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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【39】

ピュアな「可愛い」へと逃避する文化――幽霊、女のいないポルノグラフィへ。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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90年代はまだ、精巧に最適化された日常を構築する詐術が確立していなかったから、裏切りと糾弾される悲劇も多かった。

 先々月の本稿で♯metooの話をしたが、日本では早稲田大学で渡部直己のセクハラ事件が暴露された。しかし、弟子の市川真人による文壇内根回しが功を奏したのか、荒木経惟の件より早く鎮火しつつある。結果として、写真業界より文学業界のほうが海外の状況と乖離した村社会で、日本的なクローズド文化であればあるほど、♯metooの有用性も低くなることを証明している。

 実際、ウェブ上の大衆たちから、♯metooやポリティカル・コレクトネスは「フェミナチ」という蔑称で一緒くたに叩かれており、見事にバックラッシュが起きている。まあ、アメリカでは『大草原の小さな家』の原作者名を冠した児童文学賞「ローラ・インガルス・ワイルダー賞」が、先住民に対する差別的描写を指摘され、名称変更するなど、現在の価値観で過去の作品や人物を裁く無茶な歴史修正主義も加速しているから、日本での動きも単なるバックラッシュとは言い切れず、ナショナリズム的な文化防衛の発露という側面もなくはないのだが、ややこしいのはポリコレやフェミニズムの外圧から守ろうとしている現在進行系の日本文化の多くは本質的にポルノグラフィで、内部批判を許さないクローズド文化ということだ。

 現代日本のポルノグラフィの特徴は、80年代のロリコンブームと宮崎事件の内省を経て、極端なバーチャル化による非肉体主義へ至っていることだ。90年代に乙女ちっく少女マンガをサンプリングして構築された「可愛い」イデオロギーがテクノロジーの進化と結びついた結果、男の手で男の都合に最適化された二次元美少女を男が演じる虚構世界を構築している。ボーカロイドやVTuberはその最先端だが、現実離れした萌え系美少女キャラはあらゆるメディアに溢れ返っている。どうしてこうなった。

 ここで思い出すのは、90年代のサンプリングだ。筆者は学生時代、友人に誘われ、とあるマンガの私設ファンクラブに入っていた。その『りびんぐゲーム』(星里もちる)というマンガは、バブル期の住宅難を背景に就職上京してきた中卒の美少女とサラリーマンの同居生活を描いたドタバタラブコメだったが、青年マンガ誌の連載だったので、途中からシリアスな展開になり、会の先輩たちは幼年向け少女誌に連載されていた『水色時代』(やぶうち優)へ流れた。早い話が『りびんぐ~』のヒロインが非処女だと判明し、自意識を語り出したので、女性作家によるピュアな中学生の青春ラブコメへ逃走したのだ。筆者は先輩たちの「転向」に首を傾げていたが、この経験が就職した出版社で役に立つ。エロマンガ誌の編集部に配属され、上司から「少女マンガ風の絵柄の女性作家を取ってこい!」と命じられたのだ。90年代に入り、幼年誌以外では乙女ちっく少女マンガの女性への需要が低下しており、作家予備軍がエロ同人誌やエロゲー原画へ越境していたので、それをスカウトしろと言われたのだ。読者側も80年代のロリコンブームを宮崎事件でバッシングされた結果、需要が地下水脈化し、幼年誌の「可愛い」少女マンガを貴重なポルノグラフィの供給源とするようになっていた。先述した『水色時代』の件はその典型だが、いまや50代に差し掛かっている先輩たちは現在も『プリキュア』シリーズの熱烈な視聴者だ。そして、女性作家のスカウティングも次々と成功した。

 しかし、00年代に入ると、様相が変わってくる。業界内に少女マンガ風の美少女を描くノウハウが蓄積されると、女性作家の自意識が男性読者の欲情と利害が一致しないことが判明したからだ。結局、男性の快楽のツボを熟知しているのは男性であり、サンプリング元として利用した女性作家たちはハードコアポルノへ回帰していくエロマンガから、萌え四コマや百合などのソフトコアポルノな「出島」へ排除された。そして、男性のいないピュアな世界を黙々と描き続けるか、筆を折った。ポルノ産業は肉体と精神の搾取と言われており、その延長線で♯metooも発生したのだが、排除した男たちにそうした自覚はない。むしろ、宮崎事件のバッシングに起因する内罰的なトラウマから「ピュアな美少女でなければ救われない」という強迫観念と被害者意識を抱いている。作中から等身大の男性を抹消し、美少女だけのピュアな日常恋愛空間を求めつつ、「男の娘」「女体化」など極端な性的逃避を伴うトランスジェンダー要素が目立つのも、ミソジニー的な女性恐怖の反動であり、排除と抹消の補完行為だからだ。ある日突然、『りびんぐゲーム』のヒロインを誰も語らなくなったように。

更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
コラムニスト&〈元〉批評家。90年代から批評家として活動。2009年、『批評のジェノサイズ』(共著/弊社)刊行後、病気療養に入る。誘ってきた友人(♂)は百合とBLにハマって、メンヘル女と失踪した。異常な青春だったが、「これがオタク的大衆なのか」という諦念が人生観になった。

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