野田政権が掲げるべき増税の対価と日本の未来像【後編】

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失われた20年に対する「新しい成功への道」

神保 ただ、日本には一般の有権者が選挙か世論調査以外の方法で、政治に参加したり、自分たちの政治的意思を表明する場が極端に少ないですよね。まだ民主主義が未熟なのかもしれませんが、元々一般の市民は政治との接点が少なく、いわゆる民意を吸い上げるチャンネルが整備されていないと思う。さらにマスメディアの政治報道が政局一辺倒というひどい有様です。

宮台 以前、マル激で市民科学者について取り上げ、「民主の科学化」「科学の民主化」の両方必要という話になりました。「民主の科学化」とは、〈引き受けて考え〉た上で〈知識を尊重する〉ことです。〈任せて文句を言う〉だけに終わったり〈空気に縛られる〉ようじゃいけない。「科学の民主化」は、科学を理解可能な形で伝え、人々が科学的に思考できるようにすること。例えば内部被曝によるがん増加。「統計的に有意なデータはない」と言われますが、「数値が微妙すぎて」確たることは言えないのでなく、「サンプルが少なすぎて」母集団について推定しきれない。母集団の有意な推定が可能になるサンプル数が得られるのは物凄い大災害が起こった時。でも僕らが追求したいのは、大災害が起こる前に原発をどうするか決めること。「統計的に有意なデータがない」から何もしないのは、合理的じゃない。「民主の科学化」には「科学の民主化」が不可欠。そこではマスメディアが、社会心理学者ラザースフェルトの言うミドルマンを擁し、アカデミズムとピープルを媒介すべきです。ところが日本のメディアは、高い専門性を有したミドルマンを欠きます。

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