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連載
荻上チキの新世代リノベーション作戦会議 第5回

データと専門知を駆使してもっとマシな政治を始めよう!【前編】

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■今回の提言
「評論家の思いつき言説を中和し、政局談義を政策論争へ置き換えよ」

ゲスト/菅原 琢[政治学者]

──社会の現状を打破すべく、若手論客たちが自身の専門領域から、日本を変える提言をぶっ放す! という本連載、今回は、政治報道が騒がしい今こそ気になる、政治とメディアと世論をめぐるお話です。

荻上 今回ご登場いただくのは、政治学者の菅原琢さんです。菅原さんは、昨年末に上梓された『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』(光文社新書)にて、これまでメディアで語られてきた「世論の物語化」がいかに恣意的で実態と乖離してきたかを、実証的なデータの蓄積を元に明らかにされています。例えば2007年参院選での自民惨敗に対し、「小泉構造改革の行き過ぎに対する反動」というような解釈を行うのは誤りで、実態は「小泉構造改革への逆行への反発」という真逆の解釈が妥当である、という具合ですね。

 もともと政治の場面では、各政治勢力やメディアが、世論調査や投票行動の結果を自分たちの主張に沿う形で物語化するという、解釈ゲームやプロパガンダが頻繁に見受けられるものです。先の参院選でいえば、「菅直人首相の消費税発言に、国民がノーを突きつけた」といった解釈が支配的になり、菅直人自ら「私の消費税発言でご迷惑をおかけした」と謝罪までした。僕自身は「現況における増税」には反対ですが、この解釈が「実態としては正しい」かはまた別で、メディア上で特定の解釈のみが、検証なしに拡大していくことには危険性を感じる。「サイゾー」8月号本連載での吉田徹さんとの対談を引き継げば、これこそ「ストーリーテリング」の自走した政治談義そのものです。そうしたメディアの政治言説に対して、計量的手法を用いて流言を中和していく意義について今日は語れればと思っています。
 
菅原 せっかくなので、まずは消費税の話を例に取り上げましょう。今荻上さんがおっしゃったように、マスメディアでは「首相の消費税率引き上げに関する発言が国民の反発を食らって民主党は大敗した」というように言われています。しかし、毎日ネットで内閣支持率調査等をしているマクロミルネットリサーチ総合研究所(萩原雅之所長)からデータを借りて分析したところ、菅首相が「自民党の言う10%でいいじゃないか」と言った6月17日を境に「民主党に投票する予定」という人の割合が下がったり、選挙結果に結びつくような動きはほとんどなかった。この分析は「週刊エコノミスト」9月21日号に論を寄せました。もともと「消費税発言への反発説」は、論理的にもおかしいところがある。民主党は自民党が掲げていた消費税率の案を採用すると言っているのに、それへの反発で自民党が勝ったということになるのですから。

 我々学者は、「ここまでしか解釈できません」という抑制も含め、なるべく先入観を排して、さまざまな仮説を考慮に入れながら消去法的に一番適切で妥当な結論を探求していくわけですが、メディアのアプローチは、自分たちが持っている答えに即す事象を見つけ出そうとする面が非常に強い。新聞などでの世論調査の取り方にしても、例えば菅発言の前の週と後の週で比較する場合、後の週では消費税に関する質問項目を急に設けたりしているわけですね。

荻上 世論データを集計しようという企画段階で、すでにバイアスがかかっているわけですからね。

菅原 ええ。一方で、多くの政治学者は、メディアが何を言おうと自分の研究には関係ない、あるいは、何を言っても聞いてもらえないだろうと、こういう事態をタイムリーに追及していっていない。でも実際、メディアの偏った分析が独り歩きするようになると、民主主義は非効率的な、歪んだ機能を持つようになります。例えば、消費税に関する情報ばかりでほかの参考となる情報が届かなければ、有権者は限定的な判断材料で投票を選択しなければならなくなる。政治家も誤ったストーリーを元に行動してしまいます。「消費税を持ち出したから負けた」という通説が立って既定路線になってしまうことで、本来ありえたはずの政策の選択肢を大きく狭めてしまうという弊害がある。消費税率アップについても今やおおむね有権者は容認する傾向が強いのに、それを政治の側がわざわざ禁じ手にしてしまうわけですから、こんな茶番はないわけです。

荻上 我々が何を欲望しているのか(したのか)をフィードバックさせるためには、適切な解釈装置が働かなければなりませんが、メディアによる誤ったバイアスがかかったままだと、大衆も政治家も「本当の欲望」を見誤り、誰も望まなかった方向へと舵を切ってしまいかねない。

菅原 そうすると、後世から振り返ったとき、「あの時代の政治は何をやっていたんだ」という評価を下されることにもなりかねない。政治学者という、政治について俯瞰的に確認し、新奇なことを探求している立場にある者として、自分が生きていた時代の政治がそう見られるのは嫌だという気持ちはありますね。消費税そのものの経済政策としての妥当性については何かを言える立場にありませんが、政治の意思決定の仕組みが持っている非効率な作用については、我々は十分に言い得ることがあると思っているんです。

メディアをスルーし、直接政治家に訴えることも手段

荻上 この連載を通して訴えたいことのひとつが、まさにそうした「不幸」を生まないために、若手専門家たちに「現実の翻訳作業」「解釈の是正作業」に積極的にコミットしてほしい、という呼びかけです。ただ、この目論みには困難もつきまといます。例えば「消費税の話をすると選挙で負ける」というジンクス化がかくも広がった中、「いや、消費税のせいで負けたわけじゃないよ」というカウンター言説は、常に「後出しで負けに行く戦」という部分がある。

 菅原さんは、メディアで学者として発言することの機能や効果については、どんな感触を持っていますか?

