サイゾーpremium  > 特集  > エンタメ  > 岡田康太に問う“芸人とYouTube”
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 YouTubeチャンネル「岡田を追え!!」でおなじみの芸人・岡田康太 a.k.a. 港区家賃3万7千円男。2019年に開設したチャンネルの現在の登録者数は約12万人(6月18日現在)。登録者数を30万人抱えるチャンネルであっても再生回数が1万回に満たず、バラつきが生じるのもYouTubeの特性だが、彼のチャンネルは確実に万越えを果たし、約12万人の登録者数を凌駕する再生回数をたたき出す動画も散見される。つまりそれは、登録者の心を掴んで離さない動画制作に起因しているはず。というわけで、「テレビに出演するよりも、YouTubeで動画を公開しているほうが達成感を得られる」と断言する岡田康太に、その真意と“芸人と動画配信”についてあれやこれやを、港区家賃3万7千円の自宅にて尋ねてきた。

(取材・文/佐藤公郎・編集部)
(写真/細谷 聡)

[MEMO]「岡田を追え!!」とは?

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「芸人・岡田康太を人気者にしたい!」という想いから、大学院進学を見送った佐野コウ生が岡田康太の日々に密着するYouTubeチャンネル。当たり前の日常風景でありながら、その磨き上げられたセンスで圧倒的な笑いを堪能できる。

――岡田さんの素性からお聞きしたいのですが、芸人を志すきっかけから教えてください。

岡田康太(以下、岡田) 小学3年のときですかね、『ハッチポッチステーション』(NHK教育)っていう番組でグッチ裕三さんが「ふしぎなポケット」の替え歌を歌っていたんです。本来は「ポケットのなかにはビスケットがひとつ/ポケットをたたくとビスケットはふたつ」なんですけど、グッチさんは「ポケットのなかにはビスケットがひとつ/ポケットをたたくとビスケットが割れた」って歌ってて、オモロすぎておしっこチビったんですね。「もひとつたたくとビスケットはこ~なごな(粉々)」って続くんですけど、そこで腹がちぎれるほど笑って、おしっこも全部漏らしました。「めちゃくちゃオモロいやん!」って思って、学校で披露したらウケた。その頃から学校で「岡田はなんかオモロいやつ」みたいになって、通知表の先生からのコメント欄に「芸人になったらいいのに」みたいに書かれてました。

――ずいぶんと無責任な先生ですね。

岡田 確かに。でも、それで「人を笑わせたい!」って芸人を意識し始めたんですよ。ただ、その一心だけでセンスはそんなないと思ってて。

――当時はご謙遜されてたんですね。

岡田 当時は、って。今もそんなないですよ。テレビを見てても面白い人ばっかやし、笑いに自信のある人って「あいつより俺はオモロい!」って気持ちがあるじゃないですか。僕はそんなわけないないし、って思ってた側だったんで。でも、笑わせることは好き。でも、学校内では明るいやつなんですけど、家ではそれを隠してる感じでした。

――ご両親は笑いに対して厳しかったんですか?

岡田 なんかハズかったんですよ。オモんないって思われたくなかったからかもしれません。ただ、両親はお笑い番組は好きだったし、関西在住なのにタモリさんやとんねるず、ウッチャンナンチャンの番組が好きでした。

――そんな家庭内で流行してた言葉というか、笑いのネタのようなものはなかったんですか?

岡田 僕のおじいちゃんが亡くなりかけのときに、「最後に食べたいものは何だろう?」って家族で話したときに、お兄ちゃんが「チェリー。アメリカンチェリー」って言ったんですよ。真剣な空間なのに、いきなりチェリーって。しかも兄貴はそれを誇張して「チェリーをください。夜が明けないうちにチェリーをください」とか言い出して。

――笑ってはいけない空間で生まれる笑いって、質の高さを感じますよね。

岡田 濃度もしっかりしてるんですよ。なんかそういう意味で、タモリさんの影響を受けているなって今でも思うんですよ。YouTubeチャンネルも「100点を目指さず、常に60~70点出せたらええな」って感覚で続けてるんですけど、タモリさんも『笑っていいとも!』(フジテレビ系)はそんな感覚で臨んでたって話を聞いたりして。あと、(自分のチャンネルで)料理動画をアップするのも「ジャングルクッキング」(『ジャングルTV ~タモリの法則~』内の人気コーナー)の影響だし、細かい知識が好きとか、そういうところも影響されてる思います。

