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連載
神保哲生×宮台真司 「マル激 TALK ON DEMAND」 第31回

透明性が問われる司法と不透明な裁判員制度の懸隔

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――さまざまな問題点が議論される中、5月21日、ついに裁判員法が施行された。だが、徹底した守秘義務と報道規制により、本来の目的とされた「市民参加により、開かれた司法を作る」との理念とは完全に逆行していると、表現の自由やメディア規制を専門とする上智大学文学部の田島泰彦教授は指摘する。「これまで通りの閉鎖的な司法を正当化するために、司法当局が裁判員制度を利用しているとも考えられる」と続ける田島氏とともに、国民の知る権利と閉ざされた制度の矛盾を浮き彫りにする。

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 【今回のゲスト】
田島泰彦(上智大学教授)

神保 5月21日、ついに裁判員法が施行されました。これまでマル激トーク・オン・ディマンドでは、賛成派、反対派を含めて、裁判員制度について議論を重ねてきましたが、今回はとりわけメディアにまつわる問題----制度の非公開性について話し合いたいと思います。仮にある制度に欠陥があったとしても、知る権利さえ確保されていれば、いずれその問題は周知され、是正されることが期待できる。しかしながら、裁判員制度では裁判員自身に課される守秘義務はもちろんのこと、報道機関も司法当局との話し合いで「自主規制」を決定している。これでは重大な問題があっても、誰もそれを公然と語ることができないし、誰もそれを知ることができない。この問題をどうするかは、喫緊の課題と言えると思います。

宮台 一般に、表現規制や報道規制なるものは、「鍵の閉まった箱の中の鍵」問題という、有名なパラドックスを構成します。神保さんもおっしゃるように、制度に問題があっても、我々はそれを知ることができないように制度自体が作られている、という問題です。まさに由々しき事態です。

神保 今回は、共著『裁判員制度と知る権利』(現代書館)を出された上智大学文学部新聞学科教授の田島泰彦と、議論を進めていきたいと思います。まずは田島先生が考える裁判員制度の問題点を、総論としてお聞かせください。

田島 そもそも裁判員制度の理念は、「市民が裁判に参加することで、開かれた司法を実現する」というものでした。ところが構想されている制度の実態を見てみると、どこがオープンになっているのかと言わざるを得ない。むしろ、さまざまな形で規制を強め、裁判について市民社会が自由に議論するということ自体を、次々に抑え込むような制度になっているのです。一言でいうと、「当初の理念はどこにいったんだ」というのが、私の裁判員制度に対する印象です。

神保 似たような話として、「市民が司法に参加することで、より公正な判決が下せるだろう」という理念に対する矛盾もあります。つまり、それぞれに仕事を持つ市民を裁判に参加させる上では、せいぜい3日間くらいしか拘束できないから、公判前整理手続きで証拠を極度に絞り込むことになる。これによって、フェアな裁判が、逆に危うくなっているということです。それにしても、「市民に対して司法を開くために、報道機関に対しては情報を閉じる」という論理を、どう捉えればいいのか。

宮台 「開かれた」という言葉がマジックタームになっています。そもそも、「開かれた司法」における「開かれた」の意味は、「開かれた政治」と同じで、参加民主主義を指します。参加民主主義には、統治権力側のディスクロージャー(情報公開)が不可欠です。ところが「バイアスがかかっちゃいけない」との名目で、情報は市民に開かれない。十分なディスクロージャーがない状態で、市民にどんな判断をしろというのか。結局のところ、市民参加の見かけは正統性の危機に対応する工夫にすぎず、判決については従来通り内容を制御したいという当局側の意欲がモリモリ表れています。「参加はさせるが情報は与えない」というのが、裁判員制度の特徴です。これは、いわばペテンです。

神保 これでは、「閉じるために開いたふりをした」と思われても仕方がない。こうした裁判員制度の問題点について、我々は何から考えればいいのでしょう?

