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萱野稔人と巡る超・人間学【第28回】

心を生み出す脳と身体のはたらき

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――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

人間の心とはいったいどのようなものなのか。それは他の動物とどう違うのか。生物であるヒト特有の脳と心が生まれるプロセスを研究する明和政子氏に聞く。

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ヒトの発達の謎を解く(明和政子/筑摩書房)

今月のゲスト
明和政子[京都大学大学院教育学研究科教授]

京都大学大学院教育学研究科教授。博士(教育学)。京都大学霊長類研究所研究員、京都大学大学院教育学研究科准教授などを経て現職。比較認知発達科学という分野を開拓し、ヒト特有の脳や心のはたらきを明らかにしてきた。近著に『マスク社会が危ない―子どもの発達に「毎日マスク」はどう影響するか』(宝島社新書)『ヒトの発達の謎を解く』(ちくま新書)など。



萱野 AI(人工知能)が発達してきたことで人間の“心”にあらためて関心が集まっています。AIは人間の心を理解できるようになるのか。AIは人間のような心を持つことができるのか。そんな問いがよく立てられるようになりました。しかし、そうした問いに答えるためには、まず「人間の心とはそもそもどのようなものなのか」という問題を考えなくてはなりません。今回お話をうかがう明和政子さんはこの問題にご自身が開拓された“比較認知発達科学”という学問分野から迫ろうとしています。まず、この比較認知発達科学とはどのような学問なのか教えてください。

明和 従来の比較認知科学では、ヒトとヒト以外の動物の行動や脳のはたらきを、年齢を考慮しないまま比較してきました。私が学生の頃は、ヒトとDNAの塩基配列が98.8%共通しているチンパンジーの認知機能との比較研究が盛んに行われていたのですが、当時は「チンパンジーには人間でいうと3~4歳程度の知能がある」といった解釈にとどまっていました。しかし、これは正しい比較のしかたでしょうか。ヒトとチンパンジーは異なる環境に適応しながら、それぞれの種特有の脳や心を進化の過程で獲得してきたはずです。にもかかわらず、人間中心の一元的な物差しだけを使って比較するのは、とてもおかしなことです。そこで、それぞれの生物がどのような環境でいつ、どのように脳と心を発達させていくのか、その動的なプロセス自体が研究対象であるべきだと考えました。「人間らしい」脳と心が生まれる多様な道すじを科学的に解明する、これが比較認知発達科学が目指すものです。

萱野 その比較認知発達科学の観点から言うと、ヒトの脳と心の特性はどのようなところにあるでしょうか。

明和 ヒトはきわめて社会的な生物です。他の生物とは次元が違うレベルの「自己-他者意識」を持っていて、それを土台とした複雑な社会構造を築いて生きています。これは、進化の過程でヒト独自に獲得してきた前頭前野のはたらきと深くかかわっています。他の生物とは異なり、ホモ・サピエンスは相手の立場に立ってイメージしたり、推論したりすることができます。他者が自分とは異なる心を持っていることを意識的に理解できる、不思議な能力を持った生物なのです。

ヒトだけが他者の心を理解することができる

萱野 たとえばイヌは、人間の指差しジェスチャーを理解することができる数少ない動物だと言われています。このときイヌは相手の人間の立場に立って、その心を一定程度、理解していると考えてもいいでしょうか。

明和 人間が指差した方向を見るなどの行動は、条件づけ学習(AならばB)によって獲得できます。しかし、それを証拠としてイヌが人間の心を理解しているとは言えません。私もイヌと生活しているので、彼らが私の心を理解してくれているように感じることが多々あります。しかし、科学者として冷静に考えてみると、これは、人間の側の勝手な解釈によるところが大きいのです。人間は、イヌであろうが、ロボットであろうが、生物らしい存在に心を見出そうとする特性を持っています。それこそが、まさに人間らしさであるとも言えますね。

萱野 遺伝的にヒトにもっとも近いと考えられるチンパンジーであっても他者の立場を考えて行動するようなことはないということでしょうか。

明和 ヒトとはまったく異なります。ですので、意外に思われるかもしれませんが、チンパンジーは子どもに積極的に教育したり、助けたりすることはありません。自分の心と他者の心は独立したものであることを理解し、相手の立場に立って何をすべきかをイメージ、推論することが難しいからです。それに対して、ヒトは、子どもにとても“おせっかい”にかかわろうとします。大人は子どもの手助けをしてあげたり、積極的に教えたりします。お願いされているわけでもないのに、子どもの立場に立って何をしたら目標に到達できるかを考え、はたらきかけるのです。ヒトが次世代を積極的に教育するのは、まさにヒトが独自に獲得してきた前頭前野のはたらきによるものです。

萱野 ヒトの前頭前野にはどのような発達の特徴がありますか。

明和 前頭前野は、右肩上がり、きれいに線形を描いて発達していくわけではありません。環境の影響を特に強く受けて脳が発達する、ある特別な時期が二期あります。これを「感受性期」と言います。4歳以降、そして思春期以降です。この時期の環境経験が生涯持つことになる前頭前野を形づくるといっても過言ではありません。そして、ヒトの脳が環境の影響を受けにくくなる、つまり成熟するのは25歳くらいです。身体機能の成熟は14~15歳くらいですから、その大きなズレに驚かされますね。

