>   >   > 【コラム】サバイバー女子が語る「わたしの包丁恐怖症」克服までの道のり
ニュース
【premium連載】声を殺して泣く理由 ~虐待を生き延びたサバイバーたちの素顔~第4回

サバイバー女子が語る「わたしの包丁恐怖症」克服までの道のり

+お気に入りに追加

――虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。

1712_honamiill_4.jpg

包丁を見ただけで片腕が麻痺した学生時代

「ロティは、肉をあぶったり蒸し焼きにすること。ピカタは、小麦粉と卵をまぶして焼いたもの。最近老人ホームでめちゃくちゃ料理してるから、こういうの詳しくなっちゃうんだよね」

渋谷区の美術館に併設されている小洒落たレストラン。メニューをのぞきこみながら、ちょっと得意げに教えてくれたのは、介護職勤務のモーちゃん(仮名・26歳)だ。切れ長の目で話し方もクールな印象だが、笑うとえくぼでできて途端にチャーミングになる。恋人が選んでくれたという柔らかな素材のスカートがよく似合っていた。

認知症高齢者グループホームに勤務。今でこそ一度に20食もの料理をつくることがあるというモーちゃんだが、実は社会人になるまで「包丁」にほとんど触れることができなかった。それどころか肉眼で直視することもできなかったという。「母親に包丁を向けてくる映像が蘇ってきて、とにかく怖かった」とモーちゃんは当時を振り返る。時には片腕が突然麻痺し、ダラリと垂れ下がったまま動かなくなることもあったらしい。彼女もサバイバーだ。母親の顔はどうしても思い出すことができない。

「食」と「虐待」は、サバイバーにとって密接な関わりがある。心の葛藤から拒食症や過食症に陥るケースもあれば、食事と体罰がセットになった結果、食事の時間になると吐き気を催す子どもいる。わたしもそうだった。モーちゃんの場合は食事を与えてもらえなかった、ネグレクトと身体的虐待の併合型である。彼女が「食」を心から楽しめるようになったのは、何がきっかけだったのだろう。

「ごはん」を獲得するために必死だった

父は会社員で母は専業主婦、弟と一緒の4人家族。幼少期は、首都圏のとある住宅街にあるマンションで暮らし、ダイニングにはシャンデリアとカウンターキッチンのある今風のつくりだったという。

「写真を撮るのが父親の趣味だったから、家の中には引きのばした写真がたくさん飾ってあったよ。朝日に照らされた富士山とか、わたしたち子どもの写真もあったかな」

いかにも幸せな家族の城といった様子だが、父親の不在時、そこは恐怖の館に変わる。母親から、「放課後は遊ばずに帰宅して、皿洗いなどの家事を手伝うように」と命じられていたモーちゃんだったが、キッチンから呼び出されたときに少しでも返事が遅いと厳しい罰があったのだ。髪の毛を引っ張られながらフローリングの床を引きずられ、蹴ったり殴られたりしたという。頭をぶつけた床の硬い感触は忘れない。モーちゃんの両足には少し麻痺があったが、容赦はない。母親の気が治まると、無言で夕食の準備を手伝ったそうだ。

どんな理不尽な理由であれ、まだ10歳にもならない子どもにとってオトナの裁きは絶対だ。特に親のつくった法律には必死で合わせようとする。「呼び出しに瞬時に答えられるようにしなければ」とモーちゃんがとった改善策は、常にキッチンに一番近い玄関で待機することだった。しかし、健気な努力が報われることはなかった。母親の暴力は止まず、さらに、手伝いが終わると彼女を玄関に追い出し、キッチンのドアに鍵をかけたという。ガラスの向こうでは、弟がおいしそうにごはんを食べている。その姿をずっと見続けていた。

「つまり、それ以降わたしの食事はなくなったってこと。玄関の脇が父親の書斎だったんだけど、お菓子もらってなんとか食いつないでたよね。父親がいるとき普通にごはんを出してもらえてたけど、学校の給食がなくなる夏休みは、空腹でフラフラになって本当にきつかった」