田島 ひとつには、これまでの裁判のシステムがどんなものだったのかを知らなければいけません。実情を言うと、日本の司法はまったく開かれたものではない。アメリカなどとは違い、テレビ中継も認められておらず、人事や予算などの司法行政に関する情報も、情報公開法が作られていないので、きちんと開示されない。また、最高裁はまだしも、下級審の裁判所では、3名以上の裁判官が行う合議審であることから、当然意見が分かれることもあるが、判決の中でそれが明示されることはありません。さらには、これまで裁判官が記者会見に出て、審理の経過を語ったということも一度もない。つまり裁判員制度は、こうした秘匿のかたまりのような制度の中に市民が入っていくことで、さらなる規制が生まれるという話なのです。

神保 裁判員法によってもたらされる、新たな規制についても具体的に伺っていきましょう。

田島 まず、裁判員法が定める取材・報道規制については、「裁判員の個人情報保護」「接触の禁止」「守秘義務と秘匿漏示罪」「公判前整理手続きの非公開」がある。つまり、裁判員が事件関係者に脅迫されたりする場合なども含め、裁判自体に問題があっても、当事者である裁判員に取材すらできないということです。裁判員の側からしても、守秘義務違反は「6カ月以下の懲役・50万円以下の罰金」という厳しい刑事罰の対象となっており、裁判に関するあらゆる情報の口外を、公判中も公判終了後も、半永久的に禁じられています。

神保 つまり、裁判員は、事件関係者の個人情報はもちろん、評議の内容や議事進行について疑問があったとしても、墓場まで持っていかなければならないと。

田島 だいたい、新しい制度を作るというときには、試行錯誤が必要になるでしょう。ところが現行の裁判員制度においては、問題を改善し、あるいは良い部分を継承するために、市民社会が情報を共有するということができないのです。
神保 「公判前整理手続きの非公開」という規制に及んでは、論点にならなかった証拠や、裁判から抜け落ちた情報を知ることができない、ということになってしまいます。
田島 こうして見ていくと、やはり「開かれた司法」という理念は、欠片も見当たらない。現状の秘匿主義を推し進めるような制度で、これはいったいなんなんだと、言わざるを得ません。

市民参加という大義名分と司法当局が持つ既得権益

神保 そもそも、これだけ厳しい守秘義務を課した司法当局側の論理とは、どんなものなのでしょうか?

田島 裁判員に対する規制の論理は、職業裁判官とは違い一般市民であることから、さまざまな面から保護する必要がある、ということです。つまり少年法と同じで、裁判を行う上で未熟な存在であるから、保護してあげなければいけないだろうという、ある種のパターナリズム(温情主義)とも言えます。つまり、成熟した、主体的な存在としての大人の扱いがされていない、ということです。

神保 報道側からの接触を禁止する理由はわかりますが、裁判員自身が自らカミングアウトしてはいけない理由がわかりません。自分が裁判員であったことを明かしてはいけないとなると、元裁判員として自分が経験した問題を公にすることができない。 これまでの職業裁判官による密室の審理では、世間が納得しなくなってきた。しかし、アメリカのように法廷をメディアに公開するのは嫌だ。そこで裁判員制度を導入することで、市民参加という名目が得られると同時に、「裁判員を守らなければいけない」という理屈で、裁判を非公開制にする大義名分を得ることができる。うがった見方かもしれませんが、この裁判制度というのは、結局、司法が既得権益を維持するための、策略のようにも感じてしまうのですが。

宮台 こうした場合の考え方ですが、組織も一枚岩ではないことを認識する必要があります。例えば、同制度を発案したとされる原田明夫・元検事総長ご自身が「現行の制度には問題がある」と言い出しました。たとえ公的な理由で裁判員制度が発案されたとしても、法案化のプロセスで権益まみれの法務官僚や司法官僚がうごめき、どうせ制度ができるのなら自分たちの都合のいいものにしようと画策した結果、こうした制度ができ上がった可能性があり得ます。原田氏ご自身はこんなペテン的な制度を予想していなかった可能性があるのです。一口で言えば、官僚が法律文書を作る際に発揮するリテラシーの凄さゆえに(笑)、国会議員などが気づかないレベルで権益が書き込まれていくというわけです。