萱野 子どものイヤイヤ期と思春期はそれぞれ第一次・第二次反抗期とも呼ばれて、親や周囲の人からすると扱いづらい時期ですが、これも前頭前野の発達と関連しているのでしょうか。

明和 乳幼児は自他の区別がまだ未分化ですので、泣いたり笑ったりというシグナルを一方的に発します。イヤイヤ期ぐらいになると、今度は言葉で「いやだ!」とはっきり伝えます。しかし、4歳頃、前頭前野の発達が急激に進むと、他者の立場を自分とは異なるものとしてイメージできるようになっていきます。お気に入りのオモチャを他の子に貸してあげたり、衝動を抑えてルールを守ったりできるようになるのはそのためです。子どもの成長を強く感じる時期ですね。 

一方、思春期には第二次性徴に伴う性ホルモンの高まりによって、皮質の奥のほうにある“大脳辺縁系”と呼ばれる脳の場所が急激に発達します。辺縁系はイライラしたり、カッとなったり、ドキドキしたりするなど、自分の意思ではコントロールできない感情が沸き立つ場所です。思春期は辺縁系が活性化しやすく、そうした感情の爆発が起こりやすい時期なのです。完成した脳を持っている大人であれば、前頭前野をはたらかせて辺縁系の活動をトップダウンで制御できるのですが、思春期は前頭前野がいまだ未成熟です。ですので、思春期の子どもたちは、いらだちや興奮が抑えきれず、時にリスクを恐れない、大人には理解しがたい振る舞いをするのです。これは、ヒトの脳の発達によって起こる現象であり、子どもたちの心が壊れているわけではありません。今年4月から成人年齢が法的に18歳に引き下げられたことは、脳の発達という点では、実は逆の方向に向かっていると言えます。

萱野 ヒトの前頭前野の独自性はどのような過程のもとで形成されてきたと考えられますか。

明和 約700~800万年前にヒトとチンパンジーが共通の祖先から枝分かれをして、現生人類に通じるホモ属が出現したのは、250万年ほど前と言われています。ホモ属がどのような社会構造を築いて生きてきたかはよくわかっていませんが、おそらく、他者の心を推測できる能力と共進化してきたと考えられます。ホモ・エレクトスの時代には、死者を埋葬して花を手向けるという行為が行われていた形跡があります。死という概念、イメージを持っていたと考えられますから、この時代には、前頭前野がある程度の発達をしていたのではないでしょうか。

進化は、ある目的に向かって進んでいくものではありません。環境に適応的であった個体がたまたま生き残ってきた偶然の産物です。ですので、「なぜヒトはこれほど高度な認知能力を持つ生物として進化してきたのか」という問いに答えることは難しい。ただ、ここからは私見になるのですが、ヒトに特有の前頭前野が獲得されてきた背景には、ヒトの子育てが深くかかわっていると考えています。

萱野 ヒトの祖先は他の類人猿とは異なりアフリカの熱帯雨林から草原に出たことで独自の進化を歩んだと考えられています。そうした環境の違いからヒトの子育ても独自なものとなっていったということでしょうか。

明和 たとえば、チンパンジーの出産間隔は約6~7年で、産まれた子はお母さんがひとりで育てます。この期間の長さは、子どもの自立と関連しています。親から離れ、仲間と一緒に過ごす時間が長くなるのがちょうどこのくらい。すると、お母さんの体内に排卵が起こって、次の子どもを産む準備が整います。つまり、チンパンジーは、ひとりの子をゆっくり育て上げてから次の子を産むという生存戦略により進化してきたのです。他方、ヒトの場合はお母さんが子に授乳をしていても、2~3年もすれば排卵が再開します。ヒトは短期間で次々と子どもを産める生物なのです。しかし、ヒトは自立するまでにとても長い時間がかかりますよね。脳が成熟するまで25年以上かかるくらいです。お母さんがひとりで、複数の子どもを同時に育てることなど到底無理です。そもそも、子どもを産む時期となったお母さんも、いまだ脳が完成していないわけです。そうしたことを踏まえると、ヒトにとって適応的な子育ては、チンパンジーのようにお母さんが単独で行うものではなく、集団の他のメンバーたちと協力して行う“共同養育”であったと考えられています。

萱野 ヒトの祖先は草原に出たことで、多くの動物に捕食される危険にさらされながら食糧を広範囲に探さなくてはならなくなりました。そうした状況では、まだ十分に動くことができない小さな子を育てるお母さんを集団で助けることが、生存戦略としても合理的ですよね。

明和 それがヒトの繁殖の成功度を高め、次の世代を残すための生存戦略だったのでしょう。そもそも、血縁関係のない他の個体の子であっても皆で協力しながら養育するためには、他者に共感し、その心を理解する認知能力、つまり前頭前野のはたらきが必要です。

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