――「貧困女子」というキーワードを使った記事や書籍がネット上でも書店でもしばしば見られるが、なぜ若い女性の貧困ばかりが注目されるのだろうか。そのストーリーの多くはセックスワークと関連しているのだが、それらの記事は、男性によって性的コンテンツとして消費されてしまう危険性もはらんでいる。
貧困女子の舞台になることが多い、歌舞伎町一番街の町並み。
『最貧困女子』『貧困女子のリアル』『東京貧困女子』『最下層女子校生』『女子大生風俗嬢』……。「貧困」や「女子」といったキーワードを組み合わせた、このようなタイトルの本が、いつからかよく見られるようになった。
ネット上でも、「貧困」と「女子」の組み合わせはいつの間にかおなじみのコンテンツになっている。特に「東洋経済オンライン」や「日刊SPA!」といったサイトでは、頻繁にその手の記事が掲載され、ヤフーやスマートニュースにも転載される。「東洋経済オンライン」などは、老舗の経済専門出版社の運営するサイトながら、いつの間にか貧困ネタを量産するようになっているが、その中でも拡散力が高いのが女子の貧困であることは、ネット上でのバズり方を見ているだけで理解できるだろう。
2015年のデータでは、社会全体の相対的貧困率は15・7%で、17歳以下の子どもに関しては13・9%。この年のデータによると、この場合の相対的貧困率とは、手取りの年間取得がひとり暮らし世帯で122万円以下、4人世帯で244万円以下の世帯を指す(厚生労働省「平成28年国民生活基礎調査 結果の概要」)。また、全大学生のうち、昼間部の学生の52・5%は奨学金を受給しているというデータもあり(「平成24年度学生生活調査」)、若い世代の経済状況は、20~30年前と比べて格段に悪化していることはまぎれもない事実だ。
ネット上に溢れる「貧困女子」の記事は、こうした若年世代のリアルな状況を伝えてくれる社会的な側面を持つものであることに疑問はない。しかし、それにしてもなぜ若い女性のケースがことさらに取りあげられるのだろうか。若い女性の貧困は、必然的にセックス産業の話題と絡んでこざるを得ないのだが、それを伝える記事そのものが、性的な視線にさらされてしまっているのではないか……というのが、今回の記事におけるひとつの問題提起である。
ルポライターの鈴木大介氏は、08年の『家のない少女たち』(宝島社)を皮切りに、『出会い系のシングルマザーたち』(朝日新聞出版/10年)、『最貧困女子』(幻冬舎新書/14年)など、貧困の中で生きる女性たちを取材したルポルタージュを次々と発表してきた。いわば、貧困女子ものの先駆者であり、第一人者であるが、だからこそ、最近の「貧困女子のコンテンツ化」には苦々しい思いを持っているという。鈴木氏が話す。
「生活困窮者のルポというのは極めてデリケートな取材で、2時間くらい喫茶店で話を聞いたぐらいでは書けるものではありません。私は取材対象者には必ず複数回会って人間関係を作り、その上で聞き取った話をまとめるようにしています。というのも、1回会っただけでは、彼女たちの生きづらさの本質というのはなかなかわからない。むしろ少し会っただけだと怠惰でルーズな面しかわからずに、貧困に至った本質的な原因を見落としてしまう可能性が非常に大きい。それにも関わらず、最近の貧困ネタの記事には、明らかに1回会っただけ、1~2時間話を聞いただけと思われる、安易な記事がしばしば見受けられます」
鈴木氏は、貧困女子を取りあげた記事を量産している「東洋経済オンライン」で、16年に、「昨今の『貧困コンテンツ』ブームが危険な理由」「貧困者を安易にコンテンツ化してはならない」という、続き物の記事を書いている。この記事の中に登場する「瑠衣」という28歳のロリータ服を着た女性は、取材場所に40分遅刻して登場し、身体は異臭を放っている。リピート客のつかない底辺デリヘル嬢だが、ホストクラブに数十万円の売り掛けがあり、激しい貧乏ゆすりでマシンガントークをする。見た目が人に与える印象が極めて悪いため鈴木氏はこの女性が自分以外の大手メディアに取材されなくてよかったと思うのだが、日を変えて次に会った時の彼女の様子は一変していた。
前回とは打って変わった眉なしノーメークで、服装もロリータ服ではなくなり、話し方まで変わっていた彼女は、取材謝礼目当てに現れたであろうこの時の取材で初めて、障害のある弟と3人暮らしの母子家庭に生まれたことを打ち明けた。母親からは虐待を受けて育ち、その母と別居してからも祖母から暴力を振るわれて、高校を1年で中退してデリヘルの仕事を始めて、客の子どもを妊娠して3度の中絶手術を受けた過去があるのだという。初めて受ける取材にテンションが上がって自分を飾り立てていた初回の取材だけでは、決して彼女の本当の姿を知ることはできなかっただろうと、鈴木氏は述懐するのである。
「貧困者というのは、特にテレビなどの映像メディアにはまったく向かないコンテンツだと思います。たとえ顔にモザイクがかかっていても、視聴者は服装や話し方などでその人の人間性を判断してしまう。私は取材を原稿にするときには、その人に対して読者がネガティブな印象を持たないように一定のバイアスをかけてきましたが、そのような配慮を十分せずにありのまま書くと、かえって誤解を招いてしまうことがある。こうした難しさがつきまとうのが、生活困窮者の取材なんです」(鈴木氏)