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友達リクエストの時代【第24回】

人は歳を重ね、成長し、偏向して行く……だから友だちはナマモノなのだ

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SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

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『月刊 京都 2014年 12月号』(白川書院)

 思い出は、地面に埋まっている。

 我々の記憶は、必ずしも私たちの内部(具体的には脳細胞だろうか)に保管されているわけではない。思い出は、むしろ、街並みに宿り、あるいは、音楽や、食べ物の味や、雨上がりの匂いや、川面に広がる油膜や、懐かしい友だちの顔とワンセットになったノイズとして、人格の外部に散逸している。

 であるから、私たちは、通常の状態では、古い記憶にうまくアクセスすることができない。古い時代の自分の身の回りに起こった出来事や、行き来していた人々について、何を記憶し、何を忘れているのかさえ、思い浮かべることができない。

 当連載のどこかで、「友だちは、友だちという外部の対象である以上に、自分自身の幼年期の延長なのだ」という意味のことを書いたと思うのだが、今言っていることも、大筋では同じ話の繰り返しだ。

 我々にとって大切な記憶は、どれもこれも、路地や、玩具や、捕虫網や、向かいの家に住んでいた足の悪い子どものような、細々とした具体物に紐付けられている。であるからして、そうした物理的な「ブツ」をフックとして目の前に持って来ないと、それらにまつわる記憶は、意識の表面にのぼってくることができない。ということはつまり、我々は、自分の部屋の中にひとりでいる限りにおいて、懐かしい記憶や自分の中に眠っている感情から隔絶されているのだ。

 諸々の記憶は、古い友だちと会ったり、何十年かぶりに昔住んでいた街を訪れたり、子どもの頃に大好きだった食べ物を食べたりしたタイミングで、唐突に、まるで雲が晴れるみたいによみがえる。言葉や事件の外形だけではない。風が顔に当たる肌触りや、濡れた子犬の匂いや、胸に秘めていた気分から、見えていた景色に至るまでのすべてが、まるで自分がまるごとタイムスリップしたみたいに明らかに再現されるのだ。

 昨年の夏、約30年ぶりに京都を訪れた。

 原稿を書く仕事にたずさわっている人間が、30年もの間、この歴史ある街に足を踏み入れていなかったということは、業界ではかなり珍しいことだ。

「文化人失格ですよ」

 と、何人かの知人に言われた。

「普通、何であれ文化的な営為にかかわっていれば、嫌でも2年に一度やそこらは京都に用事ができるものなんですけどねえ」

「つまり日本が嫌いだったわけですか?」

 半分は冗談で言っていることだったのだとしても、彼らの言葉は、なかなか辛辣だった。

「っていうか、私は、文化的な肌触りの原稿を書くことを自らに禁じていたんだと思いますよ」

 と、だから、私のほうも、半ばジョークでそう言った。

 半ばジョークで、というのは、半分以上本気だったということで、確かに、私は、高校生だった当時から一貫して、京都らしい、文化的で、みやびな、はんなりでほっこりの、湿度の高い、古畳くさい日本文学にまつわるいけ好かないあれこれが大嫌いだった。