両親の離婚、自殺願望、自分が自分じゃなくなる感覚

もう限界だと感じたある日、思い切って父親に母親からされてきたことを打ち明けたという。当然のごとく父親は怒り狂い、壮絶な夫婦喧嘩の後で離婚。小学3年生にして、母親や弟と離れ、隣県の父親の実家に引き取られた。「自分のせいで家族が離れ離れになってしまった」と自分を責めたモーちゃんだったが、一番つらかったのは、父方の祖母や伯母たちに「虐待の証拠」として裸の写真を撮られたことだという。

「こんなに痩せて……って泣かれたときに、ようやく自分がされてきたことを認められたんだ。でも、それは同時にすごく惨めな気持ちだった」

胃が縮小していたから、一人前の食事を心置きなく食べられるようになるまで、まる2年かかったそうだ。新しい住まいでは祖母が毎食ごはんを作ってくれた。ようやく安心できる場所に逃げられたと思ったが、その期待は裏切られる。

「実はみんな頭に血が上ると見境がなくなる性格だったらしく、いさかいと暴力の絶えない家だったの。原因はお金の貸し借りとか、いろいろ。わたしはつねられたり突き飛ばされたりする程度だったから、前に比べたら全然マシだったんだけどね。なんかもう疲れちゃって」

高校生のときに、抑えきれない自殺衝動が襲ってきた。家族に精神科受診を希望するも「その必要はない」と拒否され、仕方なく自分のお小遣いをやりくりしてこっそり病院へ通った。うつ状態、PTSD、自分が自分でなくなる感覚――。精神科での治療は、過去のつらい体験をわざわざ詳細に思い出して主治医に話さなければならない。それはセカンドレイプのように、地獄の追体験をさせられるような計り知れない苦痛を伴う。18歳の女の子がたった一人で闘うには、大きすぎる敵だった。

家のキッチンに入ると、包丁をつきつけてくる母親の映像が浮かんできて、左手が麻痺したように感覚を失ったという。大学生になっても、それらの症状が治ることはなかった。

『君はあの家にいたら壊れてしまう。僕がなんとかするから』

そんな先の見えないモーちゃんを救ってくれたのは、共通の知人の紹介で出会ったワタルさん(仮名・35歳)だ。音楽やマンガの趣味がぴたりと合い、自然な流れで交際が始まった。
「彼には家のことも全部話してたんだけど、そしたら『君はあの家にいたら壊れてしまう。僕がなんとかするから』って実家を出ることを勧められたんだよね」

「一人暮らしをする」と言っても家族は許してくれなかったから、二人で計画して準備を進めた。そして、冷たいビル風が切りつける2月のある夜、大学に書類を忘れたふりをしてモーちゃんは家を出た。家族に怪しまれないように携帯電話と財布だけを持ち出して、玄関からは最寄りの駅を目指して無我夢中で走った。

その道を実際に案内してもらった際、モーちゃんは当時の心境を振りかえった。「逃げ切ってやっと彼に会えたときは、うれしいやら悲しいやら、もうぐちゃぐちゃだったよ。実家を捨ててきた罪悪感や安堵感も噴出してさ……、もう言葉にできない……言葉にできないよね」と困ったような顔する。わたしが「それは例えば、小田和正の歌みたいな?」と聞くと、「そうそう!」と鈴を転がしたように笑った。

深刻な話の締めには、笑いを挟むのがモーちゃんの習慣だ。もしかしたら、笑うことで、辛い記憶や直面している課題をどうにかプラスに変えようとしているのかもしれない。

家出後は、友人宅で数日身を隠した。そしてワタルさんの家で同棲生活がはじまる。ワタルさんはパートタイマーの身。質素な生活ではあるが、布団や洋服などの日用品はすべて彼が用意してくれたという。

*

モーちゃんから「婚約者に会わせたい」というLINEがあって、都内のとんかつ料理店で待ち合わせたのは、その年の末だった。

奥の席で並んで座っていた二人は、遅れて入って来たわたしの姿を認めると、かしこまって席を立ちお辞儀をした。ペアルックにも見える黒いセーターが初々しい。ワタルさんは理路整然とした話し方をする頭の良さそうな人だったが、恋人同士の会話には、しばしば幼児言葉が混じっている。今は他人のわたしに気をつかっているが、家では子どものようにじゃれ合っているのだろう。

