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第2特集
「日本一カッコいい男」白洲次郎の"正体"を暴く!! 【4】

東洋大学国際地域学部・西川吉光教授が語る「日本外交史と白州次郎」

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「戦後の日本外交史において白洲次郎の評価は決して高くはない」

単なるイケメンオヤジではなく、終戦直後の日米交渉において大いに活躍し、日本国憲法制定にも深くかかわったとする逸話も残る白洲次郎。いったいその"実力"のほどは? 戦後外交史の専門家に話を聞いた。

──世間一般の白洲次郎の評価は、「GHQの押しつける無理難題に対し、真っ向から異を唱えた唯一の人物」「通産省を誕生させ、貿易立国という戦後日本経済の筋道をつけた」など、非常に高いですが、学問的に見た場合、彼の果たした役割はどう評価されているんですか?

西川吉光(以下、西) 占領統治下の政策や独立の回復、さらに対外政策の形成において、白洲が著しい功績を残し、その言動が後の日本外交に大きな影響を与えたかといえば、答えはノーです。彼の功績は、関係者の意志疎通を円滑にするために飛び回ったメッセンジャー、ないしコミュニケーターとしての役割以上のものではなかったでしょう。例えば、サンフランシスコ講和会議の直前、演説原稿の日本語への書き直しと、沖縄返還要求を盛り込むことを彼が指示したなどという話もあるようですが、逸話の域を出ません。白洲は、もっぱらメッセンジャーとして米国や外務省の意見を吉田に伝え、その了承を得ただけと考えられています。全権団のいち顧問である白洲の思いつきで、重要な演説内容がコロッと変わったなんて、そのほうが一般ウケはいいでしょうけど、外交とはそんなに単純なものじゃないですよ(笑)。

──白洲は、憲法改正の際にも大きな役割を果たしたとされていますが......。

西 彼は、終戦連絡中央事務局の参与、要するにお目付け役として吉田によって送り込まれた顧問のような立場で、実質的な権限はほとんどないし、法律に関する専門知識もありません。実際に努力したのは、後に内閣法制局長官になった佐藤達夫法制局第1部長(1945年当時、翌年に次長)らであり、当時のことを記した佐藤の著書には「たまに白洲氏も議論に加わった」と書いてある程度です。GHQ作成の憲法草案に書かれた天皇の位置付けを示す語"symbol"を翻訳する際、彼が手近にあった辞書を翻訳官に引かせて「象徴」とした、という話は事実かもしれませんが、天皇制や戦争放棄などの核心部分の決定に、白洲の意見や主張が反映されたとは思えません。やはり、実務家としてではなく、メッセンジャーとして、吉田とGHQの双方に重宝がられた人物と見るべきでしょう。

──それではなぜ、政治・外交・経済の専門知識や実務経験に乏しい、無位無官の民間人である白洲が、政財界の中枢に食い込めたんでしょう?

西 理由はいくつか考えられます。まず、当時、語学力のある人間には、それだけで大きなチャンスがあったんです。しかも、白洲の境遇やスタイルは、彼の強力な後ろ盾となった吉田と非常に似ていました。良家の育ちで渡英経験があり、アングロサクソンのリベラリズムを直接見て学んでいる。素行や学業成績はあまりよくなかったにせよ、頭は決して悪くない。さらに白洲は、陽気で開放的な性格で、正論をズバズバ言うけれど、ただのハッタリ屋やほら吹きではなく、そのうえ口は堅いので、権力者に気に入られやすい。ひけらかすような専門知識を持たなかった点も、逆に吉田にかわいがられる要因になったでしょう。財界への転身に際しても、おそらく吉田を始めとする保守層の人脈がモノをいったのではないでしょうか。占領期の混乱が終わり、さらには吉田が首相を辞めたことで、政治・外交における活躍の場を失い、財界に新転地を求めたという側面もあったと思います。

責任とは無縁の場所で言いたいことだけ言っている

──白洲が現代日本人にこれほど受け入れられている理由は?