神保 なるほど、最初から規制の強化を目的としたものではなかった、ということも考えるべきですね。さて、裁判で裁かれる、被告人側についてもお話を伺いましょう。

田島 被告人の立場から考えると、秘匿の対象となる「評議」自体が非常に大事になります。どんなプロセスを経て判決が出たのか、裁判官がどんな主張をして、また審理の中で、その主張がどう変容していったのか。とりわけ、有罪判決を受けたのに自分はえん罪だと考えている人、あるいは死刑宣告を受けた人にとっては、どんな経緯で、またどんな根拠で判決が下されたのか、ということを知るのは非常に大事です。被告人が知らなければならない情報を隠してしまう、というのも大きな問題でしょう。この点について、裁判員制度を推進する側の論理は、評議の経緯や中身が公表されてしまうと自由な議論ができない、というものです。

神保 匿名性がなければいけない、ということですね。

田島 しかしながら、職業裁判官においては、評議が公表されると自由な意見が提示できないなどということだったら、プロフェッショナルとは言えないし、資格がないと言わざるを得ない。また裁判員であっても、選出された時点で司法権の行使者であるわけだから、それなりにきちんと説明責任を果たさなければならないはずです。

神保 一方で、裁判員に選ばれたら、正当な理由がなければ辞退できず、否応なく権力の行使者にされてしまう、という問題もあります。こうした無理な制度設計だから、裁判に臨む上でのハードルを下げるために、多くの非公開条項が盛り込まれてしまった、という面もありそうですが。

宮台 これまた一言でいえば「統治権力の側が市民を信頼していない」ということに尽きます。「開かれた」といっても、市民を信頼して任せるのには程遠いのですね。「保護しなければいけない」というパターナリズムもそうだし、「市民のお粗末な議論が交わされる評議の経過が公開されては、司法の正統性に傷がつく」という心配もそうです。要は「市民をバカにしながら、利用している」わけですよ。そのことに、まずはマスメディアが気づく必要があります。

神保 冒頭でも申し上げた通り、こうした規制に加えて、マスメディアも自主規制のルールを設けています。これについてもご説明ください。

田島 制度設計について議論をしていた段階で、試案では報道に関する規制として、裁判に偏見を生じさせる行為、つまり偏見報道の禁止というものがありました。これは、罰則のある規定ではなく「やめるようにしましょう」という倫理的な、努力義務的な意味合いでしたが、「何が偏見を生じさせるのか」という部分を権力が判断することになるなどをはじめ、法律に書かれては困る、ということでメディアは反対のキャンペーンを張った。それもあって、ある段階からこの禁止規定は削除されることになったものの、制度設計を進めていた当局者は形式より実を取り、最高裁はメディアに自主規制を求めました。メディアの側も削除に向けた反対キャンペーンをする上で、「自分たちでルールを設けるから」と言ってしまっていた手前もあり、偏見報道以外の禁止条項も受け入れせざるを得なくなったのです。もともとは報道規制を避ける方便でもあり、必ずしも実際に検討しようとしていたわけではなかったのですが。

統治権力が持つ正当性とメディアが陥る機能不全

神保 ここで、最高裁刑事局の平木正洋・総括参事官が出した「平木見解」と呼ばれる御触書を見てみると、報道機関がしてはいけないこととして、「捜査機関からの情報を確定した事実として報道」「被疑者の自白があったこと・内容を報道」「被疑者の弁解の不合理性を指摘」「捜査機関側の証拠を強調、確定的に報道」「被疑者の前科・前歴を報道」「被疑者の生い立ちや人間関係を報道」「有罪を前提とした有識者のコメントを報道」という7つが挙げられています。メディアの自主規制はほぼこれの丸呑みなわけですが、それにしても平木さんが指摘しているような報道は、我々が日々マスメディアで目にしているものですから、要するに平木さんは、既存メディアの裁判報道を否定したということですね。

