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町田 康の「続・関東戎夷焼煮袋」第23回

【イカ焼】――イカ焼を食べた。他の"粉もの"と一線を画するその食感の正体とは……

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――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

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photo Machida Ko

 奇怪な海洋生物の女性が教えるところにしたがって、プッシュー、と音がするまで電子レンジで加熱して食したイカ焼の、その味はどんな味だったか。

 それは間違いなく少年の頃の記憶の味であった。どんな感じかを具体的に申し上げると、そうした薄力粉を水で溶いて焼き固めた料理、最近の言い回しで私はこの語彙をあまり好まぬ、いやさむしろ憎んで撲滅したいと思っているのだが、いまのバヤイは仕方ない、断腸の思いで申さば、所謂、粉もの。以前、自ら作成して無慚なこととなり、死ぬしかないのかな、というところまで追い詰められた好み焼を筆頭に、蛸焼、文字焼などがあり、それぞれ個性というか、売りがあるようなことを言っているが、はっきり申し上げて、同じ、粉もの、という範疇に属しながら明確に一線を画しているように思え、イカ焼の立場からすると、それらはどれも同一線上にあるもののように思えてくる。

 つまり、ひとりイカ焼のみが屹立している。そんな風に私には思えてならない。

 どこがそんなに違うのか。まあ、それら同一線上にある者、或いは、それを支持する者の立場から言えば、「彼はイカ、我はタコ。そら違うわな」とか、「形状がまるで違うものな。ありゃ、どちらかというとクレープの仲間だよ」と言ったようなことを言うのかも知れない。

 はっきり申し上げる。そういうことじゃないんだよ。事の本質はそこにはないんだよ。「じゃあ、どこにあるんだよ」ほほほほ。わからぬ人だな。自ら、粉もの、などという下品な名乗りを敢えて名乗るのであれば、それくらいわかれ。本質は粉にある、というとわからぬか。粉を水で溶いて焼き固めたものの味にあるのであって、そうした具とか、形状とかにあるのではないっ。

 つまり、具がタコであっても、形状が円であっても四角であっても、イカ焼はイカ焼であって、その他のものではないのである。

 というとなにを宗教みたいなことを言っているのだ、と思う方もあるだろう。けれども私は神を語っているのではない。信仰を語っているのでもない。味について語っているにすぎない。でも、味というものの、ぎりぎりの肝要のところを語っている。

「じゃあ、その肝要とやらについて語ってみろよ」黙りなさい。粉もの。これから語るところだ。「私は粉ものではありません。私には文字焼という名前がありますっ」

 そのぎりぎりの肝要のところは、焼いた生地の、モチモチした、感触である。そう、イカ焼には、好み焼にも蛸焼にも、ましてや主に関東戎夷の食すところの文字焼などにはけっしてない固有の、モチモチした感触があるのである。

 その一片を口中に投じた瞬間、ツルッ、とした、コーティングされたような感触を舌に感じる。そして次の瞬間、抵抗感とともにそれが弾け、その皮膜の裏側にある、ある意味、従属のような、別の意味では団結のような、そんなものが崩壊した抵抗感と渾然一体となって、口中にひろごりて嚥下されていく。その抵抗感と一体化した従属と団結、それがモチモチ感の正体であり、すなわち、ギリギリの肝要の部分である。

 そして、それは実名を出して申し訳ないが、山崎パンあたりが主唱する、モチモチ感、などとはまったく違うもので、どこが違うかというと、そのモチモチ感は民衆に媚びたようなフワフワ感と一体化したものだが、イカ焼のモチモチ感は、むしろフワフワ感とはまったく逆のベクトルの、プリプリ感、と一体化しているという点が違うのである。

 と言うと短絡的にものを考える人が一斉に押し寄せてきて、「あ、なるほど。ということはイカがそのプリプリの役割を担っている訳ですね」と言うかもしれない。それに、「はい」と答えれば静かな生活が保証されるのかも知れないが、私は神を恐れる。偽りを言うことはできない。違う。さっきから言うようにイカ焼にイカはあまり関係がない。そのプリプリ感もまた、あくまでも粉そのもの、焼いた生地そのものに存するものなのである。

 と、そこまで言うと、なぜひとりイカ焼のみがそのような独自独特の地位を占めることができるのか。一線を画して屹立するのか、を知りたくなるのが人情というものだろう。私だってそう思う。しかしそれについて考える前にもうひとつだけ、イカ焼をイカ焼たらしめる、他の、粉もの、にはない特色を申し上げなければならない。

 それは端的に言ってソースである。

 好み焼にも蛸焼にもソースは付き物で、最近では関東のスーパーマーケット(いま思い出したが、おおざかのおっさんやおばはんはこれをスーパーと呼ぶ)でも、オタフクソースやブルドックソースが、お好み焼きソース、やきそばソースなどと称し、専用ゾースを売り出しているが、はっきり申し上げてあんなものとは根底から違っていた。

 どこが違うのか。それはもうはっきり申し上げて、酸っぱ味、である。酸っぱ味と言って酸味と言わぬのは、それが酸味ではないからで、じゃあなんなのかというと、酸っぱ味としか言いようがないのだが、しかし、それですべてを表現しているという訳ではないのは、それはけっして酸っぱい味ではなく、どこまでいってもソースの味であるからである。それではわからない。という人のためにさらに説明をすると、それは中濃ソースに醸造酢を混入したような味である。といってじゃあ実際に中濃ソースに醸造酢を混入するとその味になるかというと、けっしてならず、それはあくまでも文学的な表現に過ぎない。というか、あまりに複雑精妙なその味が人を文學に追い込むのである。