 が、そういった事情を超えて、実際に訪れてみると、京都は、実に、私の心に、深々と根を下ろしていた。

 25歳になるまでの間に、私はたぶん5回ほど京都を訪れている。その都度、周った場所もさまざまだし、一緒に行った人間も違っていた。

 で、それらの、それぞれにバラバラな過去の京都観光経験の細部を、驚くべきことに、私は、いちいち鮮明に記憶していたのである。

「おお、京都大学だ。そういえば、N崎とその中学時代の同級生のゲルピン留年京大生たちが住んでいる梁山泊みたいな寮で一泊したことがあったな」

「思い出したぞ。三千院で一緒にナンパしたのはK岡とA藤だった。オレはリーガルの革靴以外はまるっきりの偽アイビーだった」

「三十三間堂では、40回ぐらいくだらねえって言った気がする。どうして中学生のオレにはこの仏像の良さがわからなかったんだろうか」

 京都が特別な土地だという話をしているのではない。私は、30年ぶりに訪れる土地には、30年分の記憶が冷凍保存されているということを言おうとしている。

 記憶は、個人の頭の中に封じ込められているデータなのではない。それはむしろ、特定の土地に、埋蔵文化財のようなカタチで収蔵されている。

 友だちも同じだ。

 友だちは、それぞれの時代の、それぞれの土地に、地縛霊とよく似たなりゆきで固着している。

 だから、記憶の文法の中では、時間は、空間的な座標の中に固定され、逆に空間は、時間軸の上に関連付けられることになる。

 うん。私は難しい話を始めてしまっている。

 今回、私が結論として立証したいと思っているのは、友だちが、我々の人生にとっての示準化石であるということだ。

 実にわかりにくい話だ。

 順序立てて説明することにする。

 土地にまつわる記憶は、時間を超えて、土地そのものに埋蔵される。ここまでは良い。

 確かに、場の記憶は、フォルダとしてかなり広範な要素を格納することができる。また、土地あるいは町並みないしは景観は、記憶を呼び戻すフックとして、常にめざましい機能を発揮してくれるものだ。

 引き比べて、友だちについての記憶は、場にまつわる記憶ほど応用が効かない。特定の友だちについての記憶は、その友だちと最も頻繁に付き合っていた時代に関してしか通用しない。というよりも、友だちは、空間的な記憶であるよりは、時間的な記憶であり、しかも、かなり期間限定された揮発性の記憶なのである。

 だから例えば大学時代の友だちは、その時代限定の記憶としてしか召喚できない。彼は、その4年前後の期間を除けば、舞台に登場することができない。

 もちろん、大学時代に親しく行き来した相手と、20年後に再会することもあるし、継続的に、途切れることなく付き合うことになる友人だっている。

 でも、友だちは、ナマモノだ。

 よほどの例外をのぞけば、普通、賞味期限は5年以内だ。

 ということは、昔の友だちは、過去の断片であって、現在の友だちではない。その意味で、一生の友だちは、10年モノの刺し身と同じく、そもそも設定として無理だ。そんなものはいない。言葉のアヤに過ぎない。

 無論、古い友だちと付き合うことはできるし、実際我々は、古い友だちと、折にふれて旧交を温めてもいる。

 が、それは、古い本棚に収蔵してある古い蔵書と同じことで、本当の読書体験とは別のものだ。

 古い蔵書は大切な財産だし、貴重な思い出でもある。が、古い本は、読むための本ではない。読んだとしても、初めて読んだ時の感動は、二度と味わえない。

 世にある友情の物語は、一生の友を想定しているが、あれは、ファンタジーに過ぎない。そんなものはいない。いるのだとしたら、それは、2人の人間が互いにファンタジーを演じることで関係を創造しているケースで、いずれにせよ、自然な感情のやりとりではない。

 友だちは、三葉虫が古生代を代表し、ティラノサウルス・レックスが中生代白亜紀の地層を証明しているのと同じ意味で、特定の時代を象徴する存在だ。

 高校時代の友だちは、高校時代を思い出す時に不可欠な部品であり、背景であり、ほとんど、経験そのものでさえある。同様にして、中学校時代の友だちもまた、中学校の放課後の空気とその時代のテレビ番組や運動会の記憶と分かちがたく結びついている。

 が、20歳の私と、中学時代の親友のN野は、ほとんどまったく関連していない。当時、私はまったくN野と付き合っていなかったし、思い出しさえしなかった。で、結局、中学校を卒業して以来、N野とは、いまだに一度も会っていない。

 嫌いになったとか、喧嘩したとか、そういうことではない。懐かしく思わないというのでもない。

 ただ、友だちは、ナマモノなのだ。

 化石として鑑賞することはできるし、ガラスケースに入れて展示することもできるだろう。

 でも、もはや、一緒に遊ぶことはできない。

 大学時代に多少行き来のあった連中が、何人か、典型的なネトウヨになっている。

 その情報を、私はフェイスブックで知った。

 人は歳を重ね、成長し、偏向して行く。

 結果として、古い友だちの多くは、それぞれに、別の道を歩むことになる。仕方のないことだ。

 一生の友だちがいるのだとしたら、そいつは、成長も老化もしない人間で、つまり、死んでいるということだ。ひどい結論になった。合掌。

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。コラムニスト。近著に『ポエムに万歳!』(新潮社)、『我が心はICにあらず (小田嶋隆全集 第1巻)』(Kindle版/極楽寺書房)など。

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