田島 当然のようなことも盛り込まれていますが、一方で、「被疑者の生い立ちや人間関係」を伝えずに事件をどう報じるのか、という窮屈さもあるでしょう。また、私が最も問題だと感じたのは、この見解には明記されず、盛り込まれていないものの、平木さん自身が「ある事件がえん罪であるということについて、一方的なキャンペーンを張るような報道もよろしくない」と語っていることです。要するに司法当局は、メディアは当局の手のひらの上でおとなしくやってくれ、と言っているに等しいのです。こうした見解を受けて、新聞協会と民放連が自主ルールとしての指針・ガイドラインをまとめ、それを踏まえて、テレビ局・新聞社が各社ごとにさらに詳細な自主規制ルールを作っている状況です。

神保 確かに各メディアの事件報道は暴走することもあるが、一方でこのように司法当局の手のひらで踊らされるのも問題のような気がします。宮台さんはどう思いますか?

宮台 統治権力と市民を分ければ、マスメディアは市民メディアであり、統治権力を監視する機能を果たすことが責務です。ところが日本のマスメディアに弱みがあったわけですね(笑)。「平木見解」7項目の大半は、市民メディアが統治権力に利用されたり弱みを握られたりしないように、日頃から遵守して然るべきものです。ところが改めて裁判所に指摘されてみると、日本のマスメディアがいかにデタラメだったかがわかります(笑)。本来なら統治権力側がマスメディアに注文をつけるのはおかしなことですが、注文内容が市民メディアに要求される当たり前の基準なので、おかしさを批判しにくくなっています。 一方、裁判員法自体を見ると、行政官僚の法案作成能力の低下を示す事例をここにも見いだせます。守秘義務に違背した裁判員に重罰を加えることは、従来の法的権益の維持に貢献すると見えて、実は微妙です。というのは「人柱」になる覚悟で同法の問題点をチェックする裁判員と報道機関が現れた場合、彼らの指摘が極めて適切なのに重罰に処することになり、裁判員制度の守秘義務に関する正統性が一発で崩れるからです。メディア側は、制度上の大問題が生じた場合に「人柱」覚悟で告発して処罰された者(裁判員や取材者)を、相互扶助で助けられる仕組みを作っておけば、告発の敷居を下げられる。この程度のベタな枠組みで正統性を維持しつつ市民を操縦できると思い込む、当局の頭の悪さが印象的です。

神保 先ほど、田島先生から「裁判システムの現状を踏まえる必要がある」というお話もありましたが、報道についても同様に、現状を見ていく必要があるでしょう。例えば新聞社の社会部記者は、朝駆けや夜回りを続け、警察や検察を追って得られた情報を原稿にしている。もともとこうした報道の手法の大義は、情報公開をしない権力をメディアがチェックするためにはこの方法しかないということだったはずです。それが、意にそぐわない報道をすれば、すぐに出入り禁止になってしまうため、夜討ち朝駆けが権力をチェックするためというよりも、権力の御用聞きに行っているようになっています。田島先生は、こうしたメディアのあり方については、どう解釈されていますか?

