――今夏あたりから、日本のヒップホップ界で物議を醸しているSATORUという男がいる。これほどハードな内容を、ここまでダイレクトに歌ったラッパーはいただろうか――。地元の栃木・足利で直撃!
(写真/西村 満)
「オレの彼女薬中/親父相手に売春/吸いまくった脱法ハーブ/パクられた成田空港/マリファナが500グラム/椅子の上にシャブが2つ/未成年とオヤジ狩り/美人局で荒稼ぎ」。SATORUは「ヴァギナ」という曲で、彼が“そこ”からこの世に出て22年間のことを怒鳴るようにラップする。また、同曲は彼が2019年4月に留置場から娑婆に出て最初に録音したものでもあるという。以降、次々と発表した「MAKA」「まざふぁきびち」「丸まったポンプぶっさしたlady」「アナル舐めろmotherfucker」などの、過度に暴力的で性的な内容は日本のラップ・リスナーの間で賛否両論を巻き起こし、気づけば“SATORU”はバズワードになっていた。一方で彼の表現が人を惹きつけるのは、そこにユーモアと悲しさが同居しているからだろう。SATORUのラップはストレートなようでいて、ニュアンスは複雑だ。その背景を聞くべく、彼の地元=栃木県足利市へ向かった。
「シンボルですね。ポルトガル語は話せないしブラジルに思い入れもないけど、そこにルーツがあることは絶対なんで」。SATORUは夕陽に照らされた、首元のブラジル国旗のタトゥーについて聞くとそう言った。右手では渡良瀬川が、左手では廃墟が赤く染まっている。彼がサンパウロからこの北関東の街にやってきたのは3歳のこと。生まれてすぐに離婚し、日本に移住した母に呼び寄せられたのだ。しかし、団地の狭い部屋に迎え入れてくれた母をSATORUは平手打ちした。「“ママだよ”って急に言われても受け入れられなくて。泣かせたことを覚えてます」。足利には同胞が少なかった。彼は常に「“オレだけ違う”っていう劣等感みたいなものを感じてた」という。その後、もらったスーパーファミコンで、生まれる前に出たゲームである『ドラゴンクエストⅤ』をやりながら日本語を覚えていったが、それに伴いポルトガル語を忘れ、日本語がおぼつかないままの母との会話はなくなっていった。
ラップ・ミュージックに出会ったのは中学校1年生のときだ。きっかけはAK-69。最初はファッションに惹かれ、徐々にリリックを理解していった。ラップの仕方を教えてくれたのは地元のラッパー=MAKA。また、中学卒業後には栃木県小山市でひとり暮らしを始めたが、苦しい生活の中で沁みたのがANARCHYのラップだという。「超ボロボロのアパートで脱法ハーブを吸いながら、ドン・キホーテで盗んだスピーカーでひたすら『Fate』(ANARCHYが過酷な少年時代を振り返った楽曲)を聴いてたんです」。やがてSATORUはアウトローの道を歩み始め、そこから軌道修正するためにアルバムの制作費を賄おうとかかわった詐欺事件で少年院に入る。さらに出院後、自身で解体屋を起業するも元請けからの不払いが重なり、再び薬物売買や違法性風俗業に手を出し逮捕。19年4月に留置場から戻ると家財はほとんど持ち去られていた。そんなときにほど近い場所でANARCHYがライヴをすることを知り、会場へ向かう。「最前列で観たんですけど、超くらって。涙が止まらなかった」。
そして、SATORUは堰を切ったようにレコーディングを始める。抱え込んでいた怒りや悲しさは曲となってあふれ出し、世界をのみ込んでいく。それは彼にとっての逆襲だったが、しっかりと聴けばその計画は極めて知的に組み立てられていることがわかるだろう。「リリックを書きながら自分でも結構笑ってるんですよ。“SATORU”っていうもうひとりのオレがいて、オレはその大ファンみたいな。だから、今後も展開が楽しみで仕方ないです」。SATORUの笑ってしまうぐらいハードなラップ・ミュージックは、現実の映し鏡でもある。つまり、このひどい世界において彼の成功は約束されているのだ。
(文/磯部 涼)
(写真/西村 満)
SATORU(さとる)
栃木県足利市をレペゼンするラッパー。1997年、ブラジルで日系の父とブラジル人の母の間に生まれ、3歳のときに来日。2019年夏、自らのルーツと身を置いたストリートのハードな実情を極限まで直接的に歌った曲「MAKA」のミュージック・ビデオがバズる。10月には、同曲をはじめ「丸まったポンプぶっさしたlady」「アナル舐めろmotherfucker」「この曲はイカレテル」「ヴァギナ」といった曲を収録したEP『金と女と注射器』(ジャケット写真)を発表。現在、2nd EP『SATORU69』の配信を控えているほか、「究極の1stアルバム」を制作すべくクラウドファンディングサービス「CAMPFIRE」で資金を募っている。