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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第2回

オールド・メディアとどう付き合うか

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 インディーズで雑誌をやっていたりするせいか、電子書籍について意見を求められることが多い。そのたびに微妙な気分になる。そりゃあ紙の本は早晩大きくその存在理由を問われることになるだろうし、iPadあたりの登場はもしかしたら新しい文学を生むかもしれない。パソコンの普及がノベルゲームの進化をもたらし、ケータイサイトの充実がケータイ小説を生んだように、環境の変化はときに人間の想像力それ自体を変化させる。

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宇野氏が編集協力も務める「思想地図vol.4」

 だが、僕がちょっとうんざりしているのは、多くの業界人がこの電子書籍化みたいな「大きな問題」をある種のイイワケにしていることだ。そりゃあ、週刊少年誌の部数が落ちているのは若者の「本離れ」の一環で、その背景にはインターネットと携帯電話、つまりコミュニケーションに時間とお金を取られてコンテンツ(本やCD)にこれまで割かれていたコストを侵食している、くらいの分析もすぐにできる。これはとても重要な問題で、1冊本が書けるくらいだし、その結果、現代文化が大きく変わりつつあるのも確かだ。と、いうか僕の仕事はその変化を世に知らしめることがかなりの割合を占めている(気になる人は「思想地図」vol.4を読んでほしい)。しかし、批評家としてではなく編集者としての僕が考えているのは、もう少し別のことだ。つまり、確かに週刊誌やマンガ雑誌が売れなくなったり、広告モデルそのものが成立しなくなったのは「社会の大きな変化」だろう。しかし、5000部出れば採算が取れるような高い本(たとえば純文学のハードカバーや、サブカル本)が売れなくて赤字で愚痴をこぼすのは、「出版不況」のせいでもなければ「ネットワーク化」のせいでもない。それを「大きな問題」のせいにするのは、目の前のリアルな問題から目をそらす行為だ。そういうのって、単に送り手の努力と能力不足だと思う。

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