田島 捜査機関、あるいは裁判所とは違った視点で、メディアが事件を伝えるのが理想でしょうが、それを実現するのはなかなか難しい。しかしその前に、権力の濫用や不当行使をチェックするという、本来の機能をメディアが取り戻すのが先決です。そうした前提を失い、さらには捜査権力に依存して情報を追っかけているわけですから、歪んだ形になっていると言わざるを得ない。裁判員制度の大きな問題をきっかけに、メディアが本来の役割について半歩でも踏み出すことができるのならば、それなりの意味が生じると思います。しかし、私が見てきた限りでは、そういうことを考えているメディアはありませんし、権力の側も現状を変えることはまったく想定していません。

神保 現状を考えると、記者クラブに所属しているメディアのみが、捜査機関の一次情報にアクセスすることができる。ビデオニュースが夜回りをすれば、私が話を聞けないどころか、「おかしなメディアが来ているから、今日の懇談はナシにする」ということになるでしょう。私の周りには、過去に警察や検察にとって不都合なニュースを報道し、記者クラブから出入り禁止になった記者もいましたが、その時私が、「これまで取材してきたことを、すべて明らかにするチャンスじゃないか」と言うと、「僕らとしてはそうだけれど、会社の上(上司)や役員クラスが当局との間で、どうすれば出入り禁止を解除してもらえるかの交渉しているみたいだから」なんて返事が返ってくる。組織としては、警察や検察情報にアクセスできなくなることは死活問題であり、ひとりの記者の使命感で、会社を潰すことはできないんですね。つまり、メディアを批判するのは簡単ですが、問題はかなり根が深いということです。

宮台 記者クラブだけに開かれた会見は、統治権力が気に入ったメディアだけ集めて好きなことをしゃべる仕組みであり、記者会見の名に値しません。役人や政治家が「俺の気に入らないことを書いたら明日から出入り禁止だ」と言い、記者クラブが唯々諾々と従うのだから、市民メディアとしての監視機能が働くはずがない。枠組みを変える必要があるのは明らかです。メディアが立法・行政・司法に対峙する第4の権力として統治権力を牽制する意気込みがあるのならば「会見を記者クラブ相手だけに開くのはやめろ」と主張すべきですが、主張しないのを見ると、新聞やテレビは、記者クラブの既得権益に安住するだけの粗大ゴミです。

田島 現状をどう変えるか、というのは大変な課題です。しかし、いずれにしても必要なのは、当局に捜査情報を開示させること。当局の恣意的な判断で、都合のいい情報だけを出すというのは、どう考えてもおかしい。人権保護やプライバシーの問題に関しては、さまざまな配慮が必要ですが、人を逮捕するというのは、最高の国家権力の行使であるわけだから、その情報を市民社会に還元できないというのは、本来的にありえない話です。つまり、メディアだけではなく、我々市民社会の問題として、情報開示を強く求めていくことが大事なのです。

宮台 この番組でも扱った重大な問題ですが、警察から検察に送致された事件のうち、起訴されて有罪となり収監されるケースは3%以下です。他方、起訴された事件は99%以上が有罪判決を受けます。司法判断の実質を担っているのは、裁判所でなく検察なのです。検察の起訴が裁判所の有罪に相当し、不起訴が無罪に相当し、起訴猶予が執行猶予に相当する。裁判所が行政権力にすぎない検察に完全にぶら下がっていることを、日本の市民は知らないでしょう。起訴状一本主義の対審制----裁判官が起訴状以外の情報を一切知らぬ予断なき状態で双方の言い分を聞いて審判する----という建前は、完全に虚構なんですね。

神保 例えば、和歌山毒物カレー事件においては、捜査機関が持っている捜査情報の中には、林眞須美被告が犯人ではないことを示す情報も多数含まれているはずだと確信した安田好弘弁護士が、公判でその開示を求めたが、結局捜査情報は開示されなかった。そもそも、こうした事実を知っている人間が日本に数えるほどしかいない現状を考えると、唯一法制度を変えられる政治の現場が動くとは思えません。つまり、世論の支持がない中で、政治家がこうした問題に取り組んだとしても、プラスになる要素がないし、逆に「言論機関に手を突っ込んだ」と批判されるリスクすらある。非常に難しい問題ですが、処方箋はあるのでしょうか?

