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【特別対談】現代日本と宗教の関係Ⅳ

【社会学者・橋爪大三郎×宗教学者・島薗進】宗教としての国家神道と天皇の神聖性

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――日本の通史として、国家神道と天皇制は並列に語られることが比較的多い。無論、現在では“象徴としての天皇”制が定められているが、社会学的、宗教学的に見ると、その道程にはどのような歴史があったのだろうか?宗教と周辺国、そしてキリスト教などの関わりからひもといてみたい。

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(写真/江森康之)

 社会学者・橋爪大三郎と宗教学者・島薗進の対談も第4回を迎えた。今回の議論は、奇しくも本誌今月号の特集でもある天皇制が主要なテーマである。現在の「日本」という国が成立する過程で、天皇制はどのような機能を果たしてきたのか? 日本史の構造をめぐる最大のテーマに両氏が挑む――。

橋爪 日本はアジアの一国であり、その一番東に位置しています。中国は隣、インドはそのまた向こうにあり、ヨーロッパははるか彼方でほとんど影響を受けない、ということで1000年以上やってきました。しかし大航海時代にヨーロッパの勢力がすぐ間近にやってくると、慌てて外に対するドアを閉じてしまった。これが江戸時代の鎖国です。しかし、それを続けていられなくなり、開国するとともに近代化したというのが日本の明治維新ですね。その時点で、中国文化の影響を受けてきた経験と、ヨーロッパ文明との付き合い方とを整理する必要が生じた。

 日本は従来、自分より大きい国である中国をお手本としていた。中国には自前の儒教と道教、インド由来の仏教、そしてかすかにイスラム教も存在する。中国は日本に積極的な関心をほとんど持たなかったが、だからこそ日本は落ち着いて中国にある思想を取捨選択し、いいとこ取りができた。 

 その際に日本が考えたのは、神道という日本にあったものに対して、まったく異質な仏教をどう扱うかということ。カミと仏の関係ですね。それに加えて、日本には自然発生的でローカルな政権しかなかったのですが、唐・新羅軍に百済・日本軍が敗北した663年の白村江の戦いなど、朝鮮や中国と全面戦争になるかもしれないというピンチに立たされた。強力な軍隊と指揮系統を構築するには中国化するのが一番いいだろう、ということで、そういうシステムを取り入れた。

 中国のシステムを、どこまで本格的に取り入れるか。漢字や儒学も勉強はしたものの、戦争はないらしい。そこで日本人はやる気がだんだんなくなって、日本独特のローカルなものにあぐらをかいていった。

 ここで一番大きな働きをしたのは文学でした。日本には、歌や物語など漢字で書かれていないカルチャーがあって、これは中国のものとは異なっていた。その伝統を1000年近く続けているうちに、独自の感受性が出来上がる。外部からの影響を直接受けないガラパゴスをやっていたことで、ナショナリズムの根底である言語文化を自然に信じられるようになった。その基礎となるメンタリティは、知識人だけではなくて、多くの大衆にも共有されていた。これが中国にはあまりなかった点です。

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