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連載
町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第27回

【イカ焼】――イカ焼のその包装紙に隠された画期的な工夫を文学する

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 駅構内のイカ焼屋の店構えから、満艦飾、といった感じの宣伝POPについて話していたが、包装紙の工夫について記したPOPのその内容があまりにも特色的で印象深かったのでそのことについてはなして、店構えの話しを終えよう。
 
 さあ、それはどんな包装紙だっただろうか。それは二重になった包装紙で、外側が袋状の紙、内側がシート状の不透明フィルムであった。薄い不透明フィルムで巻いた縦長のイカ焼が、封筒状の紙袋にスポンと入っているのである。と言うと、いったいなんのためにそんなことをするのか。日本ではなんでも過剰包装なんだよ。いくら箱書きなどを珍重・重視する茶湯などの伝統文化があるからといって、やり過ぎはよくないよ。なぜならいまはエコの時代だから。なによりも環境にやさしくなくてはならない。

 なんてしたり顔で言う馬鹿と阿呆の混ぜ合わせ丼、自分にだけやさしいエゴ野郎が地の底から半ば腐った状態でわき出でてくるが、勿論、それには相応の理由があるのであって過剰包装ではないし、茶湯でもない。

 ではなにかというと、これは手を汚さぬための工夫である。

 つまりどういうことかというと、申し上げたようにこのイカ焼店は客席を具備しない。そこでお客は列車内や待合室で、甚だしきにいたっては歩きつつ、これを食すことになる。ということは皿を使えない、箸を使えない、手掴み、ということに当然なる。

 しかしながらご案内の通り、イカ焼には唯一無二の酸味と甘みを持つソースが塗りたくってある。また、焼いた鶏卵などが結構、ベラベラした感じで入っている。これを手掴みで食した場合、どうなるだろうか。そう、手がソースでベタベタになる。

 そのベタベタが服やバッグに附着して不愉快な染み、汚れとなり、楽しい旅行が台無し玉無し、小田原ダイナシティになってしまう。昔、キャベツのことを玉菜といったそうだがそうした知識・教養も霧消する。そう、手のベタベタ感は人間の精神の深いところを蝕む。嘘だと思ったらサラダ油やポマード、或いは、それこそとんかつソースなどで手をベタベタにしたまま一日、過ごしてみるといい。もの凄くイライラするはずである。

 そうした、一見大したことではないように思われながら実は人間の精神に重大な危機をもたらす手のベタベタを防止するためにこの店では袋を二重にしているのである。

 すごく重要なことだと思う。

 以前、私は国分寺の駅の近くで背中にベースギターを背負い、ドンゴロスの肩掛鞄を袈裟懸けに掛けた若い女性がモスバーガーを歩き食いしているのを見たことがある。御存知の通りモスバーガーには通常のバーガーよりはるかにドロッとしたソースが使用してある。そして、包装紙にこのような工夫はない。

 その女性がどんなだったか。もはや畜生同然の有様だった。道行く人は彼女とけっして目を合わさなかった。若くして亡くなった自分の娘のことを思い出したのだろうか、そっと目頭を拭う老婆もあった。彼女はベースギターを背負っていた。ということはその後、バンドの練習かなんかに行ったのであろうが、ベースギターの弦は拭っても拭っても拭いきれないソースと獣脂にまみれ、彼女はベースの弾き方も忘れ、ただ、ケダモノのように低く唸っていたことだろう。

 そういうことを防止するためにここでは袋を二重にしてあるのであり、けっして過剰包装ではない。

 というと、一層目が不透明フィルム、二層目が紙の筒になっている理由がわかるであろう、そう、不透明フィルムはソースのべたつきを外に洩らさないため、紙の筒は、持ち良さや熱さ対策、また、後述するがゴミ処理のための配慮であるのである。

 そしてPOPが解説する食べ方はというと、まず、普通であれば外装材である紙の筒は破り取って捨ててしまうだろう。けれども、そうしないで紙の筒を右手で保持したまま、イカ焼の入った不透明フィルムを少し引っ張り出す。

 この少し、というのが味噌で、この引っ張り出した部分の不透明フィルムを、「バナナの皮を剥くやうに」外側に開いてイカ焼本体を露出させる。このとき、開いた不透明フィルムは紙の筒の外側に垂れ下がっている。そうしておいて露出したイカ焼本体を、ひと口、ふた口と囓る。ウマイー、と叫ぶ。また、引っ張りだし、また、フィルムを開く。食べる。このようにして開いては食べ、開いては食べ、するうちに、生者必滅会者定離、さよならだけが人生だ、おいしかったイカ焼はついに虚しくなって、この手に残っているのはゴミばかり。ゴミをいつまでも保持していても仕方がないのでこれを捨つる。捨つるのだけれども、さあ、どうやって捨てる?

