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第1特集
"戦争映画"が描いた天皇制最新事情

戦争映画が描く天皇の姿――邦画最大タブーの"検証と最前線"

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――スタジオジブリによるアニメ作品『風立ちぬ』、ベストセラーの映画化『永遠の0』、巨匠・山田洋次監督がメガホンを取った『小さいおうち』……。昨今、戦争をテーマにした作品がリリースされている。こうした中、戦争、そして天皇の姿とはどのように描かれてきたのだろうか? 映画史における天皇像を検証することで明らかになる、日本人の心象風景とは?

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(絵/管 弘志)

 安倍晋三首相による靖国参拝や従軍慰安婦問題が国際化する中、ここにきて、戦争、あるいは戦時中の時代を背景に持つ映画の公開が続いている。では、その中で天皇は、どう描かれてきたのか? そして、映画における、天皇の“タブー”はいまだ、存在するのか──。これが本稿のテーマであるが、まず天皇が登場しない一本の戦争映画の話から始めたい。

 その映画とは、2014年2月初旬の時点で、全国週末興行成績7週連続首位、累計動員540万人、興収66億を突破するという大ヒットを記録している『永遠の0』【1】である。現代(映画では04年)に生きる青年が、自分の本当の祖父は特攻隊で戦死していたことを知り、戦場での祖父を知る人たちにその生きざまを聞いていくというストーリー。最新のVFXで太平洋戦争の空戦も再現したこの映画は、久々に作られた特攻隊映画のひとつだともいえる。

『雲ながるる果てに』(53年)、『あゝ決戦航空隊』(74年)など、邦画史上、いくつもの作品が公開された特攻隊映画だが、それらの作品群とは異なる作風を感じた、と語るのは、元日本大学藝術学部教授で、映画史の専門家である岩本憲児氏だ。

「この映画では主人公の宮部久蔵は、愛する妻と娘のために生きて帰る、ということを信条としているだけではなく、映画の中で「お国のため」という言葉が一言も登場しない。おそらく意識して登場させなかったのだと思いますが、特攻を扱った映画としては珍しいトーンである印象を受けました」

 そして、実際の戦地では重要な言葉であっただろうにもかかわらず、映画『永遠の0』で登場しないキーワードがもうひとつある。それが“天皇陛下”という言葉である。戦時下、日本国民の意識を探る上で欠かすことができない要素である天皇の影を、おそらく意図的に覆い隠したであろうこの映画。映画館のターゲットである若者たちに戦時中の話に感情移入させるためには、「天皇」には言及しないほうがいいという判断だったのだろうか……?

『終戦のエンペラー』に見る天皇の戦争責任

 一方、終戦直後の日本を舞台に、昭和天皇を登場させたアメリカ映画が昨夏公開された。マッカーサーの軍事秘書を務めていた、実在した知日派のアメリカ軍人・ボナー・フェラーズを主人公にした『終戦のエンペラー』【2】である。

 マッカーサーの命により、天皇を裁判にかけるか否かを判断するべく、昭和天皇の戦争責任の有無を調査するフェラーズの行動を縦軸に、東條英機、近衛文麿、木戸幸一といった太平洋戦争の要人も登場して物語は展開される。話の焦点である昭和天皇が、実際に画面に登場するのは映画のラスト。マッカーサーとの会見場所に現れた昭和天皇を演じるのは、歌舞伎役者の片岡孝太郎である。この作品について、映画評論家の佐藤忠男氏は、次のように感想を話す。

「『戦争を始めた責任は天皇にはなく、戦争を終結させたのは天皇である。だから天皇の戦争責任はない』という劇中でのフェラーズの結論は、まさに日本人の天皇の戦争責任に関する公式見解そのままで、その点では目新しさは感じませんでした」

『終戦のエンペラー』のプロデューサーである奈良橋陽子は、外交官の家に育った経歴を持ち、その祖父は映画にも登場する。昭和天皇のそばに仕えた宮内次官・関屋貞三郎がそれだ。