宮台 この番組でも繰り返し扱いましたが、検察や裁判所を含めた統治権力が正統性の危機に陥っている現状があります。典型が、小沢秘書の逮捕問題が検察の思い通りに運ばなかったことです。今後も検察に限らず、統治権力がこうした見込み違いによって威信喪失の墓穴を掘る事態が間違いなく頻発します。いったいどんなパラメータが変わったのか。答えは「インターネットの口には戸が建てられない」。今回の小沢秘書問題もそうですが、統治権力が記者クラブをコントロールしたところで、記者クラブメンバーの新聞やテレビが報じない情報が山のように流れます。このマル激もそう。現行の仕組みの下でマスメディアを信用するのは、馬鹿だけです。その意味で、歴史の流れにうまく棹させば、従来のマスメディアに代わる信用を獲得するチャンスが、インターネットメディアにはあります。

田島 確かに、メインストリームのメディアが機能不全に陥っていることは確かなので、「別の新しいメディア」、例えば市民的メディアに期待するしかないのかもしれません。

宮台 情報は物財と違い、才能のない100人と、才能あるひとりが、有意義な情報をめぐって競争し、ひとりが100人に勝ちうることがあります。つまり、情報の世界にはいつでも下剋上のチャンスがある。「既得権益にぶら下がって生き残る」戦略には臨界点があるのです。「ここで乗り換えないと、勝ち馬に乗れない」というラインがあるわけです。既存のマスメディアが新しい勝ち馬に乗り換えることを決断するべき時期が迫っているのではないでしょうか。
 先ほどの「人柱」戦略に加えて、メディアの方々に採っていただきたい戦略があります。僕は、ラジオで裁判員制度に対する反対キャンペーンを張るべく、青年団(平田オリザ代表)にお願いして、ラジオドラマ(『あなたは人を裁けますか? 宮台真司と考える裁判員制度』TBSラジオ)を作っていただきました。この作品が2008年ギャラクシー賞で選奨を取りました。そこで感じたのは、映画なり演劇なりといったフィクションを使えば、裁判員制度の運用がどんなにひどいことになっているのかという実情を描くチャンスが与えられることです。実在の事件に触れずに問題を追及する方法もあるのです。あらゆる方法を駆使するべきです。

田島 プロフェッショナルというのは、そういうことだと思います。例えば裁判官の取材というものは、法律で禁じられているわけではないので、もちろん断られる可能性も高いが、やってみなければわからない。裁判官の中にも不満を抱えている人はいるはずですから、情報が引き出せるかもしれない。こうしたトライアル、試みというのが、本来ジャーナリストがすべき仕事でしょう。

神保 何かの手を考えて、問題をあぶり出せと。非公式であっても取材に応じてもらえるのならば、現職の裁判官に話を聞いてみたいですね。そういうことができる月刊誌が軒並み廃刊していく現状、ネットメディアやネット世論というものが、どれだけその代替として機能するか、というところにも期待しましょう。もちろん、ネットメディアは玉石混交ですから、難しいところかもしれませんが。

宮台 今回も「マル激が頑張らないといけない」という結論ですね(笑)。

(構成/神谷弘一 blueprint)

『マル激トーク・オン・ディマンド』
神保哲生と宮台真司が毎週ゲストを招いて、ひとつのテーマを徹底的に掘り下げるインターネットテレビ局「ビデオニュース・ドットコム」内のトーク番組。スポンサーに頼らない番組ゆえ、既存メディアでは扱いにくいテーマも積極的に取り上げ、各所からの評価は高い。(月額525円/税込)

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神保哲生
ビデオジャーナリスト。ビデオニュース・ドットコム代表。代表作に『ツバルー地球温暖化に沈む国』(春秋社)など。

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宮台真司
首都大学東京教授。社会学者。近著に『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など。

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田島泰彦
早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学後、神奈川大学教授などを経て現職。共著に『裁判員制度と知る権利』など。


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