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田澤健一郎の「体育会系LGBTQ」【5】

男性として生きるために引退を決めた女子野球選手の葛藤

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生理が始まった思春期もただ野球が好きだった

北陸の中核都市に生まれた智広は、幼い頃から男の子と活発に遊ぶ“女の子”だった。

「野球も親にやらされたわけではなく、遊びのひとつとして好きになって。小学生になると、当然のように近所の野球チームに入りました」

男女間の体力差も少なく、思春期もまだまだ先の幼少時代、男子と女子が一緒に遊ぶのは、それほど珍しい光景ではない。ただ、智広はFtMの自覚はまだなかったが、自分が女性であることに、すでに違和感を覚えていた。

「当然ながら女の子として育てられたわけですが、とにかくスカートをはきたくなくて。だから、いつもズボンをはいてました」

当時は親も「この子はスカートが嫌いなのね」くらいの反応。「活発で男まさりの女の子」と、特にそれをいぶかしむことはなかった。野球に関しても、女子野球の存在が知られるようになり、男女混合の小学生チームも当たり前になりつつあった時代。男子よりも女子のほうが成長が早いため、小学生チームでは女子が中心選手になることも珍しくない。智広は最上級生となりレギュラーの座をつかんだが、それもまたよくあることである。

「運動神経は良かったですね。足が速くて、運動会ではリレー選手。野球でも足の速さを生かして外野を守り、1番や2番を打っていました」

ただ、中学生になると徐々にフィジカルの男女差が大きくなってくる。野球の場合、中学はまだ男女混合でプレーするケースもあり、その中で活躍する女子も少なくない。だが、高校以上は制度の問題もあり、男子・女子に分かれる、あるいは女子はソフトボールに転向するのが一般的だ。

智広は中学進学にあたり、女子野球のクラブチームを選んだ。中学生といえば、思春期と第二次性徴期の真っただ中。身体的にも“女性”であることを意識し、異性への興味が高まる年頃だが、智広は野球一筋。今、振り返ってみれば、そこにはFtMであったことも影響していたのだろうが、本人にその自覚はなかった。

「本当に何も考えてなくて、ただただ野球が好き、という気持ちだけ。生理も始まったのですが、面倒くさいジャマなもの、みたいに感じてました」

チームの練習は厳しく、レベルも高かった。その過程で、大好きで楽しかった野球を「もっと極めたい」という気持ちが湧いてくる。

「中学時代の監督の薦めで、高校は他県にある女子野球の強豪校に進学することにしました。『自分の実力を試したいなら、強い高校にしてみたらどうだ』という監督の言葉に心を動かされたんです。ある程度、自信もあったので、どこまでやれるか挑戦してみようと」

女子校であるその高校で、智広は初めて自分のセクシュアリティを意識することになる。


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