サイゾーpremium  > 特集  > 芸能ゴシップ  > GSブームが起こした芸能界の大きな確変【2】/【GSバンド】の功績と実態

――60年代後半に巻き起こったGS旋風では数多のバンドが登場し、そして消えていった。その中でブームを先導していたのが、これらのバンドである。

グループ・サウンズビギナーのための基礎知識!代表的GSバンドの功績と実態の画像1

■中学生のショーケンが飛び入り参加
【1】ザ・テンプターズ
埼玉県大宮市(現・さいたま市)の高校生バンドが前身。66年頃のテンプターズには女性ボーカルもいたが、彼女がステージを病欠した際、飛び入りでビートルズの「マネー」を歌った中学生がいた。それが萩原健一であり、そのままバンドに加入。オリジナル曲はメンバーの松崎由治が手がけたため、なかにし礼作詞、村井邦彦作曲の『エメラルドの伝説』は初の外部作家による作品。ふてくされて録音したといわれるが、なんとオリコン1位に。
[活動期間]1965~70年 [メンバー]松崎由治、萩原健一、田中俊夫、高久昇、大口広司 [事務所]スパイダクション [ジャケット]7インチ『エメラルドの伝説』(フィリップス/68年)

■早すぎたリバプール・サウンド
【2】ザ・スパイダース
結成当初はカントリーやロカビリーなどを演奏するインスト・バンドだったが、64年にGSスパイダースの7人が揃い、当時先端だったブリティッシュ・ビートを日本的に消化したスタイルへ再編。しかし、翌年クラウンから発表したかまやつ作詞・作曲のデビュー曲「フリフリ」は記念すべき本邦初のGSオリジナル曲だったが、早すぎたリバプール・サウンドはエレキ・ブームに埋もれて売れず。フィリップスで『フリ・フリ'66』として再録した。
[活動期間]1961~71年 [メンバー]田邊昭知、加藤充、かまやつひろし、大野克夫、井上孝之、堺正章、井上順、前田富雄 [事務所]ホリプロ~スパイダクション [ジャケット]7インチ『太陽の翼/空の広場』(フィリップス/67年)

■貴公子ルックは実はイヤだった?
【3】ザ・タイガース
66年に大阪のジャズ喫茶で共演した内田裕也の紹介でナベプロ入りし、翌年デビュー。沢田研二の人気も相まって一躍トップ・グループへ。貴公子然としたヴィジュアルはナベプロの方針だが、特に加橋かつみは嫌がっていた。その加橋が69年に脱退すると人気に陰りが見え始め、起死回生を狙ったナベプロは岸部修三(一徳)の実弟、シロー(四郎)がバンドを救うために留学先のアメリカから帰国するというシナリオを書いたが、不発に終わる。
[活動期間]1965~71年 [メンバー]沢田研二、岸部修三、加橋かつみ、森本太郎、瞳みのる、岸部シロー [事務所]渡辺プロダクション [ジャケット]7インチ『銀河のロマンス/花の首飾り』(日本グラモフォン/68年)

■メンバー全員がステージ上で失神!
【4】オックス
メルヘンチックな衣装に身を包み、ステージで格闘したり楽器を壊したり、興奮のあまりメンバーが連鎖的に気を失ってぶっ倒れていくという異様なパフォーマンスがナウなギャルにバカウケ。観客の少女たちの中からも失神者が続出して騒動になった“失神バンド”だ。そんな彼らのデビュー曲『ガール・フレンド』は橋本淳(作詞)と筒美京平(作・編曲)の黄金コンビによる、フルートとストリングスをフィーチャーした甘いソフト・ロック。
[活動期間]1967~71年 [メンバー]福井利男、岩田裕二、岡田志郎、野口ヒデト、赤松愛、田浦幸 [事務所]GAP~ホリプロ [ジャケット]7インチ『ガール・フレンド/花の指環』(ビクター/68年)

■加山雄三がグループ名を命名
【5】ザ・ワイルドワンズ
66年に寺内タケシとブルージーンズを脱退した加瀬邦彦が、「平凡パンチ」誌上でメンバーを募集し結成された。グループ名は慶應義塾大学時代に加瀬の1年先輩だった加山雄三によって星占いで決められた。フォーク・テイストのあるエレキ・バンドを志向し、初期はママス&パパスの「夢のカリフォルニア」をよくカバーした。『夕陽と共に』は、植田芳暁がドラムを叩きながらソロを歌う姿が珍しがられたクールでメランコリックなナンバー。
[活動期間]1966~71年 [メンバー]加瀬邦彦、鳥塚しげき、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹 [事務所]渡辺プロダクション [ジャケット]7インチ『夕陽と共に/可愛い恋人』(東芝音楽工業/67年)

■ヤラセチャートで大ヒット!?
【6】ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
66年3月発売の『青い瞳』英語盤が10万枚、同年7月(ビートルズ来日公演の前座を務めた翌月)発売の日本語盤が50万枚の大ヒット。GS時代の幕開けを告げる曲となった。なお、英語盤はフジテレビ『ザ・ヒットパレード』のディレクターだったすぎやまこういちが上位曲として紹介し続けていたら、本当に売れたという経緯がある。バンド解散後、井上忠夫は作曲家に転身し、「学園天国」や「ランナウェイ」など多くのヒット曲を生んだ。
[活動期間]1963~72年 [メンバー]ジャッキー吉川、井上忠夫、三原綱木、小田啓義、高橋健二 [事務所]渡辺プロダクション [ジャケット]7インチ『涙の糸/ブルー・シャンソン』(日本コロムビア/69年)

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...
この記事を購入※この記事だけを読みたい場合、noteから購入できます。

Recommended by logly
サイゾープレミアム

2024年5月号

NEWS SOURCE

サイゾーパブリシティ