――数多の資料と、長い年月をかけて書かれた『日本のいちばん醜い日』とはいったいどんな本なのか? ここでは、ディープな政治・経済情報に詳しいジャーナリストの鷲尾香一氏が、この分厚くも中身のつまった同書をレビュー。陰謀論では片付けられない(!?)同書の真髄を読み解く──。
『日本のいちばん醜い日』著者/鬼束英昭 出版社/成甲書房 発売年/2007年 価格/3024円
十数年前に、私は大宅壮一編なる『日本のいちばん長い日』(文藝春秋)を読み、「中佐が二人、少佐が一人」とその「注」を読み、率直に「そんな馬鹿な!」と思ったのである。そして、この不明の人物こそ、「黒幕的な将軍」ではないかと思っていた──鬼塚英昭氏は著書『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を執筆するきっかけをこのように述べている。
『日本のいちばん醜い日』は、1945年(昭和20年)8月14日から15日の2日間に発生した宮城事件を描いたもの。終戦間際、徹底抗戦を叫ぶ陸軍少壮将校たちが昭和天皇の玉音盤の奪取を謀って皇居を占拠したとされるクーデターで、森赳近衛師団長が惨殺された事件だ。
この事件を取り上げた『日本のいちばん長い日』や同じ事件を扱ったさまざまな書籍・資料において、事件の登場人物、状況に相違があることに鬼塚氏は気付く。それが彼を十数年にわたる思考と検証に旅立たせることになる。
のべ200冊にのぼる関連書籍と膨大な資料、新聞記事、雑誌記事を丹念に付け合せ、相違点を検証し、その相違はなぜ生まれたのかについて仮説を立て、それを検証するという作業が繰り返された痕跡が、『日本のいちばん醜い日』には現れている。恐るべき執念というべきだろう。
その執念の結果、鬼塚氏はある結論にたどりつく。それは、宮城事件のクーデターは、「国体護持」=天皇制を維持し、天皇の戦争責任を回避するための偽クーデターであったというものだ。そして、このクーデターの真の首謀者は、昭和天皇と三笠宮を中心とした皇族であったのではないかというのが同氏の考えだ。
鬼塚氏はこうした”思考と検証の旅”により、さまざまな天皇と皇族の”闇”に切り込み始める。それは、昭和天皇の生い立ち、なぜ第二次世界大戦は起こったのか、その際の天皇の役割、なぜ原爆は広島と長崎に投下されたのか、玉音放送が収録された”玉音盤”はいくつあったのか、天皇家の財産はいくらあり、それは戦争をどのように回避したのか──同氏の興味は尽きることなく広がり、これらを思考し検証するという旅が続けられた。
ここでこれらの疑問点について同氏の結論を書くことはしない。しかし、膨大な時間を費やし、同氏はこれらの疑問について自らの信ずる結論を見出している。それは、単に“推論”や“陰謀論”では済ますことはできない重厚さを伴っているからだ。
私たちは日本の本当の近現代史を知らなさ過ぎる。それは、学校教育で教わらない(政府が教えたがらない)ことが原因かも知れない。あるいは、近現代史を国民に対して正確に教えるだけの情報を政府が開示していないことが原因なのかも知れない。そうした土壌が、不正確な情報や面白おかしい陰謀論を産み出しているのも事実だろう。
しかし、この点において鬼塚氏の著書を簡単に切り捨てることはできない。日本の歴史に興味や疑問を抱くこともなく、コントロールされた政府の情報を丸呑みにしているよりは、疑問を解明するために、膨大な労力と時間を費やし、思考と検証の旅をした鬼塚氏の方が日本国民としての意識が高いと言えるのではないだろうか。
鬼塚氏は言う。
「この日本という国に、依然として巨大な“タブー”が残っているということである。私はその”タブー”に挑戦した。このうるわしき大和を心から愛するがゆえである」
鬼塚氏の著書『日本のいちばん醜い日』を単なる“陰謀論”や“想像の産物”と受け止めるか否かは、読者それぞれの判断に任せることにしたい。
鷲尾香一(わしお・こういち)
経済ジャーナリスト。長年の取材経験を生かし、金融業界の内部事情から経済事件までを扱う。著書に『企業買収―会社はこうして乗っ取られる―』(新潮社)など。