サイゾーpremium  > 連載  > 精神異学~忘れられた治療法~【5】/【治療共同体】で精神病院を開放せよ!?
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精神異学~忘れられた治療法~【5】

【精神科医・岩波明】「治療共同体」で精神病院を“開放”せよ!?

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[語句解説]「治療共同体」

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英国の精神科医、マックスウェル・ジョーンズなどが提唱した、精神疾患に対する治療概念であり、またその具体的実践としての治療法。統合失調症などの精神疾患は脳の器質的な病ではなく、社会からの抑圧やコミュニケーションの不全にこそ原因があり、「開放的で自由な病院」においてそれらの原因が取り除かれれば、そうした精神疾患は治癒する、と考えた。60~70年代の左翼的な時代背景もあり、一時期日本でも普及した。


「治療共同体」という言葉は、どこか理想主義的な響きを持っています。かつて多くの精神科医や治療スタッフは治療共同体の考え方の信奉者となり、その実践のためにかなりの時間と労力を費やしてきました。

 この概念は精神科の治療、特に入院治療における基本的な理念を提唱したものですが、では治療共同体とは具体的に何を意味しているかといえば、明快に説明するのは簡単ではありません。というのは、その指し示す対象は実際多岐にわたり、提唱者それぞれによって異なる部分も多いためです。

 にもかかわらずこの“治療法”が注目されていたのは、ひとつにはいわゆる反体制運動をはじめとした時代背景があります。またひとつには、その理想主義的な内容が多くの人にアピールしたことがあるでしょう。

 現代のように向精神薬による薬物療法が精神科の治療において中心的な役割を担うようになったのは、実は1960年代以降のことです。それ以前はどうだったかといえば、睡眠薬などが一部の患者に使用されていたにすぎず、現在は標準となっている有効な治療方法はほとんど見いだされていませんでした。

 確かにこの当時、たとえばうつ病に対しては、アンフェタミンなどの精神刺激薬の投与が行われることもありました。これには多少の有効性は認められましたが、現在の抗精神病薬に相当するような薬物はまだ未発見の時代です。よって、もっとも重症な疾患かつ社会的な問題も大きい統合失調症に対しては、有効な治療手段などまだ何も存在していなかったのです。

 そうした状況であったため、統合失調症を中心とした精神科患者は、病院とは名ばかりの巨大な施設に収容され「隔離」されていました。フランスの哲学者ミッシェル・フーコーが指摘した通り、精神科患者に対しては「大きな閉じ込め」が行われていたのです。

 英国のベスレム王立病院はロンドンの郊外にある精神病院であり、ヨーロッパ最古の精神病院といわれています。この病院が創設されたのは1247年で、篤志家のサイモン・フィズマリーがその創始者であると伝えられています。ベスレムが最初に建設された場所は、現在もロンドンの金融の中心地であるシティーに近いビショップスゲートあたり。当初は精神障害者だけではなく、浮浪者などの貧しい人々の救済にも当たっていたといいます。

 その後ベスレムはロンドン市中で移転を重ね、次第に重症の精神病患者の専門施設と変化していきます。ムーアゲートに位置していたときは「ベドラム」と呼ばれ、現在では考えられないことですが、ロンドン市民の娯楽として精神病患者の奇妙な様子を見物さえさせていたとか。一般の人々は、ベドラムに入場料を払って見学していたのです。『恐怖の都・ロンドン』(スティーブ・ジョーンズ著、1994年、筑摩書房刊)には、次のように記されています。

「患者は十人ずつ、腕か脚を鎖で繋がれており、各人の着ているものと来たらガウンのようなものだけ。前を閉じることができない。分別があって道理の分かっている者もいれば、どうしようもなくおかしな者もいる。多くの女達が、毛布を一枚与えられただけで、裸で壁に固定されていた」

 患者に対するこのような非人道的な扱いは、時代が下るにつれ当然のことながら次第に強い批判にさらされ、「精神科患者の拘束からの開放」が論じられるようになりました。この動きの先駆者は、フランスの精神科医であるフィリップ・ピネル(1745~1826年)です。ピネルはパリのサルペトリエール病院という巨大な精神病院の院長でしたが、「入院患者の開放」を強く推進したことでも知られています。

