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第2特集
芸能人と整形の倫理学【3】

日常性の先にある"我々の身体"とは? 「美しく生きる道」としての美容整形

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――美容整形の良し悪しを語る前に、そもそも「美」とはなんなのか? 我々は何をもってそれを「美しい」と感じるのか? そこで、「美」を専門に扱う哲学の中のいち分野、「美学」を極めた東大の先生に、美容整形のことを聞いてみました!

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近代写実主義絵画を代表する画家として知られる、19世紀フランスの画家ミレーの代表作『落穂拾い』。(オルセー美術館所蔵)

 古典的な美学の立場から「美容整形」なるものをどう考えるかというと、まだ先行研究もほとんどなく、難しいんですね。なのでまずは、美学という学問の歴史をおさらいしてみましょう。

「美学」(Aesthetica)という言葉を作ったドイツの哲学者バウムガルテンによって、18世紀中頃、美学という学問が始まります。中世以前のヨーロッパの学問体系においては哲学が頂点にあり、学問はすべて「真善美」を至上の価値とするものでした。それが、18世紀以降の「近代」の成立と共に、個々の学問へと分化していく。その過程で、「美」を独占的に担うものとして「芸術」が誕生し、それを分析する学問として「美学」なる存在が立ち上がってくるわけですね。

 バウムガルテンにおける美は、完全性を持った存在です。それは、例えば黄金率などによって分析されてしまうような単純なものではない。数学などといった理性的なものには還元し得ないところにこそ、芸術作品の美しさ、ひいては美そのものがあると彼は考えた。つまり、「不条理なるがゆえに我信ず 」(2世紀のキリスト教神学者テルトゥリアヌスの言葉)ではありませんが、彼が創始した美学の根底には、一種の非合理主義があるわけですね。

 このような観念性からもわかる通り、現代まで続く伝統的美学は、まさに芸術における美しさを、それのみを扱う学問として発展していきますから、例えば男女間の関係性の中にあるような美しさなどといった世俗的な美については忌避する傾向が強かった。ですから、美容整形で希求されるような美しさについても、伝統的な美学では扱えないし、そもそも扱うことなど汚らわしい、ということになるのかもしれません。

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