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第1特集
戦犯者を祀る神社とは?【1】

中韓の怒りの理由はここにあり!? 靖国問題を知るための「靖国神社」史

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――A級戦犯合祀問題や政治家らによる公式参拝問題等々、多くの問題をはらむ靖国神社。昨年12月に安倍首相が電撃参拝し、中韓のみならず米国からも激しい批判を浴びせられることとなったこの 近代神社 の歴史に迫る!

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(写真/江森康之)

 第二次安倍政権発足からちょうど1年が過ぎた2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を電撃参拝した。首相就任後初、現職の総理大臣の参拝としては、小泉純一郎以来約7年ぶり。06年からの第一次安倍内閣時代には参拝を控えていた安倍首相にとっては、まさに“念願”の靖国参拝となった。

 日本の首相による靖国参拝を批判し続けてきた中国と韓国は、これを受けて即座に反応。

「横暴にも第二次大戦のA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝」(中国外務省報道官)、「『軍国主義の心臓』靖国神社を参拝」(朝鮮日報)など、痛烈な批判を表明した。しかし、今回の安倍参拝でこれまでと大きく違ったのは、以前の靖国参拝については一切言及してこなかったアメリカ政府までもが、「失望した」と声明を発表したことだろう。これは、01年以降続いた小泉純一郎首相による靖国神社参拝ほどの議論は巻き起こらなかった日本国内の反応とは、きわめて対照的であった。

 ことほどさように、昨今の日中・日韓関係のもつれを考える上でまず避けて通れないのが、靖国神社をめぐる一連の問題である。そもそも靖国神社とはなんなのか? 首相による参拝が中韓両国から批判を受けるようになったのは、いつから、そしてなぜなのか? 本稿では、1984(昭和59)年に出版された、靖国神社に関する左派的視点からの優れた解説本『靖国神社』【1】(大江志乃夫著、岩波新書)等々、これまで出版された数々の靖国関連の書物を参照しつつ、“靖国問題”の構造自体を考えてみたい。

社殿を焼き払いレース場という案も

 靖国神社は、東京千代田区、九段の坂の上に位置する巨大な神社である。全長約700メートルという長い参道を持つ靖国の敷地面積は東京ドーム約2個分という広大さで、年間参拝者数は500万人超。そんな靖国神社の歴史は、明治維新期にまでさかのぼる。

 靖国神社の前身にあたる「東京招魂社」が創建されたのは、1869(明治2)年。もともとは、新政府軍と旧幕府軍との戦いである戊辰戦争における「官軍」の戦没者を祀るため、維新十傑のひとりである大村益次郎が発案、明治天皇の命によって創建された施設であった。明治・大正期には、橿原神宮(明治23年)、平安神宮(明治28年)、明治神宮(大正9年)など、国家神道の流れをくむ多くの近代神社が創建されたが、靖国神社はその中でもいち早く建てられたものなのだ。その後1879(明治12)年に「靖国神社」と改称されたのちは、戊辰戦争だけではなく、明治維新の成立前後に活躍した坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作など幕末の志士たち、そして西郷隆盛を盟主として士族たちが起こした反乱に対する鎮圧戦争である西南戦争における「官軍」犠牲者も祀るようになる。いわば、明治維新を正当化し、権威づけるためのひとつの施設――それが靖国神社の始まりであったのである。

 やがて、日清・日露両戦争をはじめ、近代国家となった日本が対外戦争を遂行していく中で、その戦没者追悼施設としても重要な役割を担うことになっていった靖国神社。その靖国が最大の危機を迎えるのは、太平洋戦争終了後の1945(昭和20)年、マッカーサー元帥率いるGHQによって発せられた「神道指令」であった。国家神道の廃止と政教分離を命じたこの指令のもと、靖国神社は解体。一時は社殿などを焼き払いドッグレース場を作るなどの案もあったが、日本国内の反対論、そしてイエズス会のブルーノ・ビッテル神父などの助言もあり存続が決定。翌1946(昭和21)年、国家管理を離れたいち宗教法人として再発足する。このあたりの流れは、2005年に放送されたNHKスペシャルをまとめた書籍『靖国 知られざる占領下の攻防』(NHK出版)に詳しい。

 さて、靖国神社が他の神社と何よりも異なるのは、「祭神の数が増え続ける」という点にある。明治維新のために命を落とした「殉難者」から、対外戦争の「戦没者」を慰霊、追悼、顕彰する施設へ。現在、その「合祀」の基準は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々」(靖国神社HPより)と定義づけられ、具体的には、日清・日露から太平洋戦争に至るまで、「対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々」(同)を、身分、勲功、男女の区別なく一律平等に祀る神社とされている。ちなみに靖国神社の祭神は「英霊」と呼ばれ、「柱」の単位で数えられる。その数は年々増え続け、現在は実に246万柱を超えるという。

 その祭神の選定は、終戦までは陸軍省・海軍省が行っていたが、終戦後いち宗教法人となってからは、旧軍人が主体の厚生省(現在の厚労省)の外局である引揚援護院が担当。厚生省の担当部局が戦没者を個別審査して作成した「祭神名票」をもとに、靖国神社が祭神一柱ごとに「霊璽簿」を作り、合祀するという流れになった。その合祀基準の歴史的な変遷については、靖国神社みずからが刊行する同神社の“正史”である『靖国神社百年史』【2】全4巻などを読み解いた『靖国神社の祭神たち』【3】(秦郁彦著、新潮選書)などがある。よって靖国神社には、遺骨や位牌の類いは一切存在しない。ちなみに先の「霊璽簿」は、靖国神社本殿の奥にある「霊璽簿奉安殿」に保管されている。こうした靖国神社の独特なあり方について、靖国神社の非公式ガイドブック『靖国の闇にようこそ』【4】(社会評論社)などの著作がある“靖国博士”辻子実氏は、以下のように語る。

「これは、戦没者慰霊施設として非常に機能的なシステムだと思います。例えばアメリカにはアーリントン国立墓地という慰霊施設がありますが、墓地の集合体ですから、3000平米という広大な敷地を必要とするわけです。しかし靖国神社の場合、霊璽簿に名前を書くだけなので、非常にコンパクトに収まる。この方式なくしては、246万もの戦没者を祀ることなど不可能だったでしょう」

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