 奈良橋氏は、自分の家で伝え聞いてきた話や資料をもとにこの映画の内容を構築したそうだが、同作はあくまでアメリカ映画。監督はイギリス人である。

『終戦のエンペラー』のラストで、マッカーサーは「握手は厳禁。写真は皇室のお付き写真家によるもののみ」と日本側から事前に注意を受けていながら、昭和天皇に握手の手を差し出す。昭和天皇は、一瞬迷った表情を見せながらも手を握り返す。さらに日本側の制止を聞かず、アメリカ軍側のカメラマンによる写真撮影が行われる。そのとき撮られたのが、あの有名なマッカーサーと昭和天皇が並んだ写真だという筋書きだ。

 現人神だった天皇が人間となる際の心の微妙な動きも垣間見え、なかなか興味深い映像となっていたが、ここで肝心なのは、これが海外の作品であるということ。日本映画である『永遠の0』は天皇の姿をひた隠しにし、天皇が登場したのはアメリカ映画。このあたりの逆説に、あるいは天皇と映画をめぐるタブーを読み解く鍵が隠されているかもしれない。

 そもそも戦前においては、天皇を堂々と画像に映すことそのものがタブーだった。前出の・岩本氏の『映画のなかの天皇』(森話社)によれば、戦前の検閲基準において、皇室の過去・現在にかかわらず、天皇の姿、すなわち“尊影”を画像として映してはならず、尊厳を損じるようなものも不可、とされていた。

 天皇は戦前の大日本帝国憲法において「神聖ニシテ侵スベカラズ」とされた存在であり、その画像は公式な写真である「御真影」以外は、みだりに写してはいけないものだったのである。当時、ニュース映画などに昭和天皇の行幸や観兵する姿が映し出されることはあったが、劇映画に登場させることなどは許されなかったのだ。

 天皇が劇映画の中に登場するのは、戦後を待たねばならない。日本映画史上、最初の天皇映画として記憶される作品が、57年の『明治天皇と日露大戦争』【3】である。日露戦争を背景に、御前会議で発言したり、避暑を勧める重臣に「戦地の兵に避暑があるか」と叱りつけたりする姿が、堂々と映し出されている。

 明治天皇を演じた嵐寛寿郎は、「アラカン」の愛称で親しまれた、当時の時代劇の大スター。この映画を製作した新東宝の社長であった大蔵貢から「明治天皇を演じてほしい」と依頼されたアラカンは、「とんでもない。不敬罪になりますわ」と仰天したという。渋るアラカンを説得した大蔵は、彼に明治天皇としての威厳を持たせるために、毎日ハイヤーをアラカンの家に回させ、新東宝の撮影所では重役・スタッフが勢揃いして「陛下のおなり」と出迎えてその気にさせたという逸話が残っている。

 また、この映画が製作された50年代から60年代にかけては、保守と革新の両陣営の衝突が激しかった時代であり、必然的に映画会社も左右双方に気を使いながら映画製作をする必要があったという。

 そんな中で製作された『明治天皇と日露大戦争』で描かれた明治天皇像は、戦前のイメージそのままの、威厳がありながら民を思う明治天皇の姿であり、これは老人から子どもまで幅広く受け入れられ、大ヒットを記録した。前出の岩本氏も、中学校時代に教師引率の学年全体で映画館に観に行った記憶があるという。

 そのほか、天皇が登場する作品を挙げてみると、日本映画として初めて昭和天皇を正面から映した『大日本帝国』【4】や、45年8月14日~15日にかけての出来事を描き、昭和天皇が後ろ姿からのみ登場する『日本のいちばん長い日』【5】などが有名だろう。

