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【premium限定】宗教と音楽の親和性

日本は本当に無宗教!? ドラえもん音頭にも潜む無自覚の信仰心を探る

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――サイゾー1月号では「宗教の新論点」と銘打ち、さまざまな角度から宗教を紐解いていきました。今回はサイゾーpremium限定で、宗教と音楽の深いつながりを研究! 身近にあふれる音楽に眠る宗教的側面を掘り起こします!

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白鳥拝殿踊り(写真/ケイコ・K・オオイシ)

 日本は無宗教の国――そう言われることがある。確かにこの国の人々の半数以上は特定の宗教を信仰しておらず、「無宗教こそ日本人の宗教である」と表現されることもある。その一方で、日本人の生活には宗教的なものの考えやマナーに則っているものが決して少なくない。正月ともなれば誰もが神社へと足を運び、神に向かって頭を垂れるだろうし、夏になれば、本来は極めて宗教色の強い盆踊りでステップを踏むはずだ。

 どんなにとんでもない不良であっても、神社や寺を衝動に任せて破壊するような輩はなかなかいないし、たとえいたとしても、周囲の仲間から「あいつ、バチがあたるぞ」と疎まれるのではないだろうか。そして、そうした行動は"無意識の信仰心"に支えられている。神社の本殿に落描きをしたり、金属バットでメチャクチャにする者がいないのは、「そういうことをやるとバチがあたる」ということを多くの人が信じているからで、そこに神がいるということを無意識のうちに理解しているのだ(さい銭泥棒に悩む寺や神社は多いと聞くが、「さい銭泥棒はロクな死に方をしない」と信じているのは僕だけだろうか?)。

 そこにあるものを"信仰心"と書いてしまうと多少堅苦しい感じがするかもしれないけれど、僕らはそうやって無意識のうちに宗教的な価値観やものの考えに則って生活をしている。だから、僕はこう思うのだ。国民の半数以上が特定の宗教を信仰していないという理由から「日本は無宗教の国」とするのは、ちょっと無理があるんじゃないだろうか、と。

 そうした日本人の(無意識のうちの)信仰心が色濃く表れるのが、全国各地で行われている祭りだ。"まつり"という言葉のルーツにあるのは、神霊への服従や奉仕を意味する"まつらふ"や"つかへまつる"といった古語と言われ、漢字の流入によって、そこに"祭り"や"祀り"などの文字が当てはめられたとされる("祭"という漢字には「右手に肉を持ち、それを供えて神を祀る」という意味があるなんて説も)。

 今日まで全国各地で継承されている祭りには"五穀豊穣"や"豊作感謝"、"悪疫退散"、"穢れ払い"などさまざまな願いが込められているが、その根底にあるのは、神様を楽しませるためのもの・喜ばせるためのものという神事としての性格だ。現在の祭りの種類には観光客誘致や地元の経済発展を目的とした一種のイベントと化したものも多いが、中には神事としての宗教性を密かに残しているものも少なくない。

 例えば、各地で行われる七夕祭り。七夕の由来には諸説あり、神様に秋の豊作を祈った"棚機(たなばた)"という古い禊行事という説があれば、裁縫が上達するように祈った中国の行事"乞巧奠(きこうでん)"を源流とする説、さらには祖霊を供養する仏事"盂蘭盆会(うらぼんえ)"がそれらの行事に習合したとする説も。そもそも願いごとを書いた短冊を吊るす笹の葉も、本来は先祖の霊が宿る依り代だったとされている。たまには子孫のもとに帰ってみようと笹の葉を目指して現世に戻ってみたら、そこには「彼女ができますように」や「大金持ちになれますように」などと煩悩全開の願いごとが釣り下っていた――そのときのご先祖様の落胆を僕らは知る由もないが、ともかく、七夕とは本来極めて宗教色の濃い儀式なのである。

 また、11月23日の「勤労感謝の日」。この日が国民の祝日に制定されたのは戦後のこと。明治から終戦までは神々に五穀の収穫を感謝する宮中祭祀「新嘗祭」の日とされており、それがGHQの占領政策によって勤労感謝の日に改められることになった。かつての日本では稲作を中心にした生活サイクルが重要視されており、祈年祭(春の豊作祈願の祭り)と共に秋の収穫感謝の祭りである新嘗祭は大事にされていたが、勤労感謝の日はその名残ともいえるのだ。

 多くの日本人にとって、"祭り"と聞いて真っ先に思い出されるのは夏の盆踊りかもしれない。旧暦7月15日のお盆は、先述した仏事"盂蘭盆会"や古神道における先祖供養の神事が習合したものとされ、盆踊りも本来そうした宗教性を受け継いでいる。では、なぜ先祖を供養するために人々は踊るのだろうか?

 その源流は平安時代の僧、空也(天台宗)を始祖とする踊念仏にある。鐘や太鼓を打ち鳴らし、踊りながら念仏を唱えるというこの踊念仏は、楽しみながら念仏を覚えられるというわかりやすさから全国的に大ヒット。空也に影響を受けた平安時代の僧、一遍(時宗)が全国各地に布教したこともあって、一般庶民にも広く浸透していった(神奈川県藤沢市の遊行寺や長野県佐久市の西方寺といった一遍ゆかりの寺では、現在も古い形の踊念仏が継承されている)。

 この踊念仏は盆踊りのルーツとも言われる。ひとりフリースタイルで踊るのではなく、集団で同じ振りを踊ること。そのことにより、宗教的なエクスタシーを集団で共有すること。踊念仏の時代からあったそうした要素は、後に念仏よりも踊りに重点を置いた形で生まれた「念仏踊り」にも継承。念仏踊りでは踊念仏以上に"庶民のエンターテインメント"としてのカラーが色濃く表れるようになるが、それをさらに押し進めたのが現在の盆踊りというわけだ。

