モーセに率いられた出エジプトの物語こそがユダヤ教の起源でもあるように、ユダヤ人の歴史は、そのまま迫害の歴史でもある。現在のパレスチナ地域は、7世紀以降は基本的にはイスラム帝国の支配下にあったが、19世紀末に勃興したシオニズム運動のもと、世界各地から同地への入植が本格化、一次大戦、ナチスによるホロコーストなどを経て、1948年5月、近代国家としてのイスラエルが誕生する。しかしそれは、この地で永く生きてきたパレスチナ人との戦乱の世の幕開けでもあった。
2009年10月、エルサレム旧市街にあるアルアクサ・モスク付近で、イスラエル鎮圧部隊に対し投石する、マスクをしたパレスチナ人の若者たち。(写真/アフロ)
次に挙げられるのは、イスラエルとパレスチナの問題だ。現在のパレスチナ地域にかつて王国を持ちながら、迫害され世界中に離散し、20世紀に再びこの地に近代国家イスラエルを建国したユダヤ人と、そのせいでこの地を追われた、長くこの地に生きるイスラム教徒であったパレスチナ人。数度にわたる中東戦争など多くの戦乱を生んだこの問題を理解せずしては、現代アラブ世界はとても語れまい。
まず、ユダヤ人とイスラエルの側の歴史を理解するために保坂氏が挙げるのが、小岸昭著『離散するユダヤ人―イスラエルへの旅から』(岩波新書)だ。
「著者はもともとドイツ文学などを専攻していた人物ですが、ユダヤ人問題にも造詣が深く、多くの書物を著しています。この『離散するユダヤ人』で彼がフォーカスを当てるのが、レコンキスタ(キリスト教世界から見た再征服=イベリア半島回復運動)が一応の決着を見た15世紀以降、スペインなどの異端審問でキリスト教へと改宗を迫られた、または改宗したユダヤ人たち。当時、改宗した人たちはマラーノ=豚と呼ばれ、苛烈な差別を受けるわけですが、同書はそんな彼らの足跡をたどった書です」
当時、改宗したユダヤ教徒は罵られながら生きることを余儀なくされるのだが、一方で改宗しなかったユダヤ教徒たちは欧州や中東に逃げ、素性を隠したり、あるいは差別を受けながら生きることになる。その被差別の歴史は脈々と受け継がれ、500年後、イスラエルという“安住の地”を建国するに至るわけだ。紀元前13世紀のモーセの出エジプトから数えれば実に3000年近くにわたって流浪の民であり続けながら、しかし民族として決して滅びないユダヤ人。同書はそんな、ユダヤ人をユダヤ人たらしめる”何か”を追求していくのだ。
「欧州のユダヤ人の中には、それぞれの居住地で他の文化と同化すべきだという流れもありました。しかし、1894年にフランスで起きたドレフュス事件が象徴するように、真の意味で同化することはかなわなかった。ドレフュス事件は、当時フランス陸軍参謀本部に勤務していたユダヤ人、アルフレド・ドレフュスが、ドイツ軍のスパイ容疑で逮捕されたという冤罪事件。この事件への絶望感から、ユダヤ人に自分たちの国を持たねばならないというシオニズムの考えかたが現れ、それがイスラエルの建国につながっていったわけです。少し話はさかのぼりますが、7世紀のユダヤ人世界に、サバタイ・ツヴィというトルコ出身の“救世主”が現れ、一時、世界中に散らばったユダヤ人らの期待を一身に背負います。しかし彼はオスマン帝国に捕まり、あっさりとイスラム教に改宗してしまう。これは偽メシア事件として有名なのですが、裏を返せば、そんな人物にさえ期待を寄せてしまいたくなるほどに、当時のユダヤ人たちは絶望的な境遇にあったわけです。同書には、そんな彼らユダヤ人の精神世界がしっかりと描かれています」
そんな差別と迫害の中で生きてきたユダヤ人が、20世紀に入り、イスラエルという国の建設に至る。しかし、そこにはすでに別の人々が住んでおり、イスラエル建国の結果、住んでいた土地を追い出されてしまう。彼らこそがパレスチナ人だ。彼らの絶望的な状況を描いた小説として保坂氏が挙げるのが、カナファーニー著『太陽の男たち・ハイファに戻って』(河出書房新社)だ。
「『太陽の男たち』は、イラクからクウェートに出稼ぎに行こうとしたパレスチナ難民を描いています。彼らは灼熱の砂漠をタンクローリーの中に入って密入国するのですが、そのさまは、パレスチナ人の置かれた絶望的な状況を想起させます。当時のクウェートは、石油埋蔵量は世界トップクラス、オイルマネーを利用した産業の多角化も進めたため、莫大な雇用が創出されつつあり、全人口の60%を外国人労働者が占めていました。クウェートに行けば行ったで差別はされるのですが、土地を奪われたパレスチナの人々は、絶望的な状況を脱しようと、わらにもすがる思いで新天地を目指します。このように、さまよえるイスラエル人、そしてさまよえるパレスチナ人という問題は、現代の中東を考える上で必ずセットとして考えなければならない」
作者のカナファーニーは1936年の生まれ、パレスチナ解放運動に従事し、政治的、社会的作品を書いた人物で、同作は映画化もされている。ただし、72年に暗殺され夭折したため、著作の数はそれほど多くない。主著『オリエンタリズム』で知られるエドワード・サイードなど、パレスチナ人の中には異国で成功した者もいるが、実はごく少数。多くのパレスチナ人が置かれている悲惨な境遇を描いたという意味で、カナファーニーの作品は注目に値しよう。
日本でパレスチナ解放運動といえば、PLOのアラファト議長やハイジャックの女王、ライラ・ハリドなどのゲリラ活動家や政治家のほうが有名だが、一方で、筆の力で訴えていこうというカナファーニーのような活動家もいた。彼らの思考や作品は、現代のイスラム世界を知る上で大きな手がかりになるはずである。