 外国映画では、トム・クルーズと渡辺謙が主演した『ラストサムライ』【6】に、明治天皇が登場する。『ラストサムライ』のストーリーは西南戦争をモデルにしているとされるが、基本的には架空の人物たちによるフィクション。トム・クルーズに向かって英語で話しかけるこの映画の明治天皇像も、アメリカ人によるイメージの産物なのかもしれない。とはいえ、中村勘三郎の息子である中村七之助演じる明治天皇は、どことなく神秘的な雰囲気も漂わせている。

 ここで興味深いのは、『ラストサムライ』の中村七之助、『終戦のエンペラー』の片岡孝太郎、そして『明治天皇と日露大戦争』の嵐寛寿郎も歌舞伎界出身と、天皇はしばしば歌舞伎役者によって演じられるということである。『ラストサムライ』『終戦のエンペラー』に関しては、プロデューサーの奈良橋陽子が、日本の伝統が身体に染み付いた歌舞伎役者が演じることがふさわしいという理由でキャスティングしたという。現在に至るまで、日本の伝統的な身分制度の頂点に位置してきた天皇に最もそれらしく扮することができたのは、身分制度の埓外に位置してきた芸能の民である歌舞伎役者だったのである。

人間・昭和天皇を描いたロシア映画『太陽』

 昭和天皇を主人公として据え、終始人間的な表情も含めて描いたほとんど唯一の作品が、06年に日本公開された『太陽』【7】である。ロシア人監督アレクサンドル・ソクーロフの手になるこの作品では、ひとり芝居で知られるイッセー尾形が昭和天皇に扮し、「あ、そう」という口癖や口をモグモグする仕草など、伝えられる特徴をリアルに表現している。

 新右翼団体一水会の顧問で、『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)、『映画「靖国」上映中止をめぐる大議論』(創出版/ともに共著)など、映画関連の著書がある鈴木邦男氏は、実際にソクーロフ監督から映画製作に当たって事前に相談を受けたひとりだ。鈴木氏が話す。

「ソクーロフはこの映画を作る際、歴史学者や大学教授など、さまざまな日本人に相談したそうですが、私以外の全員は『そんなものを作ったら命が危ないから、やめたほうがいい』と反対したそうです。しかし、私は彼が持っていた2つの要素についてのみ反対するにとどめました。それはロシア人が昭和天皇を演じるということと、タイトルを『ヒロヒト』とするというプランでした」

 映画『太陽』では、アメリカ人から「チャーリー(チャップリン)」と呼ばれ、おどけてみせたり、皇后に抱きついたりという、人間らしい天皇の姿が描かれる。

「天皇が人間になった過程を描くとともに、外国人の目から天皇がどう見られているかを教えてくれて、とても興味深い映画でした。それにしても、この映画は外国人監督だから撮れたのであって、日本人監督では、タブーに挑んでいるとされる森達也のようなジャーナリストだって撮れないでしょう。現在の日本映画の作り方は、広告代理店やテレビ局が出資し合う製作委員会方式が主流ですから、ますます繊細なテーマの作品は作りにくくなっているのではないでしょうか」(鈴木氏)

『太陽』は、日本での上映が難航し、ロシアでの完成から日本公開まで2年を要した。とはいえ、上映後は目立った妨害などはなく、人間的な昭和天皇像が新鮮な驚きをもって観客に迎えられた。そもそも、『明治天皇と日露大戦争』が公開された時点で、すでに当時の天皇は現人神ではなく、「人間宣言」をし、日本国憲法で「天皇は日本国の象徴」と規定されていた。天皇の映像化そのものに関するタブーは、ある意味、戦後すぐにマッカーサーと天皇が並んだ写真が新聞に掲載されたその時に解かれていたのかもしれない。

 さりとて、天皇に関する映画のタブーはもう存在しないのかというと、実際、そうとはいえないのではないだろうか。これまで挙げてきた天皇が登場する映画の中で、天皇を批判する要素があるものは見当たらないからである。前出の岩本氏は話す。