3人でとんかつを食べる。窯焼きパンをくだいて作ったという衣は、さくさくと軽やかな歯ごたえ。自然に「おいしいね」と笑顔がこぼれた。「安心できる人と場所で」「温かいご飯を」「笑いながら食べる」。多くの人にとっては当たり前のこの日常行為が、一部のサバイバーには手に入らないとさえ思える「夢」なのである。この夢をモーちゃんが手に入れたことの意味は大きい。

同棲生活は、決して楽な道のりではない。心の病を抱えたまま誰かと暮らすためには、「お互いが安心できるためのルール」を構築していく必要があった。古いアパート暮らしで家計も切り詰めている。でも、そこには日々の小さな幸せがある。

今では交流を復活させつつある実家で、モーちゃんが包丁を使う様子を見せてもらった。ぬか漬けのキュウリをテンポよく切る。器に盛ろうと持ち上げると、それらは残念ながらごっそり繋がっていた。「中国の飾り包丁みたいじゃん」とフォローすると、「あるある!」と威勢よく相槌を打ち、また笑う。

まだおぼつかなくはあるが、その手でモーちゃんは今、自分やワタルさん、老人ホームで待つ「じいちゃん、ばあちゃん」のために一生懸命食事をつくる。大切な人とごはんを食べる幸せをかみしめるために。

(文/帆南ふうこ)

帆南ふうこ(ほなみ・ふうこ)
1980年生まれ、ライター。4歳ごろから高校生まで実母から身体的・精神的な暴力を受けて育つ。13年間にも及ぶ反抗期を経た後、結婚を機に母親と和解。ここ数年は元・被虐待児である「サバイバー」たちのオフ会を開いたり、取材を通じてサバイバー仲間との親交を深めている。趣味はお酒と田舎暮らし。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミア

2018年11月号

禁断の家電・ガジェット

禁断の家電・ガジェット
    • テック系企業の【経済地理額】
    • 次世代のテック系【注目都市】
    • 世界を席巻する【アジア家電】
    • 【D.O.I.×BERBAL】安室奈美恵論
    • 【アムロ】を支えたPの本音
    • 知られざる地方【テック企業】
    • 米国【大麻用電子たばこ】産業事情
    • 【星名美津紀】家電とエロス
    • 進化し続ける【アダルトVR】の今
    • 最新【バーチャルセックス】のしくみ
    • 【三代目JSB・山下健二郎】スニーカー愛
    • 【三代目Air Jordan Brothers】選出!
    • 【リバタリアン】生んだネットの終焉
    • 各国【ネット規制】の事件簿
    • 【ゲーム依存】はビョーキか否か?
    • 【モノ雑誌】の「読プレ」豪華番付
    • 【景品表示法】を弁護士はどう見るか

防弾少年団がアメリカを制する日

防弾少年団がアメリカを制する日
    • 今さら聞けない【BTS】基礎講座
    • 数字で見る【K-POP】世界進出
    • BTS支持層【アジア系アメリカ人】の連帯

NEWS SOURCE

インタビュー

連載

    • 【忍野さら】友達の財布に私のトレカを入れるんです。
    • 【小林レイミ】デビュー4年目の初グラビア!
    • 振り返れば【芽衣】がいる
    • 【電力業界】に切り込んだ元フィンテック起業家
    • 【新潮45】を潰したのは誰だ!
    • 【阿波踊り】内紛の実情
    • 【中国】を支配する巨大顔認証システム
    • 【88ライジング】がアジアと米国を繋ぐ
    • 町山智浩/『ブラック・クランズマン』アメリカ・ファーストを謳うのは誰か
    • 政権の利益誘致政策に踊らされる【英語教育】の欺瞞
    • 小原真史の「写真時評」
    • 五所純子「ドラッグ・フェミニズム」
    • 「念力事報」/黒い水脈
    • おたけ・デニス上野・アントニーの「アダルトグッズ研究所」
    • 【おとぎ話みたい】文化系男子が患う恋愛の病
    • ギャング集団に所属するアパレル屋
    • 辛酸なめ子の「佳子様偏愛採取録」
    • ビールの世界を超越し始めた【職人】
    • ひとりぼっちたちを繋ぐ【薔薇族】の誕生
    • 幽霊、雑誌の去勢と俗物主義の衰退。
    • 『花くまゆうさくの「カストリ漫報」』