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澁川祐子の「味なニッポン戦後史」【8】

サラリーマン社会の衰退で始まったスイーツのジェンダフリー 「甘味」(後編)

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――甘い、辛い、酸っぱい……日本の食生活で日常的に出くわす味がある。でも実は、“伝統”なんかではなく、近い過去に創られたものかもしれない――。味覚から知られざる戦後ニッポンを掘り起こす!

【澁川祐子の「味なニッポン戦後史」】
【1】専業主婦率上昇で浸透した「だし」をめぐる狂騒 「うま味」(前編)
【2】魔法の白い粉「味の素」の失墜と再評価 「うま味」(中編)
【3】無形文化遺産登録で露呈した伝統的な「和食」のほころび 「うま味」(後編)
【4】専売制下で誕生した「自然塩」の影にマクロビあり 「塩味」(前編)
【5】地名を冠した塩商品の爆増と「日本人は塩分を摂りすぎ」問題 「塩味」(後編)
【6】終戦後の砂糖不足で救世主に 「人工甘味料」バブルと転落 「甘味」(前編)
【7】カロリーゼロから高糖度の野菜まで 「甘い」をめぐる大転換と二律背反「甘味」(中編)

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(写真/Getty Images)

大学生だった1990年代前半、男友だちに「パフェを食べに行きたいんだけど、男だけで行くのは恥ずかしいから一緒に行ってくれない?」と頼まれたことがある。自分が食べたいものを食べるのに、人目を気にしないといけないのか。最終的に一緒に行ったかどうかは覚えていないのだが、甘党の男性はなんて不自由なんだと思った記憶が残っている。

そのときからくらべると、30年経った今の世の中は隔世の感があるかもしれない。のちに詳しく述べるが、「スイーツ男子」という言葉が広まったのは2008年(平成20)から09年にかけてのことだ。その後、甘いもの好きを公言する男性のタレントやスポーツ選手が増え、男性のスイーツ評論家やパフェ愛好家も現れた。昨今では、自分が食べた甘いものを男性がSNSに投稿するのは、もはや珍しいことでもなんでもない。

00年(平成12)に刊行された『食の文化フォーラム18 食とジェンダー』(竹井恵美子編、ドメス出版)で、栄養学を専門とする山本茂氏は「嗜好に生理的性差はあるか」と題する興味深い論考を発表している。山本氏は冒頭で、自分はお酒に弱く、大の甘党であると述べ、「レストランや喫茶店で甘いケーキを頼むときには、少し恥ずかしい思いがある」と告白する。さらに、そう思う気持ちの裏には「『男は辛党のほうがよく、女は甘党のほうがいい』という固定観念がある」と指摘。しかし、以前にくらべて男子が甘党を名乗ることもさほど抵抗がなくなっていることを踏まえ、嗜好に性差があるとしたら、生理学的に説明できるのだろうかと問題提起している。

そこで山本氏は、エネルギー必要量やタンパク質摂取量の性差を比較検討したうえで、嗜好の性差は「本来の生物学的性差にもとづくものではない」との結論を導き出した。それよりむしろ「脳へのすりこみ現象(インプリンティング)」――女性は甘いものが好きで、男性はアルコールが好きという社会的通念によって、女性は甘いもの、男性はアルコールを摂取する機会が増え、結果的に「消化酵素やホルモンの分泌に差を生んだり、他の多くの生体の機能や形態までも変えているためであるように思われる」と述べている。つまり、甘味に対する嗜好の男女差は後天的に獲得されたものである可能性が高いということだ。だとしたら、「男は辛党、女は甘党」という食の好みの性差は、日本でいつ頃から顕著になったのだろうか。

菓子の知識は武士のたしなみ

甘いものが女性と結びつけられるのは、日本に限ったことではない。デボラ・ラプトン著『食べることの社会学』(新曜社、1999年)には「砂糖とチョコレートは伝統的に、女性の食べ物としてコード化されてきた」とある。ただ、日本と異なるのは、甘いものに対する“男性的”とされる食べものが欧米では「肉」であることだ。日本では表向き肉食が禁止されてきた歴史が影響しているせいか、甘いものの反対の辛いもの、さらにその相棒としてのお酒が男性と紐づけられることが多い。

考えてみれば、甘いものとお酒は共通点が多い。どちらも摂取せずとも生きていける嗜好品であること、またリラックス効果があること、さらにコミュニケーションの潤滑油になることだ。

その点からいうと、江戸時代まで甘いお菓子はお酒と同様、男性にとって重要なコミュニケーションツールだった。なんせ戦国武将の間で大流行した茶の湯に、菓子はつきものである。1693年(元禄6)に刊行された啓蒙書『男重宝記(なんちょうほうき)』では「菓子類」の項目があり、約250種類もの和菓子の名前が簡単な説明とともに列挙されている。社交の場でもあった茶席で恥をかかないためには、男子たるもの、菓子の知識も教養の一つとして頭に入れておかねばならなかったのだ。

また、明治時代までは「嘉祥(嘉定)」という風習が行われていたが、これも菓子を通じたコミュニケーションの一形態と捉えることができる。起源は平安時代、仁明(にんみょう)天皇が御神託に基づき、6月16日に「16」の数字にちなむ菓子や餅などを神前に供えて疫病退散と健康招福を祈願し、「嘉祥」と改元したことに由来する。以後、武家社会にも受け継がれ、江戸時代には幕府が大名や旗本を江戸城に集め、大々的に菓子を配ったほどだった。ちなみに、現在では全国和菓子協会によって6月16日は「和菓子の日」と制定されている。

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苗村丈伯著『増補男重宝記』(吉野屋藤兵衛版)より、挿絵つきの菓子類の頁。(国立国会図書館蔵)

下級武士にしても、江戸勤番の日々を綴った幕末の和歌山藩士の日記『酒井伴四郎日記』を見ると、江戸に向かう中山道中や、滞在中の江戸でたびたび名物餅を食べている。江戸時代までは少なくとも、男性も気軽に甘いものを楽しんでいたのだ。ならば変化したのは、民法によって家父長制が定められた明治時代以降ということか。しかし、そこから辿るとなると途方もないので、逆に「男は辛党、女は甘党」という縛りが薄らいだ現代から遡って、転換点を探ってみたい。

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