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法社会学者・河合幹雄の法痴国家ニッポン【23】

“冤罪”とはなんなのか?物証至上主義に潜むワナ

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法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。

今月のニュース

「袴田死刑囚  釈放される」
1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で、味噌製造会社専務宅が放火され、焼け跡から専務を含む家族4人の他殺体が発見された。静岡県警は従業員の袴田巖さんを逮捕し、80年に死刑が確定。しかし2011年、静岡地裁は物証の再鑑定を決定し、14年3月には再審開始と死刑執行停止を決定。袴田さんを48年ぶりに釈放した。静岡地検は、即時抗告して争う構えを見せている。

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『袴田事件を裁いた男 無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元判事の転落と再生の四十六年』(朝日文庫)

 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、いわゆる「袴田事件」の犯人として死刑が確定した袴田巖さんが14年3月、実に48年ぶりに釈放されました。静岡地検は即時抗告しましたが、すでに世論はこの事件を完全に冤罪とみなしているようです。

 これを機に、改めて考えていただきたいことがある。それは、いったい”冤罪”とはなんなのか、ということです。「無実の罪を着せられて罰せられること」。一般的な認識はそんなところでしょう。しかし実際には、”冤罪”とはそう単純なものではない。例えば、「従犯として事件に関与したのは事実だが、主犯扱いされて本来より重い罰を科せられた」というようなケースは? 冤罪というと、とかく”完全にシロ”のケースばかりを思い浮かべがちですが、現実には、「怪しいが物証がなく、本当のところはわからない」というような”グレー”から、「まず間違いなく真犯人だが、その一方で警察の暴走により証拠を捏造された」といった”ほぼクロ”までが完全なグラデーションになっていて、ひと言で定義づけるのは困難なのです。

 それに、そもそも刑事司法の究極的な目的とは、一般に信じられているような「事件の真相をつまびらかにすること」などではなく、あくまで「事後に得られた証拠をもとに、もっとも妥当性の高いストーリーを事実と認定して、国家システム上の合意を得ること」です。つまり少々哲学的ですが、”神の視点に立った真実”と”刑事司法における事実”とは、まったくの別モノとすらいえるのです。

 また当然、人間の営みである以上、一定の確率で間違い、すなわち冤罪が生じてしまうのは避けられない。冤罪を論じるに当たっては、まずそうした認識を持つことが大前提になります。そこで今回は、戦後の歴史を振り返りつつ”冤罪”というものをとらえ直し、それを取り巻く日本の現状について考えてみたいと思います。

 戦後から70年代半ばにかけて日本では、のちに世を騒がせることになる冤罪事件が多発しました。その最大の要因は、「警察・検察は決して誤ってはならず、すべての重大事件を解決しなければならない」という過度な社会的要請に司法側が迎合し、”刑事司法の無謬神話”を必死に守ろうとしたことです。

 そのため当時は、冷静に考えれば不自然なことですが、起訴どころか逮捕されればほぼ100%有罪とみなされる状況になっていました。そして警察・検察は、無謬神話を維持するための”努力”を惜しみませんでした。平たくいえば、事件を未解決で終わらせないために犯人をでっち上げ続けたのです。

 警察・検察のもっとも一般的なやり口は、普段から目をつけていたその地域のワルをとにかく捕まえる、というもの。この方法は、単に地域住民にとって都合がよく、はた目にも真犯人に見えて受け入れられやすいというだけでなく、一定の合理性があるものでした。というのも、この連載でたびたび解説してきた通り、基本的に犯罪というのは、突如として現れた”怪物”によってではなく、日頃から素行の悪い限られた人々によって引き起こされるケースが大半であり、その傾向は受刑者に関する統計調査などにもはっきりと表れているからです。

 もちろんそうした手法は、代償として多くの冤罪を生み出します。その代表例といえるのが、196 7年に茨城県北相馬郡で発生した布川事件でしょう。強盗殺人の犯人として無期懲役が確定し、11年に再審で無罪となった桜井昌司さんと杉山卓男さんが、地元で名うての不良だったことは、当人たちも認めているところです。同様に、確たる物証がないのに、「どうせワルだから」という心証が強く影響して有罪となったケースは、挙げればきりがないほど存在したのです。

