サイゾーpremium  > 連載  > 井川意高の天上夜想曲【7】
連載
井川意高の天上夜想曲【7】

身売りさせられた女、つまみ食いする女

+お気に入りに追加

――あなたの知らない「夜の世界」をご案内します

2411_tenzyou_150.jpg

5000億円企業・大王製紙創業家3代目の御曹司であり、東大法学部卒の超エリート。自ら起こした事件を受けて、会社を去ることになったが、自身が有する莫大な資産と華麗なる人脈、そして、その人柄に変化なし。そんな井川意高が、若き日から今に至るまで夜な夜な繰り出してきた「天上の宴」というべき夜の世界に大衆を誘う。実業家、資産家、芸能人、文化人、港区女子……そこには、どんな人々が集い、いかなる物語が奏でられてきたのか――。

バブル崩壊後の夜の世界の悲喜劇についてである。

1985年のプラザ合意に端を発するバブル景気は、1990年3月に大蔵省(当時)が不動産融資の総量規制を導入したことにより、不動産向け融資が急速にしぼみ、1991年からのバブル崩壊を引き起こすこととなった。

日銀も三重野康総裁のもと、1989年5月までは2.5%だった公定歩合を1990年8月には倍以上の6%に1年余りで引き上げたのだ。 

世界第2位のGDPを誇る経済大国、いわば積荷を目いっぱい満載し、時速100kmで疾走している日本という名のトレーラーに、急ブレーキをかけた上、ハンドブレーキまで力任せに引いたようなものだ。トレーラーはスピンそしてクラッシュ。積荷もドライバーも無事な訳はないだろう。

それからは「失われた10年」が「失われた20年」となり、今では「失われた30年」である。

実に財務省は大蔵省の時代から日本国民の敵である。国民経済に害をなすことしかしないのだ。

さて、前回はバブル景気の始まりの受肉化として、銀座のクラブ「グレ」で目の当たりにしたことを書いたが、私がバブル終焉のインカーネーションを目にしたのは六本木のミニクラブ「瑾鵾花」でのことだった。

1991年の年の瀬も近くなった頃だったろうか。

当時、私は「瑾鵾花」ナンバーワンのS乃に入れあげて、毎晩のように通っていた。茨城県は水戸市出身の彼女は、商業高校卒業と同時に上京し、都内の中堅企業で経理部に配属されたが、夏休みの海外旅行費用を稼ぐつもりで「瑾鵾花」でバイトを始めたと言っていた。

そんな彼女だが、愛くるしい顔と文句なしのスタイル(身長165cmでバストはGカップだと自称していた)、そして抜群の会話力と客あしらいで、あっという間にナンバーワンになり、昼職を辞めて夜専業となったのだ。

場内指名は月に1000本以上、同伴出勤は食事を2本掛け持ち、店前同伴3本で1日に合計5本も入る日もあるという超絶人気ホステスだった。

なぜ長々とこんなことを書くかというと、そんな人気者の彼女と私は短期間だが付き合って、軽井沢の私の別荘に、“遊びの先輩”HIROさんカップル(女性は同じく「瑾鵾花」の人気ホステス)と旅行したりした仲だという自慢をしたかっただけなのだが……。

バブル終焉に話を戻そう。

1991年の暮れにいつものように店でS乃相手にグラスを傾けていると、彼女が「ねえねえ、聞いて」と言う。女性の「ねえねえ、聞いて」は、たいがい他人の噂話か悪口だ。聞かない手はない。

「どうした?」

「あのね、聞いて」(だから聞いてるよ)とは口に出さず、

「うんうん」

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミアム

2026年5月号

NEWS SOURCE

サイゾーパブリシティ