西 第一に、今の日本人のナショナリズムが、敗戦時の日本にフィクションを求めているからです。当時、石橋湛山蔵相のように、身をていして米英に抵抗した人もいるにはいましたが、ほとんどの日本人は、コロッと転向、完敗してしまった。その事実を認めたくない世代が、「占領下で頑張った日本人」がいてほしいと願い、白洲を見つけた。彼の評価に関しては手あかもついておらず脚色しやすいですから、皆が飛びつき、八面六臂の活躍の"神話"が生まれたのではないでしょうか。立場上役人や政府高官は公然と口にできないGHQへの不満も、私人で組織のしがらみや責任を持たない白洲なら、ストレートに言うことができた。そこが「プリンシプル」を持つ男、度胸ある人物として魅力的に映るのでしょう。

 第二に、日本人は、個人を評価するとき、能力や業績よりも、生きざまやスタイル、過程を重視するうえ、上には厳しく臨み、下には慈悲を持って接した、という類の話が大好きだからです。白洲は、権力者や大物政治家にかみつく一方で、大企業の会長でありながら、ゴルフのキャディーや現場の作業員に優しく振る舞ったとされます。まさに日本人の好みにピッタリな逸話の持ち主で、権力者でありながらプチ権力者の役人を糾弾する水戸黄門と同様、最も日本人ウケするキャラとしてデフォルメされているわけです。

──政治家や官僚ではなく、白洲のような民間人が英雄視されているのは、昨今の役所・役人叩きの世論を反映している気がします。

西 それはあるでしょうね。逆に役人からすると、白洲は最もイヤなタイプでしょう。なぜなら、一見弱者の味方のようですが、逆にこういう人は中間管理職にはひどくキツイんですよ。しかも、バックには権力者がいて、なんでも上司に筒抜けですから、周囲は悪口ひとつ言えません。おまけに、スタイルにこだわり偉そうなことを言うけれど、自分は安全なところにいるので、失敗の責任を問われず、すべてを官僚に押しつけることもできる。責任を問われない白洲は、ただGHQに対する日本の限界や無力さを嘆き、憤っていればいいわけです。こういうタイプが組織内にいると本当にやりづらいし、官僚にとって最も警戒すべき危険な存在でしょう。

 私も役人の経験がありますから、個人的にこの手の人間はあまり好きではないですね。なんの権力も後ろ盾もなく、わが身を顧みず正論を貫いた、というなら共感もしますが、白洲は結局、権力者側の人間です。NHK『その時歴史が動いた』では、「通産省の設立を見届けると、風のように去っていった」とカッコよく演出されていましたが、同僚や部下は案外、彼の退任を喜んで、拍手したんじゃないですか(笑)。

──では、日本人が白洲から学ぶべきものがあるとすれば?

西 まず、外に向かってはっきりものを言う姿勢でしょうね。物事を曖昧にすることは、日本社会においては美徳とされますが、国際的には一番バカにされる態度です。その点彼は、なんでもストレートにズバッと言う。文句を言うことはケンカするのと同じことだ、というのが日本人的感覚ですが、それは誤りです。たとえ「ノー」を突きつけたとしても、理にかない、感情に流されない堂々とした主張であれば、欧米人はちゃんと聞くものです。

 ただ、いつも単に勇ましく、ケンカ腰ならいいというものではありません。おそらく白洲は、ネアカで爽やかな天性の性格と、かなりの嫌みを言っても許されるキャラクターで、そのうえ、上手な甘え方と逆らい方の技術を心得ていた人物だったのでしょう。だからこそ吉田に気に入られ、マッカーサーにも首を飛ばされなかった。そういう面があったのを忘れて、相手を問わずにかみつく彼のうわべだけを真似るのは、大変危険です(笑)。国家としての日本はもちろん、日本人は、米国だけでなく中国や韓国に対しても、ウィットとユーモア、それに少々辛めの嫌みで切り返し、世界に「日本のほうが論理的でスマートだ」と思わせるようなコミュニケーション能力やマナー、相手を見てケンカをする駆け引きの能力を、彼の生きざまやスタイルから学ぶべきでしょうね。

西川吉光(にしかわ・よしみつ)

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1955年、大阪府生まれ。大阪大学法学部卒。法学博士。77年、国家公務員上級職試験に合格し、防衛庁に入庁。防衛庁長官官房企画官、防衛研究所研究室長などを歴任。02年、東洋大学国際地域学部教授に就任。専攻は国際政治学、安全保障。著書に『日本政治外交史論』(晃洋書房、01年)、『アメリカと東アジア』(慶応大学出版会、04年)、『日本の安全保障政策』(晃洋書房、08年)ほか多数。


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