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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第38回

【哲学入門】「実体」とは、特定の「倫理的理念」を共有した人びとの共同体を意味し、それこそが国家を「意志」する。

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(写真/永峰拓也)

『法の哲学』(Ⅰ・Ⅱ巻)

ヘーゲル(藤野渉・赤沢正敏/訳)/中公クラシックス(01年)/1500円(Ⅰ・Ⅱ)+税
「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的なものである」という有名な言葉でも知られる大著。「法」「正義」「権利」など人間社会全般に通じる概念の本質を明らかにしようとする法・政治哲学の金字塔。

『法の哲学』より引用
国家は倫理的理念の現実性である。――すなわちはっきりと姿を現わして、おのれ自身にとっておのれの真実の姿が見紛うべくもなく明らかとなった実体的意志としての倫理的精神である。そしてこの実体的意志は、おのれを思惟し、おのれを知り、その知るところのものを知るかぎりにおいて完全に成就するところのものである。国家は習俗において直接的なかたちで顕現し、個々人の自己意識、彼の知と活動において媒介されたかたちで顕現するが、他方、個々人の自己意識もまた、心術を通じて彼の実体的自由を、彼の本質であるとともに彼の活動の目的と所産であるところの国家のうちにもっている。

 今回も前回から引きつづき、ヘーゲルは国家をどのようなものとして考えていたのか、ということを考察していきましょう。

 前回はまず、引用文のなかの「国家は倫理的理念の現実性である」という言葉に注目しました。今回注目したいのは、同じく引用文のなかにある「実体的意志」という言葉です。

 といっても、この言葉も何を意味するのかさっぱりわからない言葉ですよね。手がかりとして、まずは「実体的意志」の「意志」という言葉から考えていきましょう。前回でも指摘したように、右の引用文は、ヘーゲルが国家とは何かを定義している部分です。ですので、この「意志」という言葉も国家に関係するものとして理解されなくてはなりません。

 哲学の歴史のなかで「意志」というものが国家にかんして論じられるのは、社会契約説の文脈においてです。社会契約説においては、国家は人びとの「意志」によって設立されたと論じられます。その目的のもっとも重要なものは、人びとのセキュリティ(安全・治安)の確保です。つまり、人びとは個々バラバラで生存していたら、いつ他人に襲われたり、土地や財産を奪われたりしないともかぎりません。そこで人びとは、互いに協力して、相互に攻撃しあわないようにしたり、外部の敵の襲撃に対しては共に戦って自分たちを防衛したりするよう、申し合わせます。そのときに、軍隊や警察をつくったり、リーダー役や議論の場(議会)をつくったりして、人びとが共通の権力機構を打ち立てることで、国家が設立される。

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