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連載
荻上チキの新世代リノベーション作戦会議 第17回

『震災以降も「原子力ムラ」は何も変わっていない』 原発と共に生きる人たちの現実【後編】

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【前編はこちら】

真に弱者の立場に立った「神話」をいかに作るか

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開沼博氏の著書『「フクシマ」論』

荻上 なるほど。今の対立図式なら、「わかった、まずは検査をし、実態を把握しよう」というのが通常の科学事実に基づいた合意形成のための議論だと思うんですが、そうではなく、ある種の同調圧力みたいなものが議論を席巻してしまっていると。それが「安全寄り」になるか「危険寄り」になるかは、各自のバイアスや、偶発的なカスケードの性質によってしまう。しかし、そうした立ち位置の相互監視になるような状況でも、耳障りの悪い情報の発信を控えない「応答する科学者」の姿は尊敬に値しますし応援しますが、著書で苦言を呈されていた知識人のコミットメントの「その後」のあり方については、どう思われますか?

開沼 『「フクシマ」論』の補章で、森鴎外の「かのように」という言葉を出しました。これは要するに、近代が、あたかも天皇を神である「かのように」扱う、というような「あえて作る神話」を前提にしつつ成立してきたことを示す言葉といえるでしょう。そのような、いわば「前近代の残余」ともいえるものに支えられた構造が、戦後ないしポスト近代などといわれる時代にも繰り返し立ち現れていて、先ほどの例のように3・11後もまさに現在進行形で「かのように」が形成されている。

 この構造が不可避だと自覚した上で、いかにこれまでと違う形で「あえて作る神話」を再構築できるかに取り組むことが、知識人のコミットメントの仕方としてあるでしょう。その意味では、「福島を自然エネルギーの拠点開発研究基地に」といった神話の作り方もあるのかもしれない。ただ私は、「原発をなくして自然エネルギーにすれば問題全部解決」みたいな楽観的な立場はとれません。政策として打ち出した時に必要となる広大な土地をどう確保するのか。「荒れてる田畑でいい」「海岸と山でいい」というなら、それを嫌がる住民にどう対処するのか。「カネで解決」という問題ではありません。すでに反風力発電運動も各地に存在している。国や企業の設計主義的・開発主義的な志向が今回の原発事故の根底にあるにもかかわらず、その志向を再び呼び出し、形は違えど同じ構造を再生産することは避けなければならない。神話構築をする立場に立つならばまず、その負の面をこそ見定めるべきです。自己相対化なき神話構築には与せません。

荻上 「原子力ムラ」を「自然エネルギームラ」に単純に置き換えればいい、という話にはならないと。

開沼 はい。ハイエクの提示した枠組みを用いれば、設計主義対自生的秩序の対立において自生的秩序を見落としてはならない、という観点に立っているとも換言できますね。原子力ムラの来歴をたどると、その強固な秩序は、単にエネルギー政策という一分野にとどまらず、まさに明治以来の日本の近代化全体を通じての政治・経済・文化の複合構造の中で成立している。それを「自然エネルギーいけいけどんどん」の設計主義的方法で変えようとするには、近代が生み出してきた問題を再度反復し乗り越えていくような、相応の覚悟が求められます。日本版スマートグリッドの構想についても同様です。

 ただ、言いたいのは、それらがだめだからやめろということではない。「今の時点で答えは出せない」というのが私の結論です。むしろ、知識人が「すぐに答えを出さなければ」という不安に駆り立てられていることこそ問題で、なぜわからないものを、そうと言わないのか。安直な「希望」を打ち出さずにいられない性急さを批判しながら、常に再構築・アップデートできるような形で「あえて作る神話」を模索するという方法にしか、真の希望は見いだせません。

荻上 開沼さんは、常に神話チェックの側に居続けることが社会科学者としての倫理だというお立場なのだと思いますが、それはひとつの選択として正しいと思う。脱原発議論は続くでしょうが、それがニセ科学からつながる自然信仰的なものや、レッテル貼りでわかりやすい敵を求める陰謀論や排外主義とも結びつきかねない危うさは、現時点でも感じられる。だから、常に聞き手にとってノイズとなるような、「取りこぼされた声」を可視化し続けていくことになるのでしょう。今は喧騒と戦い、またしばらくたったら忘却と戦う、骨の折れる作業ではあると思います。

開沼 私の作業に対するありがちな批判に「お前は地元の立場をカサに着て、弱者の権威性を利用している」といった、他のマイノリティー論においてもベタな指摘があります。これには「弱者の側に立って何が悪いんですか?」としか回答のしようがない。今脱原発の喧騒の中にいる者たちが5年後、10年後、いや半年後にすら今ほどの熱意を持ってその志向にコミットしている可能性は限りなく低い。脱原発運動の関係者にインタビューをすれば、すでに、社会運動にありがちな、自らの絶対的正義を疑わない者同士の内部分裂が始まっていることが漏れ伝わってくる。

 一方で地元の人は、原発を停止するにしても、この先30年、50年と原発と共に暮らさなくてはならない。手元の資料に、4月に入手したいわき市内の眼鏡屋さんの広告があるんですが、そこには「放射線や花粉をキレイに洗い流しましょう!」とある。「原子力と共に生きなくてはならない社会」が、形を変えながらも再生産され、死ぬまでそこに生き続けると決めている人々がいる。そちらの側に立つのは当然のこと。「絶対的正義」を相対化されて悔しかったら「忘却」の後、ぜひ地元に来てください。お待ちしてますよ。

[対談後期]
著書発売以降、積極的に「嫌われ役」を買って出ている感のある開沼氏。カギカッコ付きの「フクシマ」を題に取り入れた彼のスタンスは、「地元の代弁者」などではなく、あらゆる「熱狂」への水差し役、すなわちあの瞬間から生まれた「熱狂」の中で、うめき声がかき消されること、そして「熱狂」の後に、あっという間に関心の潮が引いていくことへの警鐘だ。歴史的検証はこれからも求められる。とにかく、「小さな声」を取りこぼさぬよう、くまなくかき集めていこう!(荻上)

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荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ。メディアから社会問題まで幅広く調査・分析する評論家。思想系メールマガジン「αシノドス」編集長。近著に『セックスメディア30年史』(ちくま新書)、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)がある。


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開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。学部時代から「福島原発」を対象に「日本の戦後成長」と「中央と地方」の関係をめぐる研究を開始、修論をベースに『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)を今年6月上梓。

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