 しかし、神話はいつか崩れる。その第一歩となったのが、49年に発生した松川事件。国鉄東北本線で起きた列車往来妨害事件の被告人全員に対し、63年に無罪判決が下されたのです。

 さらに68年には、東京都府中市において、かの有名な三億円事件が発生します。延べ約17万人の捜査員、約9億円の捜査費を投じたにもかかわらず、75年に公訴時効が成立したこの事件によって、さすがの警察・検察も、神話の第1章、すなわち「日本の刑事司法に解決できない事件はない」というくだりについては削除せざるを得なくなりました。

 そして80年代。48年の免田事件、50年の財田川事件、54年の島田事件、55年の松山事件という4つの事件の確定死刑囚が、この時代に再審の末に次々と無罪になり、いわゆる4大死刑冤罪事件として社会的注目を集めます。ここに至り、刑事司法の無謬神話は完全に崩壊し、警察・検察ならびに裁判所は、強く反省を迫られることになります。そして実際、この時期を境に、刑事司法の手法と姿勢が大幅に是正されたのは間違いありません。

 ただ、皮肉なことに、この時点で一応のみそぎを済ませたという認識が司法側に広まり、また、4大死刑冤罪事件に匹敵するような重大な冤罪がその後発覚しなかったこともあって、冤罪は徐々に社会的関心を失っていき、00年代に入るまで、ほとんど議論の俎上に載せられなくなったのです。

 一方海外では、90年代以降、科学捜査の技術発達により、冤罪を取り巻く環境が劇的に変化していきました。イギリスでは、過去の性犯罪を再度DNA鑑定した結果、なんと十数%が犯人とされた者の犯行でなかったことが判明。アメリカでも、DNAの再鑑定によって100人以上の冤罪が明らかになり(そのうち死刑囚17人)、社会に衝撃を与えました。

 その事実を受けて日本では現在、欧米式の物証を重視する捜査手法を導入して冤罪を減らすべきだ、という議論が巻き起こっています。97年に東京都渋谷区で発生した東電OL殺人事件において、無期懲役が確定したネパール人男性が、その後実施されたDNA鑑定によって無罪となったことなども、そうした議論に拍車をかける一因となりました。

 しかし私は、そんなことをすればむしろ逆効果だと思う。なぜか? 物証を過度に信用するようになれば、逆に今までの日本にはあまり存在しなかったタイプの冤罪が増えてしまうと考えられるからです。

 これまで日本における捜査や裁判は、被疑者の成育環境から人柄までを十分に吟味し、真犯人であるか否かを見極めるのが正攻法であり、それによって一定の成果を上げてきました。世界的に見て、日本における冤罪の発生率は非常に低いとされているのです。

 ところが近年、警察・検察が、欧米式の物証至上主義へと徐々に傾斜を強めていったことによって、従来ならあり得なかったミスを犯すようになりました。09年、当時厚生労働省局長だった村木厚子さんが、障害者郵便制度を不正利用したとして逮捕された事件において、大阪地検の担当主任検事が物証を改ざんするという前代未聞の不祥事が明らかになった事件や、インターネット掲示板に襲撃・殺害予告を書き込んだ際のIPアドレスのみを証拠として、12年に無実の4人を誤認逮捕し、結局、翌13年に片山祐輔容疑者を威力業務妨害容疑で逮捕するに至った遠隔操作ウイルス事件などはその最たるものです。

 冒頭で述べた通り、われわれ人間は、たとえどんなに多くの証拠や手段を与えられたとしても、”神の視点”から”真実”を明らかにすることなどできない。そもそも刑事司法とはそういうものではなく、証拠から想像される事件のストーリーを人間が”事実”と認定するシステムであるに過ぎないのです。そして、科学捜査といえども人間が行う以上、当然ミスは起こりますから、それによって刑事司法から完全に冤罪をなくすことは不可能であるといわざるを得ないのです。

 であれば、今までそこそこうまく回っていた”日本流のシステム”を簡単に変えるべきではない、と私は思う。捜査官が被疑者を丁寧に観察した上で判断するという伝統を捨て、欧米式の物証至上主義のメリットにばかり目を奪われれば、むしろ従来とは別種の冤罪を多数生み出しかねないのです。

河合幹雄(かわい・みきお)
1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著書『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、04年)では、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった。その他、『終身刑の死角』(洋泉社新書y、09年)など、多数の著書がある。

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