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西麻布の庭園でサラッと撮影しても絵になってしまう港区家賃3万7千円男

――その後、M-1甲子園(高校生お笑いNo.1を決定する吉本興業主催のイベント)での好結果などを受けて、中学時代の同級生であった下村達也さんと「オレンジサンセット」を結成し、09年に華々しく芸能界デビュー。翌年には芸能事務所ホリプロコムと契約し、軌道に乗るかと思いきや、前途多難に見舞われる。16年にオレンジサンセットは解散し、同年に宰務翔太さんと「プルメリアンズ」を結成。しかし、翌年に解散を余儀なくされ、19年に下村さんと再びオレンジサンセットを再結成。と思いきや、下村さんが特定疾患に罹患し、療養のため活動休止となります。20年に再び解散がアナウンスされ、岡田さんはピン芸人の道を歩むことになりますが、そこでYouTubeを選択した理由というのは?

岡田 それしか発信する方法がなかったんですよ。その頃、マキタスポーツさんの『一億総ツッコミ時代』(12年/星海社)を読んでたんですけど、SNSが当たり前になって「確かにみんなツッコミに回ってる」って感じて。だったら“言う側”じゃなく“言われる側”になることを選んだ。それを動画に落とし込んだら面白いんじゃないかと。

――まさにそれが「岡田を追え!!」のコンセプトになってますよね。その“番組側のツッコミ”をテロップで入れているのが、カメラマンでもあり、制作側のスタッフでもある佐野コウ生さんですが、佐野さんが担当するきっかけになった経緯というのは?

岡田 自宅でライブをやってたんですけど、そこにお客さんとして来てくれてたのが佐野くんで。質問コーナーのときに佐野くんが「作家になりたいです」って言うから、たまたま僕の家の隣の隣に住んでた人が売れっ子の放送作家さんだったんで、紹介したんですよ。でも後日、その放送作家さんと話してみたけど、「僕には向いてないと思いました」って言われて。なので、僕が始めようとしてたYouTubeチャンネルを「一緒にやらないか?」という感じでスタートしました。

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「え、いま撮った?」という表情を隠しきれない岡田さんと
岡田さんの隣に越してきた動画編集担当の佐野さん

――佐野さんはYouTubeチャンネルを「やりましょう!」と快諾したとき、佐野さんは何をされてたんですか?

佐野 茨城の大学に通っていて、大学院の進学を考えてた時期でした。

――え、大学院は?

佐野 進学を断念して、岡田さんの家の隣に越してきました。あ、卒業はしましたよ。大学院の試験が控えていたんですけど、直前に岡田さんに誘われたこともあって、YouTubeをやるなら進学しなくてもいいかと思って。

――ご両親のリアクションは?

佐野 僕がお笑いを好きなことは知っていたし、「岡田さんっていう芸人さんとYouTubeをやる」って話したら理解を示してくれました。今では両親も「岡ちゃん! 岡ちゃん!」ってめちゃくちゃ応援してくれてます。

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宇宙のパワーを感じているのではなく、取材にきっちり対応する岡田さん

――そんな2人が作り上げる動画に関して、設けているルールというのはありますか?

岡田 言いたがってしまってはいけない。視聴者がツッコむべき余白は残しておくことですね。コメント欄もあるんで、そこは好きなだけ視聴者に楽しんでもらえるようにしてます。あとは「省エネ」を合言葉にしてる。例えば、無理して高価なものを買って紹介とかはしません。そういう類の動画は再生回数が伸びるかもしれないけど、僕らは再生回数を伸ばすためにやってるわけじゃないので。よくYouTuberが冒頭でやる挨拶のような、「どうも、康太ですっ!」とかもやらんし、テロップも効果音もない。去年の時点で「2021年を迎えるまでに登録者数1万人いったらバンザイ」って言ってたくらいですから。

――その10倍をいく登録者数になりましたが、収益はどうですか?

岡田 全然ですよ。50いったらいいですけど、変動もあるし。

――50億?