「戦後間もない頃は『人間へ降りて来た天皇』に対して、労働運動や共産党陣営が天皇の戦争責任ということを頻繁に口にしていました。しかし、そのあたりを描いた映画というのは今までほとんどなかったように思います。戦後直後46年に『日本の悲劇』【8】というドキュメンタリー映画があり、昭和天皇が軍服から私服姿に変わる映像を映し出して、間接的に戦争責任を表現したのですが、これは(当時の内閣総理大臣)吉田茂がGHQの上層部に訴え、公開途中で上映中止になりました」

 天皇制批判というテーマでいえば、かつて大島渚監督の『儀式』【9】という映画が日本の家父長制を痛烈に批判し、それが天皇制に対する批判にもつながっているのではないかと論評されたこともあったが、それはあくまで解釈の領域である。鈴木氏の言葉にあるように、製作委員会方式で思想的に繊細なテーマはますます敬遠されるようになっている。いわば、天皇批判こそが映画に残された最後のタブーであり、それを破る映画は今後も現れないのではないだろうか。

『風立ちぬ』は本当に戦争映画ではないのか

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ゼロ戦をテーマにした映画のヒットにより、関連商品も発売されている。

 ここで再び最近の戦争映画を見てみたい。昨夏公開された、宮崎駿監督の『風立ちぬ』【10】は、零戦の設計者である堀越二郎をモデルに、結核の女性との恋愛を描いた堀辰雄の小説『風立ちぬ』(新潮文庫)を下敷きにして、宮崎流のロマンを展開している。宮崎監督はこの作品について、「戦争を糾弾しようというのでも、若者を鼓舞しようというのでもなく、自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたかった」と語っている。これについて、前出の佐藤氏はこう話す。

「『風立ちぬ』には、戦前の技術に誇りを持とうという姿勢が見られます。それはいいのですが、宮崎監督は、戦闘機から戦争の道具であるという要素をなるべく排除しようとしている。しかし、戦闘機の設計者が、純粋に技術を極めることだけを考えていて、戦闘機を戦争の道具としては作っていなかった、などということがありえるでしょうか」

 同じく零戦を扱った映画である『永遠の0』について、佐藤氏はこう続ける。

「そもそも、反戦要素のない戦争映画というのは基本的にはなく、『永遠の0』は確かに反戦的ではあると思います。ただ、戦争を懐かしみたいという要素も見られるのも事実。特に空戦は、直接の肉体が見えない方法で戦うわけですから、一見良心が咎める部分が少ない。絵柄的にも残虐性があまり感じられず、良心の痛みを感じない部分で戦争を回顧したいという欲求には格好の題材といえます。『永遠の0』は、生きて帰ることを自分に命じている人を主人公にしている点は新しいのかもしれませんが、結局家族のために死ぬという最後であり、これまでの特攻隊映画の系譜を破るものだとは思えませんでした」

 折しも、中国や韓国では『永遠の0』について、「軍国主義の映画」として報じられ、安倍首相が鑑賞して「感動した」と語ったことまでが国営テレビで取り沙汰されるなど、批判的にとらえられているようだ。これについて日本では、「どこが軍国主義の映画なのか」と反発を持って受け止められており、溝は深まるばかりだ。

 先の佐藤氏が伝え聞くところによれば、アメリカの日米交流機関であるジャパン・ソサエティでは日本の戦争映画の紹介をしている。だが、加害者としての視点がある映画は『人間の條件』くらいしかなく、とはいえ『人間の條件』【11】ばかり上映するわけにもいかず、新しい作品を……と担当者は口にしているそうだ。

 今回の都知事選では『永遠の0』の原作者の百田尚樹が元自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏の応援演説に立ち、保守的持論を展開して物議を醸した。来年、戦後70年という節目を迎えようとしている今、戦争映画が描く戦争はどのように変化していくのか、今回のテーマでいえば、そのあたりも注視すべきなのだろう。

