(写真/有高唯之)
力士時代は必殺の張り手で人気を博した鎌苅忠茂親方。そして昨年、親交のある初代タイガーマスクこと佐山サトルの「リアルジャパンプロレス」を観戦中に、大仁田厚らに襲撃され大怪我を負わされたことで、復讐を決意した。46歳でプロレスデビューを控える鎌苅親方に、その決意のほどを直撃だ!
――実業家としても順調な中、なぜ46歳でプロレスのリングに立つことを決意されたのでしょうか?
鎌苅忠茂氏(以下、鎌苅親方) 一言でいえばジレンマかな。もちろん大仁田に襲撃されたこともあるけど、やっぱり人に教えたり、体を鍛えるのが好きなんだろうね。相撲から離れて、「自分はもう関係ない」と思ってても、やっぱり格闘技が一番好きなんですよ。商売やってお客さんが来てくれて、ありがたいって思う半面、今の相撲界を見てると、自分が教えていたら、もっと強い力士を育ててたって自信はあるよね。
――今の相撲界は、どういった部分が足りないですか?
鎌苅親方 例えば、よく力士がインタビューで簡単に「今年は怪我しないように頑張ります」とか言うけど、俺に言わせれば「アホか!?」だよ。お互い命懸けて土俵に上がっていれば、相手も怪我させるくらいの気持ちでぶつかってくる。「怪我しないように」なんて答える感覚が、もう信じられない。
――力士の根性がぬるいってことですか?
鎌苅親方 ぬるいというより、格闘家として怪我するのは当たり前なんだよ。だけど怪我しないように、万全の努力をするわけ。筋肉を柔らかくしたり、怪我するような体勢を絶対作らせないとかを自分で練りながら性根入れてやれば怪我なんてのは少なくなる。それを場所が多いとか、巡業が多いとか、文句を言ってふざけんなって。
――さすがガチンコ相撲で知られた親方ですね。そんな中、3月にデビュー戦が決まったわけですが。
鎌苅親方 今回、成り行きでこうなったけど、それはそれで俺も結構楽しんでんだよね。
――もともとプロレスはお好きだったんですか?
鎌苅親方 観てたよ。佐々木の健ちゃん(プロレスラー・佐々木健介)とは同じ中学校だし、やっぱり初代タイガーマスクはヒーローだったしね。何の拍子か、その佐山さんの元で自分が闘うことになるなんて思いもしなかったけど。
――大仁田さんにお店が襲撃されましたが、その飲食店も店舗が増えていますね。
鎌苅親方 今、経営してる飲食店は、国内と上海を含めて7店舗あるんですよ。飲食で上がった利益で寮やジムを造って、選手はうちで働いて、朝から晩まで練習もできる環境を作りたいのよ。もちろん現役を引退した力士や格闘家の受け皿として機能させつつ、10年後には200店舗を目指したい。そのための飲食店経営だし、そのために俺もリングに上がる。
――素晴らしい構想です。今回のプロレスデビューでは、ファンに何を見せたいですか?
鎌苅親方 とにかく鍛え直して、ファンにバカにされないような体をつくっていかないとね。
――大仁田選手からは「電流爆破で」みたいな声も上がってます。
鎌苅親方 ただの電流爆破じゃ、みんな飽きただろうからって、平井さん(丈雅氏。リアルジャパンプロレス代表)が「電流爆破で、下にピラニアを泳がせるのはどうでしょう?」とか言うんだよ。そんなん俺、死ぬやないかい!(笑)
――「有刺鉄線電流爆破ピラニアデスマッチ」って前代未聞です。
鎌苅親方 まあ、俺はルールはなんでも構わないよ。大仁田の電流爆破マッチも観たことないし。すごいの?(他人事かのように)。ただ、俺はプロレスを下に見たことは一度もないし、自分もファンだからね。まずはファンから「プロレスなめんな」って言われないように頑張るだけですよ。
(文/青柳直弥 清談社)
鎌苅忠茂(かまかり・ただしげ)
1967年、兵庫県出身。現役力士時代は、貴闘力として、ガチンコ相撲で一世を風靡。02年に引退後は大嶽親方として、後進の指導にあたっていたが、10年に野球賭博への関与で相撲協会を解雇。その後、焼肉店「焼肉本店ドラゴ」を開業し、以降、都内を中心に全国で飲食店を経営する。リアルジャパンプロレス9月大会を観戦中に、乱入した大仁田厚から襲撃を受け、プロレスデビューを決意。当初12月大会でのデビューが噂されていたが、怪我のため3月に延期となった。