 なにをぬかしやがるでぇ、この唐変木。どうやっても、こうやってもあるものか、ンなもなあ、丸めて捨てればいいじゃねぇか。

 という威勢のよいお江戸のお兄ぃさんの聲がいま江坂まで響いた。ならば、やってみるがよい。

「うわっ、なんだこりゃ、手がベトベトになっちまったよ」

 という聲が西中島南方まで響くだろう。って、そう。紙の筒の外側に垂れ下がった不透明フィルムのいまの外側はかつての内側であり、したがって、ソースやマヨネーズがベトベト附着しているのである。

 それを無造作・無頓着に丸めたらどうなるだろうか。手がベトベトになるに決まっている。というか、かなり慎重に折り畳んだとしても、指先にソースとマヨネーズの混合物が附着するのを避けるのは難しいであろう。

 さあ、ここで先ほど申し上げたゴミ処理のための配慮というやつが俄然、意味を持ち始める。

 どうするのか。POPは説く。外側の紙の筒に不透明フィルムを戻し、そのうえで丸めて捨てればよいではないか、と。

 蓋しその通りである。なぜなら不透明フィルムによってソースの外部への滲出は完全に阻まれている。なので紙の筒は汚染していない。どのように丸めても手が汚れない。ソースとマヨネーズの混淆物は完全に封じ込められ、完全なコントロール下にある。ということになるのである。

 モスバーガーはこれをなし得なかった。というか、そんな配慮の必要性を感じたことがないのだろう。自分の使命はうまいバーガーを提供すること。なのでそれを食った客が、ひたすら堕ちてケダモノ同然になっても知らぬ、という立場をとっている。

 まあ、それはそれで存外あっさりした悟りの境地なのかも知れぬ。

 ただ、私は未熟者だ。そこまで悟りきれない。やはり手は汚したくない。なのでPOPの説く通りに食べようと思う。

 というか、私はこういうことは割と律儀に実行する性格だ。

 例えば、コンビニエンスストアで売っている握り飯のフィルムは海苔がベチャベチャになるのを防止するための或る工夫が為されており、よってこれを開封するためにはパッケージに表記せられたる手順に厳密に従う必要があるが、私は常にこれを忠実に実行し、それなりの成果を得ている。

 こういうとき私が必ず思い出すのはコヤマという男のことだ。

 コヤマという男はなにかにつけズベラな男で、コンビニエンスストアーの握り飯を食す際も、手順書きをチラと見て、「あー、なんだかわからないやー」と鼻声で言い(コヤマはなぜかいつも鼻声であった)、テキトーにフィルムを剥ぎ、結果、海苔が粉々になって、味も見た目も最悪の握り飯を食べていた。

 もちろん、人間なのだからそういう失敗は必ずする。しかし、大事なのは経験に学ぶということで、素直に失敗を認め、次に改めればそれでよい。ところがコヤマは、見ていると次も、その次も同じ失敗を繰り返し、私はコヤマがコンビニエンスストアーの握り飯を食べるところを十回以上見たが、最後までコヤマはちゃんと握り飯を食べることができなかった。

 最後のほうは私ももう半ばノイローゼのようになって、コヤマが握り飯を食べる度に動悸や眩暈がして、譫言など発するようになり、「頼むから僕の前で握り飯を食べないでくれ」と懇願したが、コヤマは人の苦しみも知らないできょとんとするばかりで相変わらず海苔を粉々にし続け、私はほとほと疲れ果て抜け殻のようになってしまい、このままでは駄目になってしまう、と思ってコヤマと絶交した。

 おそらくコヤマはいまでも、あの無茶苦茶なやり方でコンビニエンスストアーの握り飯を食べているだろう。そして鼻声も治っていないだろう。私たちはコヤマになってはならない。

 ということで、私はコンビニエンスストアーの握り飯を食するときと同様に、指示通りの食べ方をしようと考えているがひとつだけ納得がいっていない点があるというのは、「バナナの皮を剥くように」という表現・表記である。

 それは動作としては確かにそうかもしれない。しかし、人間の頭脳というものは不思議なもので、バナナの皮を剥くように剥こう、と思った時点でバナナの味を思い浮かべてしまう。バナナの味が頭の中に蘇ってしまうのである。そしてそれはイカ焼にとっては障害でしかない。なのでここは、別の表現・表記を為す文学的な営為が必要であったように思う。懇切丁寧な説明に対してこんなことを申し上げるのはまことに心苦しいが、この点だけはどうしても承服しがたかった。さあ、さて、外観はこんな感じ、こんな感じの外観のイカ焼屋にて私はいよよイカ焼を注文するのであった。

町田康(まちだ・こう)
1962年、大阪府生まれ。作家、歌手。81年に町田町蔵として『メシ喰うな!』でレコードデビュー。著書に『くっすん大黒』(文藝春秋/ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞)『きれぎれ』(文藝春秋/芥川賞)『告白』(中央公論新社/谷崎潤一郎賞)『宿屋めぐり』(講談社/野間文芸賞)など。近著には『バイ貝』(双葉社)など。

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