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■島田紳助とは「即ちM-1グランプリ」である

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ラリー遠田氏の著書『この芸人を見よ!2』(サイゾー)。

 紳助の近年最大の功績といえば「M-1グランプリ」の開催である。2010年に惜しまれながら幕を閉じたこのお祭りは、紳助あってのものだった。お笑い評論家・ラリー遠田は、M-1こそ紳助そのものであったという──。

 芸人・島田紳助には、2つの顔があった。ひとつは、冷静沈着に時代の流れや周囲の状況と自身の能力・適性を分析して、的確な判断を下す知性派の側面。もうひとつは、自らの信念を押しつけがましいほどに熱く語り、素朴な感情をむき出しにする、感動好きで気分屋の側面。彼の中には、この2つの相反する要素が分かち難く同居していた。

 紳助の一連の言動や芸能活動は、この二面性から考え直す必要がある。彼はなぜ、あれほど客観的で冷静な分析力がありながら、時として過度に感動を押しつけるようなマネをしてしまうのか?また、そこまで直情的な性格でありながら、なぜ時として何もかも突き放したようなシニカルな目線で笑いを取ることもできてしまうのか?すべては、彼が二面性のある人物だからだ。彼の中のジキルとハイド、「秩序」と「混沌」のメカニズムを理解すれば、答えはおのずと見えてくる。

 若手時代の紳助の信念は「勝てない戦はしない」ということだった。同期のオール巨人には、圧倒的な漫才の技術があった。同じく同期の明石家さんまには、誰からも好かれる天性の明るさがあった。自分にはいずれの要素もないと悟った紳助は、彼らとまともに張り合うのは避けて、リーゼントとツナギの衣装に身を固めた「ツッパリ漫才」に活路を見いだした。それが、不良少年として育った自分にとって最も自然なスタイルだったのだ。漫才ブームの波に乗って、彼は華々しいデビューを飾った。

 だが、それから歳月を経て、人気と名声を手にした紳助は、勝てない戦を避けるのではなく、勝てない戦に勝とうとすることに楽しみを見いだすようになった。討論番組『サンデープロジェクト』(テレ朝、1989〜2010年)の司会を務めて、慣れない政治・経済の分野にまで踏み出したのはその典型である。

 そんな彼が01年に始めた無謀な挑戦こそが、「M-1グランプリ」の開催である。漫才ブームから約20年を経て、すっかり過去のものとなっていた漫才を復興させるために、若手漫才師の日本一を決めるプロジェクトを立ち上げたのだ。

 とはいえ、前途は多難だった。第1回のM-1は、審査方法を含めた演出や段取りも手探り状態で、かなりバタバタした雰囲気になっていた。この時点ではまだ、視聴者もM-1というまったく新しい漫才番組の楽しみ方を理解しきれないままだった。ただひとり、大会委員長であり司会進行も務めた紳助だけが、漫才界に新しい権威を、新しい「秩序」を打ち立てるべく、「とにかく面白いヤツを決めるコンテスト」というM-1のコンセプトを言葉を尽くして必死で説明しようとしていた。

 M-1が変わる兆しを見せたのは02年大会からだ。この年、前年に不評だった観客審査は廃止され、ベテラン芸人ら会場審査員による採点だけで審査が行われるようになった。このマイナーチェンジによって、M-1の権威は揺るぎないものになった。また、この年は、M-1の舞台に「混沌」を持ち込む猛者も現れた。その名は、笑い飯。常人離れした発想力と互いが競うようにしてボケ合う「Wボケ」という斬新な手法によって、彼らの荒削りでパワフルな漫才は鮮烈な印象を残した。

2010年最終大会決勝、スリムクラブを選んだ理由

 大会委員長の紳助は、笑い飯のような「混沌」を内に飼い馴らしながら、M-1という「秩序」を確立させることに躍起になった。年を追うごとに、M-1の演出は洗練され、出場する芸人の熱意も高まり、視聴率もどんどん上昇していった。もはや紳助が何も言わなくても、M-1は立派な権威として人々に認知されるようになっていた。