 漫画ならば簡単だ。「こっ、これはっ」とか言って怖そうな人が驚いている絵を描けばよいのだからね。しかし、実際にイカ焼のソースを賞味・賞翫した人にとってそれは、アッピャッピャッピャッ、とっても大好き銅鑼右衛門、レベルの欺瞞であろう。

 だったら私はそれが文學と呼ばれようが呼ばれまいが、自らの言語、言論の解像度を上げていくより他ない。「言語にとって美とはなにか」そんな難しいことは私にはわからない、と言うことはできる。でも魂のない私は、「言語にとってイカ焼に付属するソースとはなにか」を避けて通ることはできない。

 なのでさらに言うと、それは、中脳ソースに醸造酢を混ぜた感じ、ということになるのだろうか。

 近い。頭頂にドリルで小孔を開鑿し、注射器かなにかで酢を注入するとき、人はこのような感触を得るのかもしれない。しかし、証拠がない。もちろん、今度、折鴨ちゃんか誰かが家に来たときには実地に試してみるが、それとて、本人ではないので実際の感じはわからない。

 なので別の言い方をすると、開墾地で美人がシャブを嗜んでいる感じ。コンクリートジャングルでツルゲーネフがタフマンを呑んでいる感じ。バラク・オバマがペシャワールでトクホンを貼っている感じ。といったような感じなのだけれども、言葉が足りぬ、足りぬ。

 というくらいに玄妙なソース。それがイカ焼を屹立せしむる重要な要素なのである。

 したがって生地に右に申したとおりの、モチモチ感、があっても、ソースがそこいらで売っているようなありふれた中濃ソースなれば、それはイカ焼とは言えず、イカ焼もどき、に過ぎない。

 あはは。あほほ。私はこのonlineショップのイカ焼に、ソース無し、ラインアップがあるのが理解できない。なぜなら、イカ焼は、この玄妙なるソースがあって初めてイカ焼といえるのであって、これを別に売るというのは、まったくもって方手落ち、蛸焼の蛸別売りに均しいからである。或いは大坂表ではSMなどでごく当たり前にイカ焼ソースを売っているのだろうか。しかしonlineショップを利用するのは上方者ではなく戎夷だちなのである。そのあたりの戦略性について東洋経済あたりはもっと論じるべきなのではないだろうか。とまれ。

 イカ焼はその生地のモチモチ感及び玄妙なソースによって他の、粉もの、とは一線を画して屹立している訳であるが、それらはどのようにして作られるのであろうか。わからない。わからないけれども、生地に関しては私はある程度の推論はできる。

 というのは少年の頃に目撃した二枚の巨大な鉄板である。白衣角刈りの店主はあの二枚の巨大な鉄板を操作してプレスするようにしてイカ焼を製作していた。

 それに引き比べて蛸焼や好み焼、文字焼などはどうだろうか。プレスなんてしやぁしない、ただ、地火で焼くばかりである。ということは、その違った点にこそ、その奥義あるべし、と考えるのはあながち間違いではあるまい。

 では、なぜプレスするとモチモチ感が生じるのか。これも推測だが、そうして高熱の鉄板で押しつけられることによって、表面のみが瞬間的に硬化し、内部の水分が行き場を失い、ゲル状の粉を伴って高速移動することによって、餅搗き、を行ったのと同じ効果を生じせしめる、ある種の、封じ込め効果による餅搗き効果、のようなことがイカ焼の内部で起こっているのではないだろうか。

 つまり、巨大な鉄板で上下からプレスする。これが独自のモチモチ感の源泉であるということで、私はこのきわめて単純なことがしかしきわめて精妙な結果を生み出す、ということに感動を覚える。

 というのは、例えばいま食品メーカーがモチモチ感のある粉ものを開発するとしたらどうするだろうか。まず、着目するのは生地であろう。粉の種類を吟味、数種を選び、もっともモチモチする配合になるまで試験を繰り返すだろう。また、モチモチさせるためのデバイスというかキックというか、そうした効果の上がる材料も何十種類と混入するだろう。つまり、いろんなものを足していき、加えていってモチモチ感を出す、ということだ。ところがイカ焼においてはそんなことはなくて、生地そのものは他の好み焼やなんかと大して変わらない。ただ、これを巨大な二枚の鉄板で上下からプレス焼きにする。それだけのことだ。私はパンクとは本来こういうことを言うのではないか、と思う。いやさ、パンクというのはむしろイカ焼を矮小化している。なんといえばよいのであろうか。それは革命ではない。維新でもない。もちろん自由や平等でもない。愛などという眠たいものでもない。

 その巨大な二枚の鉄板は。そう。宇宙そのもの、神そのもの。いわば大日如来のようなものなのだろう。とまれ。

 私は夢中でイカ焼を食べた。そのとき私の頭の中には、なにかゴミのようなものが高速で舞っていた。音楽は荒涼としたノイズ音楽だった。私はイカ焼を食べながら横目で取扱説明書を見ていた。四駒漫画の四駒目で、できあがったイカ焼を食べようとしたイカが、「あついー」と泣き叫んでいた。私は内心でイカに語りかけていた。

「おまえは喰うつもりで喰われているのではないか」と。さて、イカは私になんというのだろうか。イカの夢、私の夢。いずれも見果てぬ夢で。

町田康(まちだ・こう)
1962年、大阪府生まれ。作家、歌手。81年に町田町蔵として『メシ喰うな!』でレコードデビュー。著書に『くっすん大黒』(文藝春秋/ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞)『きれぎれ』(文藝春秋/芥川賞)『告白』(中央公論新社/谷崎潤一郎賞)『宿屋めぐり』(講談社/野間文芸賞)など。近著には『バイ貝』(双葉社)など。

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