岡田 そんなわけないでしょ。50万円を佐野くんと等分してます。偉そうに聞こえるかもしれないけど、「広く浅く」というより、「狭く濃い」お客さんをつけたいんですよ。なので、さっき言ったように1万人でも十分というか。仮に10万人の登録者数がいるチャンネルでも、再生回数が5000回前後とかあるじゃないですか。そうはなりたくないというか。

――お2人の話を聞いていると、番組の構成に放送作家や演出家は介在していない感じですね。

岡田 そこは強いこだわりがあって、きっと気を遣ってまうから入れないようにしてます。仮にお願いして「なんか……あんまだったな(笑)」って雰囲気になるのもアレだし。

――すると製作費の目安というのは?

岡田 基本ゼロです。むしろ予算とか考えたことない。ゲストもノーギャラですし、そもそもそういうシステムを知らなくて。3時のヒロインの福田(麻貴)さんもいまだにノーギャラで出てもらってます。

――岡田さんの動画を見ていて思うのは、粘着質なアンチが異様に少ないことです。それが狭く濃いお客さんの証明でもあるように感じますね。

岡田 「死ね」とか書かれてたりしてますけどね。でもそれが愛されてて言われてるのか、ホンマにアンチで死んでほしいと思ってるのか、線引きが難しいなって感じることはあります。

――動画のコメントを見てみると、「岡田気持ち悪い」とか書かれていても、いいね!の数が多く付いているので、褒め言葉と錯覚してしまう気持ちもわかります。

岡田 なんか教育に悪いチャンネルとすら思えてきますね。まあ、そう仕向けているのが自分らなんで、なんとも難しいところですけど。

――それが愛なのか誹謗中傷なのか、笑えるのか笑えないのか、絶妙な駆け引きが視聴者のマインドを養っていきそうな気もします。

岡田 確かに。「岡田のチャンネルは学べる!」ってつもりで見てくれている人がいたら最高。

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撮影中でもうまいことツッコんでくれるやさしい岡田さん

――自身のチャンネルにそこまで誇りを持っていると、ギャラをもらってテレビ番組に出演するより、YouTubeで配信しているほうが達成感を感じるのではないでしょうか?

岡田 自分らの手だけで作り上げられるって時点で、断然YouTubeのほうが達成感ある。あと、YouTubeのおかげでテレビ出演の話をもらったりすることもあるので申し訳ないとは思いつつも、テレビの影響力って、もうそんなないと思うんですよ。もちろん、視聴者によるところは大きいんですけど、僕が出演したところで老若男女に向けた芸じゃないんで。

――では、テレビやお笑いの分野ではなく、YouTube界で脅威に感じる人がいたりするのでしょうか?

岡田 前澤(友作)社長ですかね。あの人のマインドは僕と一緒だと思う。ヘタしたら僕も数十年後には月に行けるかもしれない。

――岡田さんにとって、自分のYouTubeチャンネルの到達点とは何ですか?

岡田 配信を続けてて、さらば青春の光の森田さんとか、お笑いのプロの人からオモロいって言われたりしたのはめっちゃうれしかったし、「ニートtokyo」に出演できたのもうれしかった。でもなんなんやろ。考えたことなかった。

――逆に短所はあると思いますか?

岡田 現時点ではなにひとつない。ただ、不祥事は怖いな。スキャンダル。僕と相性が悪すぎますね。スキャンダルは気をつけてます。だって、今回のインタビューも疑ってますもん、なんで僕にインタビューなんやろう……怪しいって。

――YouTubeチャンネルを継続していく上での目標というのは掲げているんですか?

岡田 ハワイで配信したいんです。永住できたら最高なんですけど、例えば数カ月住んで、「ワイキキ家賃○百ドル○セント男」とかやりたい。ハワイはバエすぎて、僕みたいなちんちくりんが映える思うんです。ハワイだったらモテる可能性もあるし。

――「岡田を追え!!」ではなく、「岡田をOH YEAH!!」になる可能性もありますね。

岡田 オモロいなそれ。

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岡田康太(おかだ・こうた)
1990年、奈良県生まれ。20年10月からピン芸人として活動を開始し、YouTubeチャンネル「岡田を追え!!」を日々更新。フワちゃんや福田麻貴(3時のヒロイン)、ZAZYなども動画にゲスト出演し、テレビでは味わえない質の高い動画が絶対的な支持を得ている。

Twitter〈https://twitter.com/morumokoko
Instagram〈https://www.instagram.com/kotaokada0901

YouTubeチャンネル「岡田を追え!!」
https://www.youtube.com/channel/UCw8JOTMz9DDIhW2qkxF893g/videos


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