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【premium連載】声を殺して泣く理由 ~虐待を生き延びたサバイバーたちの素顔~第3回

わたしは「できそこない」? 虐待された女の子が自信をつかむまで

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――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。

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 大阪で編集者をしているメグさん(仮名・49歳)は、幼いころに両親から虐待を受けていたという。彼女とわたしとの出会いは5年前、池袋のカラオケボックスで開いたサバイバーのオフ会がきっかけだ。華奢な腕で重そうなスーツケースを引きずり、「夜行バスで来ましたわ」と笑うメグさんは、バイタリティの塊そのものだった。

 18歳のとき、メグさんは家族から逃げるために家を出た。その後、彼女は平和な日常を手に入れることができたのだろうか。親との関係は現在どうなのだろう。今回はそんなメグさんに、親の暴力をどう受け止め、「できてしまった傷」とどう折り合いをつけてきたのかについて聞いてみた。

お母さんが、こんなヒドイことをするはずがない

――メグさんは誰からどんな虐待を受けていたんですか?

 母親からは身体的な暴力、父親からは「お前はダメだ」と言われ続けるような精神的なものが中心でした。特に母親がひどくて。たぶん人格的に問題があったんじゃないかな。

――お母さんは、どんな人だったんですか?

 脈絡なくキレる人、何が原因で怒り出すのかわからない人でしたね。たとえば、小学校の自由研究で弥生時代の女性の服装について調べたのですが、模造紙に描いた服装のイラストを母が見たとたん「小さい!」って叫び出してビリビリに破いちゃったり。殴る蹴るなどは、物心ついた4歳ごろから日常的に受けていました。

――親の「怒りのツボ」がわからないと、子どもとしては回避策がとれないから常に緊張状態ですよね。暴力についてはウチの場合、わたしの成長とともに手段や武器(道具)がバージョンアップしていきました。メグさんはどうでしたか?

 あー、ありましたねぇ。素手からモノを使う暴力になりました。覚えているのは小学5、6年生のとき。理由は些細なことだったと思いますが、母がわたしの頭をセルロイドの分厚い下敷きで思い切り殴って、それが一撃でバラバラに砕けたんです。

 自分の大事なものが壊されたショックと、「お母さんがこんなヒドイことするはずない」というショックで、しばらく起きたことが信じられませんでした。それまでは、殴るといってもグーとかパーだったので。そこからますます母のことがわからなくなって、警戒するようになっていったんです。

――その気持ち、よくわかります……。ちなみに、暴力を振るわれていたのはメグさんだけですか? 誰か味方は?

 ウチは団地住まいで、他の家族が家にいるときも殴られていました。決して広い家ではないので父も知っているはずですが、止めてはくれませんでしたね。父は高校教師で後に大学教授、母も看護学校で英会話を教えているような人だったので、娘にも優秀であることを求める……というか、わたしにとても厳しかったんです。母が、わたしとの会話の中でしょっちゅう「恩に着せるわけじゃないけど」と前置きしていたのもあって、「あぁ、自分は仕方なく養われているのかな」と解釈していました。

 逆に5歳下の弟は、すごく溺愛されていましたね。わたしより成績が悪かったのに、叱られているのも見たことがありません。弟は、こちらが殴られているのを黙って見ていたり、母と一緒になってバカにするような態度をとったりしていました。

ホイットニー・ヒューストンが力をくれた

――「長女は虐待されるけど弟は無傷」というパターンは、女性サバイバーからよく聞く「虐待あるある」です。家では四面楚歌だったメグさんの心の支えになってくれたのは、やはり友だちですか?

 それは違ったかなぁ。「自分はできそこない」という意識があったし、小学3年から中学3年ごろまでいじめにあっていたので、人が怖くて常に「防衛モード」に入っていました。だから、思春期にも腹をわって話せる友だちはいませんでしたよ。休み時間も机に座って本ばかり読んでいる子だったし。

 高校生のころは、よく無気力状態になっていたんです。でも、洋楽を聴くと元気が出ました。ホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love Of All』は大好きでしたねぇ。歌詞の中で <一番大切なのは自分を愛すること> っていうくだりが出てくるんですが、あれを聴くと「自分の中にこんなエネルギーがあったのか」とびっくりするぐらい力が湧いてきました。

――高校生といえば、わたしの場合は「自分がされていたことは虐待だ」と気づいたころです。親を憎む気持ちと、そんな自分を醜いと思う自己嫌悪の間で、ずっと葛藤していました。メグさんは両親に対してどんな感情を持っていましたか?

 わたしの場合は、両親を憎んだり見下したりしていて、そこに罪悪感や自己嫌悪はありませんでした。心理学の本をたくさん読んでいたので、「虐待」からの流れとして、子どもたちが当然そういった感情を持つようになることを知っていたんですよね。

アラフォーで男性経験なしというプレッシャー

――「家から脱出したい」という気持ちは起きませんでしたか?

 もちろん、ありました。わたしが15歳を過ぎたあたりから、母親が更年期のウツ状態になって……。暴力は止んだけど、代わりに干渉がすごかったんです。趣味で読んでいる小説のページ数をいちいち確認されたり、子ども部屋のふすまを閉めることも許されなかったりで、常に行動を監視されていました。

 ストレスがたまりにたまった高校3年のころ、「自宅から遠い大学に行けば、一人暮らしができる」とひらめいたんです。親が満足する偏差値の学校を探して受験しました。でも、実家から離れても、やっぱり親の干渉は止まらなかったんですよね。「こんなんなら意味ないや」と気力を失って中退してしまいました。そこからは実家には戻らず、派遣事務とか食品工場とかいろいろ働いて食いつなぎました。

――挫折の理由ひとつとっても、虐待が絡んでいると知り合いにはなかなか説明しづらいですよね。ほかに、生きづらさを感じていたことはありますか?

