祇園の夜に乱舞した、昭和の芸妓舞妓たち

――あなたの知らない「夜の世界」をご案内します

5000億円企業・大王製紙創業家3代目の御曹司であり、東大法学部卒の超エリート。自ら起こした事件を受けて、会社を去ることになったが、自身が有する莫大な資産と華麗なる人脈、そして、その人柄に変化なし。そんな井川意高が、若き日から今に至るまで夜な夜な繰り出してきた「天上の宴」というべき夜の世界に大衆を誘う。実業家、資産家、芸能人、文化人、港区女子……そこには、どんな人々が集い、いかなる物語が奏でられてきたのか――。

茶道の若宗匠を囲む会での出来事を綴った前回の続き、嵐山吉兆から祇園に戻り、お茶屋「富美代」での二次会の話である。

吉兆での乱痴気騒ぎを引き起こした酒も、30分ほどの車での移動のうちに少しは醒めて、富美代の2階の大広間では、客も芸妓舞妓も落ち着いて、各々の膳の前に座り飲んでいた。談笑が続く中で、場の勢いに乗るようにHIROさんがイチモツ自慢をしたのである。

「オレのあそこは、大銀杏(相撲取りの髷)のように大きくて、殿様の髷のように立派に立つんだぜ」

他愛もない酒席の冗談だが、HIROさんの年長の従兄弟にあたる茶道の若宗匠が、「HIRO、なにゆうてる。おまえのあそこは町人の横向いた小ちゃい髷やで」とからかった。

するとHIROさん、まだ残っている酒の勢いか、「ほな見せましょか!」とズボンとパンツを脱いで、隣の舞妓のおふく(舞妓の結髪)の上にイチモツを載せたのだった。

「キャー」とも「ギャー」ともいえない悲鳴が座敷中から発せられ、くだんの舞妓に至っては泣いて座敷を飛び出していった。

若宗匠は、「HIRO、おまえなにやっとんねん。おまえの汚い髷見せられても酒がまずうなるだけやで」とおかんむりである。

「いやいや、若、すみません」と頭を掻くHIROさん。しばらくしたら飛び出していった舞妓も戻ってきて、「お兄さん、ひどおすえ〜」と抗議。HIROさんも「すまん、すまん」と素直に謝り、飲みの再開となったが、吉兆での真っ裸といい、富美代でのイチモツ露出(どころか舞妓の頭に載せる)といい、普通の客なら永久出禁間違いなしだったろう。時代も時代だったが、茶道の次期家元や、父の代から京都を代表する大企業の二代目がいる席だから許されたご乱行ではある。

今すぐ会員登録はこちらから

人気記事ランキング

2025.10.4 UP DATE

無料記事

もっと読む