 そんな盆踊りも根底には儀式・神事としての意味合いを残している。盆踊りではさまざまな"音頭"が歌い踊られるが、音頭とは櫓 (やぐら)の上の音頭取りの歌声に続き、その他の踊り手たちが特定のフレーズを合唱する盆踊り唄の一形式。その源流を辿ると、行き着くのはアジア各地の影響下で形成された 雅楽だ。雅楽で最初のメロディーを奏でる人物のことを音頭(おんどう)と呼ぶが、全国各地の音頭の語源はここにあると言われて いる。つまり、東京ヤクルトスワローズの応援歌として広く知られる「東京音頭」をはじめ、「秋田音頭」や「ドラえもん音頭」、「アラレ ちゃん音頭」、『8時だョ! 全員集合』で志村けんがリメイクした「東村山音頭」もすべて雅楽という極めて長い歴史を誇る芸能に行き着 くわけだ。

 大阪は河内地方を中心とする広い地域で親しまれている「河内音頭」のことをご存知の方も多いだろう。90年代初頭、河内音頭の音頭取りである河内家菊水丸の「菊水丸のカーキン音頭」がTV CMに使用されたことで、お茶の間にも浸透。本場・大阪では、夏ともなると河内音頭がかかる櫓がそこいらじゅうに立つ。熱気溢れる踊りの輪、音頭取りたちの熱演、的屋が声を上げる縁日――日本のどこでも見られる夏祭りの光景がそこでも繰り広げられている。だが、終戦直後の大阪では、なんと墓場で河内音頭が踊られることもあったという。その様子といえば、踊り手たちは手ぬぐいで顔を隠し、女性は男装、男性は赤襦袢を着用したというから、ほとんど「ゲゲゲの鬼太郎」の世界だ。彼らは性別はおろか、生者と亡者の境界線を越え、戦争で亡くなった仏の供養のためにステップを踏んだのである。なお、河内家菊水丸の地元である大阪府八尾市の常光寺では毎年地蔵盆が行われるが、このとき踊られる流し節(「正調河内音頭」とも呼ばれる)はそうした古い時代の河内音頭の名残をとどめるものとされている。

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佃島盆踊り(写真/ケイコ・K・オオイシ)

 ゲゲゲの鬼太郎的な盆踊りといえば、東京の下町で行われている「佃島盆踊り」も見逃すことはできない。高層マンションが立ち並ぶ都会の真ん中で、下町風情をかろうじて残す佃島。ここで毎年7月に行われる佃島盆踊りは、太鼓がひとつだけ乗った小さな櫓と決して派手とはいえない提灯の下で踊られる、素朴で原始的な盆踊りだ。興味深いのは、踊りの輪の横に無縁仏を供養するための精霊棚が設置されているということ。隅田川の佃島一帯は古くから水死体が流れ着く場所だったと言われるが、精霊棚は佃島に流れ着いた死者たちを供養するためのものなのだ。僕が佃島盆踊りに足を運んだときも、地元の初老男性が踊りの輪に向かってこう声をかけていた。「これは念仏踊りだからね、亡くなった仏のためにみなさん踊ってください」――念仏踊りのスタイルを受け継いだ盆踊りはかつて都内各所で行われていたというが、現在、東京都心部で続けられているのはこの佃島盆踊りだけとされる。

 僕がこれまで訪れた盆踊りのなかでももっともディープなものが、岐阜県郡上市白鳥町で行われている「白鳥拝殿踊り」だ。全国的にも有名な郡上おどりが行われる郡上八幡から車で30分の地、白鳥町。夏の間、この町のいくつかの神社で行われる白鳥拝殿踊りは、神社の拝殿の中、踊り手たちが床を踏み鳴らすゲタの音と手拍子、歌だけで踊られるという極めてストイックなものだ。もちろん、三味線もなければ鉦もなく、ただひたすらに拝殿の木床を踏み鳴らす音と人々の歌だけが響き続ける。人々を照らし出すのは、巨大な切子灯籠。これは七夕で飾られる笹の葉と同様、祖霊が帰ってくるための目印(依り代)という役割を持つ。薄明かりのなか延々続けられるストイックな歌と踊りにはミニマルなループ・ミュージックならではの呪術的な力があり、踊りの輪の外から見ていてもゾクゾクさせられるものだった。盆踊りのルーツに中世の踊念仏があることは先ほども述べたが、白鳥拝殿踊りにはそのルーツをギュッと濃縮して現代に伝えたかのような凄味があると言えるだろう。

 日本の祭りのなかには神や祖霊とのコミュニケーションを目的のひとつとするものが少なくない。そのコミュニケーションを可能にするのが歌や踊り、そして囃子のリズムだ。ここで挙げた佃島盆踊りや白鳥拝殿踊り、河内音頭といった盆踊りもまた、宗教的なリズムや要素を隠し持っている。そうやって考えてみると、日本全国どこでも聴くことのできる「ドラえもん音頭」や「アラレちゃん音頭」から、そうした宗教性の名残りのようなものを感じとる瞬間だってあるかもしれない。そのとき、ただのBGMにしか思えなかった「ドラえもん音頭」にスピリチュアルなエネルギーを感じる……はず?

 夏になるとこぞって民族衣装(浴衣)を着て、先祖供養のための踊り(盆踊り)を踊る日本人。僕にはやっぱり"日本は無宗教の国"とは思えないのだ。

 次回は、日本の祭りと宗教を巡る少し意外なお話を紹介したい。

(大石 始)

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