 20代前半は、他人から批判されるのが怖くて、友人の前でも手が震えていました。飲み会では「アル中」疑惑を持たれたこともありましたよ(苦笑)。あと、男性ともちゃんと付き合ったことがなくて。正直、あっちの経験(肉体関係)もなかったんです。好きになるのは、なぜか父にそっくりな「人にダメ出しをするような性格のキツい人」で、その人の前では自分が被害者みたいな振る舞いをしてしまうんです。

――他人との関係性として、「加害者⇔被害者の構図」は自分にとって慣れ親しんだものだから、自然とそうなっちゃう。

 多分そういうことだと思います。でもそんな卑屈な態度じゃ、好きな人には振り向いてもらえないんです。このまま40歳になっても「未経験」のままなら、女としても“できそこない”になってしまうのではないかって。そう思うこと自体が、ものすごい恐怖でした。

助けてくれたのは、ネットの仲間と編集者という仕事

――サバイバーは、恋愛や結婚を含めた対人関係で苦労します。だから匿名のブログやネット上のコミュニティでうっぷんを晴らしたり、虐待の思い出を綴ったりする人も多いわけですが……。その過程で当人なりの気づきを得て、自信を取り戻したり、親との関係を再構築したりするケースも多いですよね。

 うんうん、それはあると思いますよ。今はもう閉鎖されちゃってますが、わたしも30代半ばごろから「家族という名の強制収容所」というサイトにとてもお世話になっていました。そこのBBS(掲示板)でサバイバー仲間ができて、徐々にリアル(対面)でも会うようになりました。ただ、合わせたら10人ぐらいいましたけど、交友関係が続く人は少なかったですね。

――それでもサバイバー仲間との交流を通して、自分の抱えている生きづらさが、「すべて自分のせい」ではなく過去の環境によるものだと気づいたんですね?

 はい、そんな感じです。インナーチャイルドセラピー(記憶の中で、子ども時代の傷ついた自分と対話する精神治療)とか、自己啓発のセミナーなんかも行くようになって、ある程度は虐待を受けた過去と親のことを客観的に見られるようになりました。

 セミナーで近づいてきた男性と「体験」もすませたんです。30代の終わりに、ギリギリ滑り込みで。アハハ。まぁー、悪くはなかったですよね。妻子のいる人ですぐ別れてしまいましたが、向こうはセックスレスだと言っていましたし、こっちは結婚願望も子育て願望もない。お互い「利害の一致」ってことで、それでいいかと。

――その辺の解釈は当人たちにしかわからないことだと思いますが……、わたしも不倫経験者なので思い当たる節はあります。ともかく、メグさんは「自分はできそこないかも」という不安要素を1つずつクリアしていった感じなんですね。

 結果的にそうなりましたね。

――もうすぐ50歳。今の生活は楽しいですか?

 はい。編集者の仕事に就けたことも大きいかもしれません。最近では脳科学や整体の書籍を手がけているのですが、毎回新しい世界にふれられるのが刺激的なんです。子どものころから本が友だちだったし、言葉にこだわるのも向いているみたいです。

 20〜30代はずっと作曲家とか音楽のプロを目指していましたが、よく考えたら「心からやりたくて」というより「親への反抗」だったんですよね。それまではずっと逃げてきたけど、はじめて素直な喜びから選んだ仕事で、しかも小さな成功体験を積み重ねることができた。今は「自分の気持ちに素直になれる」状態に自信が持てるようになって、「わたしは100点!」って言えるようになりました。

――いいなぁ~(思わず)。大げさかもしれませんが、「自信」を持つということは、自己認識の根っこに「虐げられる」イメージが張り付いてしまったサバイバーの悲願かもしれません。40年以上の歳月は長かったと思いますが、本当におめでとうございます。

 あ、ありがとうございます。どうしよう、話していたらウルっときてしまった……。

――いい話が聞けて、わたしもうれしいです。で、親との関係は、今どうですか?

 許す――というのとは違いますが、なんせ向こうが老いて弱っちゃいましたからねぇ。憎いという気持ちは薄れました。父は一昨年前、誤嚥性肺炎が元で亡くなりました。80歳でした。最後の3カ月は病院にお見舞いに行ってたんですが、父はもうすっかり素直になっちゃって。わたしとしては、小さい子どもに「もう仕方ないなぁ」と思うような気持ちで、“生温かく”見守っていました。

 母の方は……「きっとこの人は人格障害だから仕方ない」と思いつつも、まだ引っかかりを感じるときはあるかな。そういう日は、ネットの掲示板とかで怒りをぶつけてちゃんと発散してますよ(笑)。

**************

 今年の7月、同じ虐待の経験をもつ知人と「自尊心に問題を抱えた女性たちのための」自助グループを立ち上げたというメグさん。しばらくは会員制のチャットなどを通じて、苦しんでいる人たちと何ができるかを探っていくそうだ。

 一度ついた傷は、おそらく消えない。かさぶたの痕跡は一生残るだろう。だが、「血が止まらない」と苦しむ後輩へ手を差しのべ、未来を考えることで、互いの傷を薄めていくことはできるのかもしれない。メグさんは、やっと自由な人生をつかみ取ったばかりだ。

(文/帆南ふうこ)

帆南ふうこ(ほなみ・ふうこ)
1980年生まれ、ライター。4歳ごろから高校生まで実母から身体的・精神的な暴力を受けて育つ。13年間にも及ぶ反抗期を経た後、結婚を機に母親と和解。ここ数年は元・被虐待児である「サバイバー」たちのオフ会を開いたり、取材を通じてサバイバー仲間との親交を深めている。趣味はお酒と田舎暮らし。

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