菅原 論戦としては、後から間違った箇所を発見して指摘するのだから、後出しジャンケンみたいなもので、必ず勝つものだ、と(笑)。もちろん、議論を提起する初期の段階では、メディア、評論家、政治家と多勢で、相手が強力であることは間違いありません。でもそうして正しいことを言い続けて勝ち続けていければ、若い学者や専門家でも影響力を確保していくことはできる。ネットのおかげで、メディアを素通りして政治家やキーパーソンに直接届くルートも確立されている。これも現代的な「影響力」のあり方のひとつだと思います。旧来メディアが独占的地位を失いつつある中、ツイッターなどを経由して専門知がネットワーク化され可視化される動きは、今後も勢いを増していくでしょう。そしてメディアの中の人も、徐々にこの専門知の輪に加わってきています。

荻上 なるほど。漠たる「大衆」の啓蒙ばかりを第一目的とせず、政治に対する具体的な影響力や歯止めを目的とするなら、確かにネットワーク化した専門知による「ツッコミ」が有効に機能する場面も増えてきたように思える。ツイッターによって「ツッコミ」の障壁が下がったことには功罪あれど、政治学者のクラスタも徐々に可視化され、その応答を参照できるようにもなりましたしね。

菅原 ただ、今の政治学の専門領域では、メディアの話題に出るようなことを対象に研究している人は結構少ない。私自身も、本来の分野は選挙制度論で、「夜店の屋台」として世論調査のデータも使って現実政治分析をしているという立場です。世論調査は一週間から数週間おきに必ず出るので話題になり、学者の側にも活躍の場がある。しかし多くの政治学者がやっていることは、メディアではあまり話題にならない、もっとマニアックなものだったりします。例えば、省庁内部で何かの法律が決まる政治過程でどのようなアクターがどう作用したのか、というような。メディアや有権者が興味を持つのは、その法律・政策で誰が得をして損をするのか等、政策の結果であることが多いです。政策の過程は地味で面白くない。実はそういうところにこそ本当の政治があったりもするので、こちら側からのプッシュも必要なのでしょうが、現実問題として争点になっていないと専門家が世に出るルートは限定されてしまう。また、研究と現実のタイムラグもかなりある。特に計量分析となると、まずデータを揃えて、分析を行って、データを見直して......と、何がしか言い得るようになるまで時間がかかります。

「政権交代で日本の政党政治の何が変わったのか?」なんてテーマだと、予算国会を1つ2つ経てみないと暫定的な結論も出せなかったりして、その間に、評論家などの思いつきの言説が広まってしまうわけです。

荻上 メディア上の言説に対して明確なカウンターが出せるまでには、確かに時間がかかると思います。それでも、「それは言い過ぎだ!」というネガティブチェックをその時々で突きつけることは可能でしょう。

 実証的な政治学が盛り上がり、データを扱うことで反証可能性に裏打ちされた政治談義を可能にしつつあることは、とても大きな意義があると思います。政治は、観察者の「名人芸」で左右されやすく、床屋談義が横行しやすい分野のひとつ。政治評論家の分析といえば、「親小沢/反小沢」といった群像劇調の政局論や「新自由主義/第三の道」「大きな政府/小さな政府」といった運動論ベース・思想ベースの見方がほとんどでした。菅原さんが政治を数値データで解析しようとしているのも、そうした従来の方法論への違和感があってのことではないでしょうか?

菅原 違和感というより、「なんでそんな無意味なことをしてるんだろう?」という感覚でしょうか。◯◯主義と××主義とか、大きな政府とか小さな政府とか、一般の有権者は気にしていないし知りもしない。こういった用語や表現は、なんらかの政治的ニーズや政策の方向性を丸めて言葉にするために生まれたわけですが、どんどん独り歩きして、「新自由主義は弱者切り捨てだ」というように、対立する陣営間のレッテルの貼り合いでしかなくなっていく。実際、政治家の仕事は言葉遊びに近いものになっているわけです。しかし、1億人規模の複雑化した民主主義の社会では、もはや政治が進むべき方向を言葉の操作で示すスタイルは有効に機能しにくく、それよりも実際の世論調査のデータから考えていくほうがわかりやすい。「○○政策に反対している人が○%いるが、別の××を実施するためには仕方ないと考えている人が△%いるので、この方向で議論していこう」というように。政治の側も、大きくも小さくもなるような単語であやふやな訴えをするより、データから戦略を立てていったほうがよいでしょう。

後編へ続く

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