 紳助は、M-1で漫才を評価するときに、「うまい」という表現をしばしば用いていた。その一方で「うまいだけではプロは笑わない」という言い方もしている。感情を込めて本気でしゃべることで言葉に魂が宿り、見る者は思わず笑ってしまうというのだ。このような「技術(秩序)」と「感情(混沌)」の両方を極めた漫才の理想型こそが、05年王者のブラックマヨネーズであり、06年王者のチュートリアルだった。彼らの漫才では、確固たる技術の上に感情が乗っかっていた。秩序と混沌の間で揺れる紳助は、それらの要素を漫才という形で見事に統合してみせた彼らに太鼓判を押したのだ。それぞれの大会で彼らに最高得点を与え、最終決戦でも迷わず1票を投じていた。

 その後、回を重ねるにつれて、M-1で活躍する芸人のタイプにも変化が表れ始める。過去の大会のデータが蓄積されてきた結果、M-1の審査傾向を的確に把握して、それに対して正しい解答を導き出すことのできる芸人が勝ち残るようになってきたのだ。07〜09年王者のサンドウィッチマン、NON STYLE、パンクブーブーはいずれも、漫才の技術を極めた上に、M-1で勝つための研究を怠らなかったコンビだった。いわば、この3年間は周到に計算して「秩序」ある漫才を演じた漫才師が優勝する時代だったのだ。一方、「混沌」の申し子である笑い飯は、毎年決勝に進みながらも、優勝を逃し続けることになる。「秩序」偏重が行き過ぎると、教科書通りの漫才を演じる芸人が相対的に有利になり、大会そのものはあまり盛り上がらなくなってしまう。視聴率は順調に上がっていたが、「ノンスタ、パンブーは優勝したのに売れなかった」などと囁かれるようになり、M-1の権威には陰りが見えてきた。若手芸人の人気が高まり、「漫才の復興」という当初の目標を果たしたことを確認して、紳助はM-1の終了を決めた。

 最後となった10年大会は、まさに「秩序」と「混沌」がむき出しでぶつかり合うスリリングな激闘になった。「混沌」の申し子だったはずの笑い飯は、優勝候補と目されていたこの年、前年に高評価を得た「鳥人」のネタを下敷きにした漫才を演じて、手堅く優勝を狙いにきた。最後の大会になって、どうしても優勝したかった笑い飯は守りに入り、初めて「秩序」を志向したのだ。

 そんな彼らの前に立ちはだかった最後の刺客が、スリムクラブだった。スピード感のある漫才が有利とされていた定説を覆す、異常にスローテンポで言葉数の少ない漫才。だが、しゃがれ声でゆっくりと繰り出されるボケの一言には恐るべき破壊力があり、爆笑を生み出していた。それは、02年に初めて決勝に進んだ頃の笑い飯が備えていた「混沌」そのものだった。

 紳助は迷っていた。最後の大会の覇者としてふさわしいのはどちらなのか? 思い悩んだ末に、彼は最終決戦でスリムクラブに1票を投じた。結果は「4対3」の1票差で、辛くも笑い飯が優勝。秩序と混沌を行き来する紳助は、最後の最後にどちらを選ぶかと問われて、混沌のほうを選択したことになる。

 こうして振り返ると、M-1という大会そのものが、紳助という芸人を象徴しているようでもある。M-1は、厳正な審査による権威ある漫才大会という評判の裏で、多くの芸人を抱える吉本が主催であることや予選審査の不透明性などから、たびたびヤラセ疑惑が持ち上がったり、黒い噂が絶えなかった。また、勝負においては、確固たる技術を競う「秩序」の場でもありながら、そんな格式張ったものを破壊する「混沌」を求める気運もあった。

 M-1のキーパーソンである笑い飯が最後に優勝して、大会そのものは10年12月に幕を閉じた。そして、その後を追うようにして、11年8月に紳助も芸能界引退を表明した。一時代を築いた司会者としてテレビ界の「秩序」を司っていた彼が、不良少年としての本能を捨てきれず、感情に流されてしまう部分が最も不幸な形で露見したのが今回の引退劇だろう。混沌を求める本能が、彼自身を破壊したのである。M-1でスリムクラブを評して「最後やし、別にあんなんでもええか」と語っていた紳助は、同じぐらいの投げやりな気分で混沌に身を委ねて、自身の芸能人生の幕を引いたのかもしれない。

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(写真/加藤アラタ)

らりー・とおだ
1979年生まれ。おわライター/お笑い評論家。『この芸人を見よ!2』(小社刊/9月末)と、「コメ旬 vol.2」(キネマ旬報社/9月30日)を刊行予定。

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