 最後に、現在公開中の、興行的には小ぶりなものの、良作について触れておこう。作家・中島京子の直木賞受賞作を山田洋次監督が映画化した『小さいおうち』【12】は、日中戦争から太平洋戦争に至る時代を背景に、サラリーマン家庭の主婦と、その夫の同僚とのささやかな恋愛事件が、女中の視点から描かれる。さらに本作は、その女中が老女となって、自叙伝をしたため、それを孫のような存在である青年が読むという構成を成している。

 この映画の中で、語り手の老女が、日中戦争当時のことを、「支那事変で世相は沸いていた」と綴っているのを見て、青年は「日中十五年戦争はもっと悲惨だったはずだ。嘘を書いちゃだめだよ」とたしなめる。しかし、当時を生きた老女には、それが実際に体験したその時代の空気なのだ。

 映画は、あくまで恋愛事件を中心に展開し、戦争は遠景の舞台装置にとどまっているのだが、かえって戦争のリアルな情景を映し出しているようにも感じられる。この映画について、鈴木氏はこう話す。

「ある家庭の日常を通して、当時の雰囲気が正確に映し出された映画だと思います。戦争の時代にも庶民には日常の楽しみがあり、生活の営みがあったのは紛れもない事実。後世からの思い込みで、戦争はすべて悪であり、悲惨であると決めつけるのは、かえって事実を見誤って危ないと思います。今日、『天皇や皇室を守る』と言いながら、かえって皇室の人たちに迷惑をかけるような、望ましくない愛国心のあり方を掲げる人が少なくありません。国のあり方をきちんと見つめるためにも、当時の感覚を正確に再現した映画は貴重なのではないでしょうか」

 日本人と戦争、そして天皇制。このテーマを、日本映画は本当に描ききることができてきたのだろうか。その答えは、いまだ出ていないのだ。

(取材・文/里中高志)

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【1】『永遠の0』
監督:山崎貴/出演:岡田准一、三浦春馬ほか/配給:東宝
百田尚樹のベストセラー小説が原作。現代に生きる青年が特攻で死んだ祖父のことを調べていく過程で明らかになる事実が、戦時中のパートと交錯しながら描かれる。(13年公開)


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【2】『終戦のエンペラー』
監督:ピーター・ウェーバー/出演:マシュー・フォックス、トミー・リー・ジョーンズほか/発売:松竹
アメリカ軍人フェラーズの視点から、終戦直後の日本を舞台に、昭和天皇の責任問題をめぐる調査が描かれる。ハリウッド映画らしく、日本人女性とのラブストーリーも。(13年公開)


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【3】『明治天皇と日露大戦争』
監督:渡辺邦男/出演:嵐寛寿郎、阿部九洲男ほか/発売:バップ
明治天皇が登場し、日露戦争の数々の戦いや、御前会議での様子などが描かれる。同じ嵐寛寿郎主演で『明治天皇と乃木将軍』『天皇・皇后と日清戦争』も作られた。(57年公開)


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【4】『大日本帝国』
監督:舛田利雄/出演:丹波哲郎、あおい輝彦ほか/発売:東映ビデオ
昭和11年から昭和20年までの時代を、国家・指導者・庶民の3つの視点から描いた大作。昭和天皇は歌舞伎役者の市村萬次郎が演じ、正面からのアングルで登場。(82年公開)


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【5】『日本のいちばん長い日』
監督:岡本喜八/出演:三船敏郎、山村聰ほか/発売:東宝
大宅壮一の著作を原作に、昭和20年8月14日から15日までの終戦に至る1日が描かれる。昭和天皇は八代目松本幸四郎が演じ、後ろ姿のみ描かれた。(67年公開)


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【6】『ラストサムライ』
監督:エドワード・ズウィック/出演:トム・クルーズ、渡辺謙ほか/発売:ワーナー・ホーム・ビデオ
明治維新後の日本を舞台に、新政府と武士たちの戦いを描く。監督は日本史にも造詣が深く、西南戦争をモデルにしたとされる。渡辺謙のハリウッド進出のきっかけとなった。(03年公開)


