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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第2回

『国家論』人間は必然的に諸感情に従属する。

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(写真/永峰拓也)

『国家論』

スピノザ(畠中尚志訳)/岩波書店(40年)/660円+税
17世紀オランダの哲学者スピノザが最晩年に著した国家論。実際の人間性からかけ離れたユートピアではなく人間の感情と欲望に重点を置いた国家の運営を説く。未完のまま死後に遺稿集の一編として出版された。

 スピノザは『国家論』のなかで、国家は必然的に生まれてしまうものだと述べています。

「およそ人間というものは、野蛮人たると文明人たるとを問わず、いたるところで相互に結合し、何らかの国家状態を形成する」

 ときどき未開社会には国家は存在しないなどといわれますが、スピノザにいわせればそんなことはないんですね。人間が集まればたとえ未開社会であろうと国家は生まれてしまう。では、このときの国家とはいったい何なのでしょうか。

 国家とは何かという問いは一見、難しそうですが、国家というものの基本的な機能を抽出して考えるなら、それほど難しくはありません。国家とは、集団の誰もが従わなければならない「決まり」を物理的な強制力をつかって人びとに守らせる、その仕組みのことです。その「決まり」は、近代国家においては明文化された"法"として確立されますが、だからといってかならずしも明文化されている必要はありません。ともかくも集団的な「決まり」に人びとを従わせ、守らなかった人間には強制的に何らかの制裁、つまり処罰を与える。その仕組みが国家と呼ばれるものの本質です。

 たとえば戦国時代の日本には統一された国家は存在しませんでしたが、それでも各地の村は、泥棒がいたら自分たちで捕まえて処刑したり、他の村や武士たちの侵入を自らの武力によって防いだり、ということをしていました。これを「自警団」といいます。物理的な力によって集団的な「決まり」を貫徹する、という仕組みに注目すれば、国家は近代的な国家以外にもいたるところに見いだされるものなんですね。

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