 治療共同体の実践は、この「精神科患者の開放」の流れに沿ったものでした。けれども、治療者側に精神疾患に関するさまざまな誤解が存在していたため、その試みの多くは短期間で破綻する運命にありました。

 この概念を最初に理論づけたのは、英国のマックスウェル・ジョーンズ(1907~1990年)。彼は第二次世界大戦における兵士の戦争神経症(現在のPTSDに相当する疾患)などの治療経験から、この集団参加型の治療システムを確立しました。

 治療共同体においては、「権威的な病院運営」をできるだけ避けることが求められます。医師を頂点とした通常のヒエラルキーに代わって、すべての治療スタッフと患者は同等の立場であるとされ、病院内のあらゆる出来事、施設の運営から入退院の決定、患者の個人的な問題までが、治療共同体の構成員によって決定されることが求められました。ここでは、病院などをひとつのコミュニティと考え、病院における日常的な活動を重視し、その中で起こるさまざまなできごとを共有し、患者とスタッフが一緒に考え、対処しようとするアプローチが行われたのです。

 当初この治療共同体は、神経症や精神病質の患者を対象に行われましたが、やがて対象は統合失調症にまで広げられていきます。実際、1960~70年代にかけて、治療共同体の理念を精神科病棟の運営に利用することが盛んに実践されたのです。

 この背景には、フロイトによる精神分析の理論を発展させた米国のハリー・スタック・サリヴァン(1892~1949年)や英国のロナルド・D・レイン(1927~1989年)らの存在がありました。彼らは、統合失調症などの精神科患者を、医学的な治療ではなく、「社会的」な治療によって治癒できるものと見なしたのです(さらに進んで彼らは、「治療」という概念まで拒否しています)。

 たとえばサリヴァンは、統合失調症が脳機能の障害によって発症するという仮説を否定しました。彼のロジックでは、精神疾患の「症状」を生みだしているのは社会的な「抑圧」や他者とのコミュニケーションの歪みであり、これらの問題を取り除くことによって症状の改善が得られる、そのために治療共同体のシステムを利用するということになります。

 彼らは、スタッフと患者の間に上下関係も管理もない開放的な治療空間を設置し、そこで患者の治療に当たっていきます。治療共同体のこうした試みは、左翼的な思想が席巻した時代背景もあり、理想主義的な反体制派の医師やスタッフのもと、さまざまな施設で行われました。

 たとえばレインは1965年、ロンドン東部のキングスリー・ホールで新たな治療共同体の理念による「活動」を開始します。ここでは「自由」が何よりも重んじられ、患者もスタッフもなく平等であるとされました。

 実際そこに生活するすべての人は、完全な自由を保証されていました。夜遅いディナーの席でレインが哲学や宗教などについて講義することや、あるいは夜通し自由なダンスが続けられることもありました。けれどもこのヒッピーのコミューンのような反体制的な治療活動は、長続きすることはありませんでした。

 同様のことはわが国でもいくつかの病院で試みられており、「開かれた病棟」と呼ばれた群馬県の三枚橋病院などが知られています。けれどもいずれの施設においても、これらの試みは混乱をもたらしただけで、無残な失敗に終わっていったのです。

 施設の環境や運営を変えた程度のことで統合失調症の改善が得られるわけがないことは、この疾患をよく知っている人にとっては自明のことです。特に急性期の症状を持つ患者を開放的な施設で扱うこと自体、非常に危険でナンセンスであり、また社会機能の低下が見られる患者に共同体の運営を求めることも、どだい無理なことでした。

 けれども、治療共同体の「理論」を信奉した医師たちは、その無理な理想の実現にひた走り、多くの人々を不幸にしたのち、ひっそりと表舞台から退場したのでした。

 それでは、治療共同体の概念が、現代の精神医学や精神医療に対して影響を残している部分はないのでしょうか。統合失調症の入院医療において治療共同体のような考え方を用いることは、前述したように無謀な試みではありました。

 しかしながら、患者の個性や人権を尊重するという考え方は、時代が変わってもとても重要なものです。また、依存症患者などのグループ療法においては、治療共同体的な試みは現在でも有効性が大きいと考えられているのです。

岩波 明(いわなみ・あきら)
1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院をはじめ多くの精神科医療機関で診療に当たり、現在、昭和大学医学部精神医学講座教授にして、昭和大学附属烏山病院の院長も兼務。近著に『発達障害』(文春新書)などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。

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