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【7】『太陽』
監督:アレクサンドル・ソクーロフ/出演:イッセー尾形、ロバート・ドーソンほか/発売:クロックワークス
終戦前後の数日間を舞台に、昭和天皇の苦悩と日常が描かれる。研究に勤しんだり、ハリウッドの俳優の写真を眺めたりする人間的な姿が印象的。(06年公開)


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【8】『日本の悲劇』
監督:亀井文夫/発売:ケイメディア
ソ連で映画を学んだこともある社会派の映画監督、亀井文夫によるドキュメンタリー映画。GHQの検閲は通ったものの、吉田茂が米軍高官に訴え公開後1週間で上映中止になった。(46年公開)


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【9】『儀式』
監督:大島渚/出演:河原崎建三、中村敦夫ほか/発売:紀伊國屋書店
家父長制を基盤とした3世代が複雑な人間関係を成す旧家を舞台に、個人が家へとのみ込まれていくさまや、戦後世代の若者の悲劇を描く。大島渚によるひとつの日本論。(71年公開)


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【10】『風立ちぬ』
監督:宮崎駿/声の出演:庵野秀明、瀧本美織ほか/配給:東宝
関東大震災から太平洋戦争にかけての時代を舞台に、戦闘機の設計者の飛行機にかける情熱と、結核に侵された女性との恋愛を描く。零戦設計者・堀越二郎がモデル。(13年公開)


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【11】『人間の條件』
監督:小林正樹/出演:仲代達矢、新珠三千代ほか/発売:松竹ホームビデオ
五味川純平のベストセラー小説を原作に、戦争の非人間性を描いた超大作。全6部、合計上映時間9時間27分に及ぶ。仲代達矢が戦争の苦しみに苛まれる主人公を演じた。(59年公開)


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【12】『小さいおうち』
監督:山田洋次/出演:松たか子、倍賞千恵子ほか/配給:松竹
倍賞千恵子演じる老女が、かつて女中奉公をしていた時代を回想し、手記を書くという構成で、戦前から戦中の一家庭の日常と恋愛事件、そして戦争に至る世相を描く。(14年公開)


映画で描かれる反体制思想
タブーに挑んだ独立プロと革新的映画人たち

 戦後、左翼思想を投影させた作品が多数作られてきた。そうした映画人の歩みを見ていこう。

 戦後の映画界に反体制的な思想を持った映画人は多かったが、反体制的な要素のある作品は映画会社の意向に沿わず、なかなか作ることができなかった。そんな中老舗映画会社の松竹で、若返りを期して若手監督を起用したことで起こったのが60年前後の「松竹ヌーヴェルバーグ」である。その筆頭が大島渚で、『日本の夜と霧』では、安保闘争を舞台に学生活動家たちの対立を扱うというタブーに挑んだ。だが、この映画の主張の激しさにより会社と対立、独立プロ「創造社」を設立。その後も権力機構や日本というシステムそのものに挑むような作品を撮り続けた。

 同じく松竹ヌーヴェルバーグの担い手であった篠田正浩や吉田喜重も、それぞれ独立プロ「表現社」と「現代映画社」を設立。大手映画会社が扱えないタブーに挑んだ作品群は、これらの独立プロによって作られていたのである。

 大島渚は、その後、権力だけではなく性に関するタブーに挑んだ作品『愛のコリーダ』も発表するなど、精力的な活動を続けたが、13年に死去。篠田正浩は日本現代史における共産主義と天皇制というテーマにも挑んだ03年の大作『スパイ・ゾルゲ』で引退。吉田喜重も作品を撮らなくなって久しい。タブーに挑んだ作品が生まれにくくなっている今こそ、既成の概念に挑む意欲的な若手監督がもっと現れてほしいものである。

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