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第1特集
皇室研究家の提言――嫁姑問題は昭和以前から継承された?

女性皇族が抱えたモンダイと"確執"そして"諍い"の50年史【1】

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 ご成婚50周年の祝賀ムードにあふれている皇室報道。もちろん話題の中心は美智子皇后であるのだが、半世紀に及ぶ結婚生活は決して安泰とは言えなかったようだ。そんな皇室の女性のモンダイについて、戦後皇室研究家と皇室ウォッチャー両者に話を聞いた──。

 今年4月、ご成婚50周年を迎えられた天皇皇后両陛下。"戦後最大のプリンセス"美智子妃の誕生からも、半世紀がたったということだ。初の民間出身お妃として美智子皇后が揺るぎない人気と存在感を誇る一方で、"ぶっちゃけミクシィ日記"で世間を騒がせた高円宮承子女王はこの春からワセジョに。皇室の未来を担うプリンセスたち、そして彼女らを取り巻く問題は今どう変わってきているのだろうか?歴史学者であり『皇室事典』(角川書店)編集委員でもあり、皇室の女性に関する書籍を多数上梓している、小田部雄次氏に聞いた。

──ご成婚50周年フィーバーということで、マスコミの皇室報道も久々に盛り上がっていますね。この人気の中心にいるのは、やはり美智子皇后なのでしょうか?

小田部 内外の人気という意味でいえば、美智子皇后は戦後どころか"歴史上最大のプリンセス"ですよ。戦前の日本では、皇室に嫁ぐことができるのは「皇女、摂関家、将軍家、勅許された華族家(旧大名)に限る」と法律で定められていました。いくら正田美智子さんが資産階級の令嬢だったとはいえ、旧上層身分に限定しない婚姻は美智子妃の例が初。それに時代も追い風となった。彼女は日本の高度成長期とパラレルで人生を歩んだ、最初で最後のシンデレラガールなんです。

──ただシンデレラであるがゆえに、姑に当たる香淳皇后をはじめ皇族のお歴々から随分イビられたという話は有名ですよね。

小田部 相当な軋轢はあったようですね。美智子皇后を語るときに、もはやその種の苦労話は欠かせない。ただし彼女の場合、身分問題による負担は大きかったものの、皇室業務についてはむしろ円滑で、従来の皇后以上の役割を果たしてきているんです。現在も戦後処理など天皇家にとっての公務・私事を積極的に続けておられる。これと対照的なのが雅子妃です。身分制の問題などは時代とともに半ばクリアしたものの、「皇太子と結婚」したのではなく「皇室と結婚」した形になっていることが彼女の多大な負担になってきた。雅子妃としては一個人である皇太子と家庭を築き、外交などで国家に貢献する、というおつもりだったのでしょうが、「家」を優先する皇室にとっての最優先事項は、お世継ぎの出産ですからね。

──最近では沈静化しつつありますが、女性週刊誌などの雅子妃バッシングは一時すさまじかったですよね。結婚直後は「早くお世継ぎを」、愛子内親王が生まれたら「今度こそ男児を」、そして適応障害による休養が長引くと「公務をさぼっている」と。次から次へと攻撃材料が浮上してくる。

小田部 子どもはもちろん大事ですよ。だけどそれは夫婦の愛の結晶としての問題であって、「一刻も早く男児を産みなさい」と強要するのは、一般の家庭では人権侵害ですよ。一般家庭であればそういった発言をするのはせいぜい口うるさい親族くらいですが、皇室には歴代の親族家、天皇家を取り仕切ってきた宮内庁の官僚たち、そして国民と、多くの"小姑"が存在している。思い出してみてください。雅子妃が嫁入りするとき、マスメディアはこぞって「古いしきたりに縛られた皇室を、雅子妃が変革する」と祝賀ムードでもてはやしていたし、我々国民もそれを望んだはずじゃないですか。それなのに、今の世論は宮内庁の論理に負けてしまっている。

──皇太子の「人格否定発言」からも、雅子妃と宮内庁の不和がうかがえましたね。

小田部 天皇制がなくなることを一番心配しているのは宮内庁なんですよ。組織がなくなってしまうわけだから。その危機感ゆえに、本来は天皇家を守るはずの宮内庁が逆に宮中を混迷させている。話をちょっとそらしますが、日本の政治を牛耳っているのは自民党でも民主党でもなく、やはり官僚なんですよ。二大政党制というのは国民の不満を吸い上げるけれど、政党がどっちに変わっても、彼らは官僚が作ったプランを実行するだけにすぎない。同様に、天皇家を守る宮内庁を取り巻くしがらみは、ものすごく複雑で根が深い。けれども、そこにメスを入れないと、天皇制の問題の本質は論議できないんです。

世が世なら承子女王は特権剥奪されていた?

