、現在は専修大学文学部哲学科准教授。専門はメタ倫理学、エンハンスメントを中心とした応用倫理学。主な著書に『メタ倫理学入門』(勁草書房)、『心とからだの倫理学』(ちくまプリマー新書)、『「倫理の問題」とは何か』(光文社新書)などがある。


萱野 前回から引き続き、倫理学者の佐藤岳詩さんと「倫理とは何か」という問題について考えていきたいと思います。ここでいう「倫理」とは「道徳」と同じものだということを改めて確認しておきましょう。前回では、倫理とは“世界の見方”であるという考えをお聞きしました。各人がどのような倫理をもっているのかということは、その人がどのように世界を見ているのかということを反映している。ただ、このように考えると「世界の見方は人それぞれだから、何が道徳的に正しいかも人それぞれであり、結局倫理には正解はない」という考えがどうしても出されてしまいます。しかし佐藤さんは「本当に倫理には答えはないのだろうか」と考えることの重要性を強調されていました。

佐藤 私自身は、倫理を支えるひとつの真理のようなものがあると信じているところがあります。もし、皆がその探求を諦めたら進歩がなくなってしまうし、少なくともそれを追い続ける姿勢を持つことが大事なのではないか、と。真理が見つかっていないことは真理がないことの証明ではありません。それは人間側のポテンシャルの問題ともいえます。

萱野 その点では、倫理学も自然科学と同じところがありますよね。ニュートンが万有引力の法則を発見する以前からこの宇宙には重力が存在していました。人間が真理を発見できているかどうかにかかわらず、真理は存在するわけです。同じことが倫理学にも言えるのかもしれません。また、自然科学ではこれまで、たとえば重力をめぐってニュートン力学から相対性理論、量子力学のように理論がアップデートされてきました。倫理学でもこのような理論のアップデートは起こり得るものなのでしょうか。

佐藤 人間の倫理的な性質も観察や実験で確かめられるものとして自然科学に近い方法論で考えていく自然主義という立場があります。現在の倫理学の研究では、わりと人気がある考え方です。知識の体系である“学”としては、やはりこうした自然主義的なアプローチになっていくでしょう。ただ、科学的なアプローチが唯一、正解にたどり着けるものかといえばそうとは限らないし、たとえば、日々の生活の中で自分自身と向き合うことで真理を探求するという方法があってもいいと個人的には思うのですが。

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