──ところで最近の女性皇族に関する動向といえば、「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった」「ヤモリの刺青入れたい」など、サイト上の赤裸々な記述が注目を浴びてしまった高円宮承子女王が思い出されます。概して品行方正な女性皇族の中で、彼女のように奔放なタイプは珍しいのでは?

小田部 あれらの一連の承子女王の行動は、戦前だったら懲戒なり特権剥奪なりの処分を受けていた可能性もあります。旧皇室典範第52条には「皇族其ノ品位ヲ辱ムルノ所行アリ又ハ皇室ニ対シ忠順ヲ欠クトキハ勅旨ヲ以テ之ヲ懲戒シ其ノ重キ者ハ皇族特権ノ一部又ハ全部ヲ停止シ若ハ剥奪スヘシ」という法的制限がある。承子女王の言動は、まさにここに当てはまる。とはいえ、戦前の宮内官僚の日記などを見ると、不祥事は内部で処理していた形跡があるので、まあ表面化する前に対応していたのでしょうが......。留学中の皇族の事件といえば、男子の例が多くあります。北白川宮能久親王(当時は王)はドイツ留学中に出会ったドイツ人貴族女性と結婚すると主張して大問題になった。結局は「皇族の国際結婚は認められない」という政府・宮内省(当時)の命令に従って、これは実現されませんでしたが。明治天皇の皇女と結婚したのちフランスに留学した東久邇宮稔彦王は、帰国命令を拒み続けましたが、パリで愛人と生活していたといわれます。戦前の女性の場合は貞節が第一に説かれていましたから、承子女王のケースはいかにも現代的といえます。世界的にはさほど驚くような問題でもないですが、日本の女性皇族としては、やはり特殊な行動と見なされてしまうでしょうね。

──皇族として生まれ育った承子女王が海外でお気楽にハメをはずす一方で、外から嫁がれた雅子妃はいまだ宮中に馴染めず、内に閉じこもっている感がありますね。

小田部 ですが本来なら雅子妃は、美智子皇后のような敬愛されるスーパースターになれる力量をお持ちの方なんです。けれど欧米の個人主義の中で育ってきた雅子妃は、皇室という特殊な文化の壁を乗り越えることができずにいる。言葉を換えれば、天皇家を守るために自分を犠牲にする、という割り切りができないまま嫁いでこられたのでしょう。私としてはそのあたりの心構えを、美智子皇后が事前に教え諭すべきだったのではないかと思うのです。もっとも、こういう問題が起こるとは想定できなかったのでしょうね。

──美智子皇后のカリスマ性は世代を超えて評価されますが、雅子妃に対する国民の評価は、擁護派とバッシング派に二分されがちですね。

小田部 日本国民にとって美智子皇后というのは、非の打ち所のないパーフェクトな女性です。これに対して雅子妃の評価は、世代によって賛否両論がくっきり分かれるんです。同世代の働く女性は雅子妃の苦しみに共感できるけれども、それより上の世代の目には「私たちの頃は、そんな甘えは許されなかった」と映ってしまう。これは、日本人の価値観が世代によって3段階くらいに分かれてしまったことが原因なんです。戦後の日本社会はあまりにも急激に成長しすぎたため、価値観が重層的になりすぎてしまった。今の日本のように、親子間でこんなにも価値観が乖離してしまっている状態というのは世界的にも珍しいんじゃないですか。だからこそ、雅子妃は我々日本人にとってひとつの試金石なんです。自分たち国民は個人の自由を謳歌している一方で、皇太子妃には個を捨てて責務を果たせと主張していいものかと。そんな状態では、やっぱり雅子妃がお可哀想ですよ。もちろん何千年も続いてきた伝統は素晴らしいことだけれども、近代化によって天皇制に明らかな矛盾と危うさが生じているのは周知の事実。皇太子と雅子妃は仲睦まじい夫婦関係を築いているのかもしれませんが、そもそも「皇室に嫁ぐ」という結婚当初の合意に対する行き違いがあったのではないでしょうか。

──雅子妃をかばって「人格否定発言」をされた皇太子の態度には、一部では「マイホーム型にすぎる」という批判も出ましたね。

小田部 私はむしろあの一件で、皇太子はさすがに偉い方なんだと感銘を受けましたね。彼は「一生全力でお守りします」という雅子妃へのプロポーズの言葉を、ちゃんと守っているんですよ。自分の発言に最後まで責任を持つ、つまり人間としての信念を守っているわけです。そういう意味でも、あの方はやはり帝王の器を持たれた方だと思いますよ。夫婦の間で約束事を守るというのは、一番大切なことでしょう。ただし夫婦の約束を守ることが、今の皇室の矛盾を突くことになってしまうというのが皮肉なのですが......。

男系天皇問題がはらむ生々しい内実とは?

──悠仁親王の誕生によって、愛子内親王を女帝とする皇室典範改正の動きもすっかり下火になりました。

小田部 確かに、悠仁親王のご誕生によって男系は再び保持されることとなりました。ですが、本質的な問題はまったく解決されていない。愛子内親王、眞子内親王、佳子内親王、そして三笠宮・高円宮の女王たちといった女性皇族たちは、いずれは黒田清子さんのように外へ嫁いでいく身です。このままほかに男児が生まれなければ、男系天皇の重荷はすべて悠仁親王おひとりの肩に託されることになる。つまり次は悠仁親王のお妃になる方に必ずや男児を産んでもらわないと男系は存続できない、という危うい状態が続くことになる。

──となると、次の焦点は悠仁親王のお妃選びですね。しかしいくら玉の輿とはいえ、伝統の重圧を一身に背負わされる天皇家に嫁ぐ女性は、なかなか現れないのでは......。

小田部 悠仁親王はまだ2歳ですが、すでにお妃候補選びは始まっているのではないでしょうか。ただし、皇太子と雅子妃のとき以上に難航することは確実でしょうね。それから男系天皇をめぐる問題というのは、実は戦後に皇籍離脱された旧皇族の問題とも絡んで、いて内実は案外生々しいんです。「開かれた皇室」の発展に尽くした美智子皇后をよく思わない「戦前型」の旧皇族が、再び自分たちが皇室に介入するために引き起こしたという側面もある。要するに男系天皇問題は、美智子皇后VS旧皇族の戦いでもあったのです。結局は悠仁親王、すなわち美智子皇后の直系男子の誕生によって元の鞘に収まりましたが、皇室自体が揺らいでいるという構造は依然として改善されていないのです。

小田部雄次(おたべ・ゆうじ)
1952年、東京都生まれ。立教大学大学院博士課程修了後、立教大学、東京女子大学で教鞭を執り、静岡精華短期大学助教授を経て、静岡福祉大学教授。主な著書に『皇族に嫁いだ女性たち』(角川選書)、『梨本宮伊都子妃の日記─皇族妃の見た明治・大正・昭和』(小学館文庫)など。

ご成婚から50年!!
皇室の女性をめぐる事件、出来事年表

1959年 成婚パレード投石事件
皇太子と美智子妃のご成婚パレードの際、天皇制に反対する少年(当時19歳)が皇太子夫妻の馬車に駆け寄って石を投げ、馬車によじのぼろうとしたところを警察官に取り押さえられた。

61年 『風流夢譚』事件
深沢七郎の短編小説「風流夢譚」に書かれた、皇太子と美智子さまの首が斬り落とされる描写に右翼団体が激怒。大日本愛国党に所属していた17歳の少年が、出版元の社長宅を襲撃し、お手伝いの女性を殺害した。

63年 『美智子さま』執筆中止事件
直木賞作家・小山いと子が連載中の小説『美智子さま』で、美智子妃の初夜の様子などを描写したことに宮内庁が抗議。掲載中止となった。

71年 宮中魔女追放事件
香淳皇后から絶大な信頼を置かれ、粗暴な言動ゆえに「魔女」と呼ばれていた女官・今城誼子と宮内庁幹部が宮中祭祀の簡素化を巡って対立。今城が新興宗教に深くかかわり、心霊治療をする医師を宮中に引き入れることなどに頭を痛めた侍従長は、天皇の支持を取り付けて彼女を宮内庁から事実上追放した。

90年 紀子妃殿下の誕生
礼宮文仁親王(当時)と川嶋紀子の納采の儀が執り行われる。「3LDKのプリンセス」と呼ばれ、紀子さんブームが巻き起こる。

91年 眞子さまが誕生

93年 雅子妃殿下の誕生
6月9日、皇太子徳仁親王と小和田雅子の納采の儀が執り行われる。プロポーズの言葉は「雅子さんのことは、僕が一生、全力でお守りしますから」。

93年 美智子皇后失語症事件
「週刊文春」「宝島30」などが美智子皇后バッシング報道キャンペーンを展開。美智子皇后の気性の激しさ、皇室内における権力の強さなどを強調する報道が繰り返し行われた。これらの相次ぐバッシング報道のストレスから美智子皇后は失語症となり、数カ月にわたって言葉が出なくなる事態に。

94年 佳子さまが誕生

2001年 愛子さまが誕生
結婚8年目にして皇太子夫妻に敬宮愛子内親王が誕生。

04年 皇太子の「人格否定発言」
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と皇太子が記者会見で発言。女帝論議にも発展し、大きな波紋を呼んだ。

05年 紀宮さまが結婚
紀宮清子内親王が東京都職員の黒田慶樹と結婚。皇籍から離れ、黒田清子となる。

06年 悠仁親王が誕生

07年 『プリンセス・マサコ』出版中止事件
日本通として知られるオーストラリア人ジャーナリストが英語で執筆した『プリンセス・マサコ 菊の玉座の囚人』日本語版が出版直前に発売中止になる。版元の講談社は「国の圧力」を否定。



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