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小田嶋隆の「東京23話」【8】

【小田嶋隆】大田区――距離ができつつある幼馴染の男と女

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東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

【小田嶋隆】大田区――とんでもない距離ができつつある幼馴染の2人の男女の画像1
(絵/ジダオ)

「颯太?」

 と、いきなり背中を叩かれて、柳田颯太は後ろを振り返った。

「やっぱり颯太だ」

 声の主はあゆみだった。

「あんたなんのつもり?」

「なんのって、なにがだよ」

「その髪よ。きったない金髪。どうしたのそれ。何かの罰ゲーム? それともグレたわけ? いいトシして今さらそこいらへんの中坊みたいに」

「なんでもないよ」

「へー。なんでもなくてある日髪の毛の色がガイジンみたいな金髪になるんだ」

「悪いけど急いでるんだ」

「急いでるって、もしかして映画のオーディションでも受けるつもり? ハリウッドとかの。それで金髪に変装してるわけ?」

「うるせえな」

「うるせえなじゃないでしょ。一体どういうつもりなのよこれは? こんなバカなチンピラみたいなアタマで世間を歩いて。本当のバカになったの?」

 あゆみは幼なじみだ。というよりも、家族に近いかもしれない。姉なのか妹なのかは微妙なところだが、子ども時代の長い時間を共に過ごした間柄だ。

「あんた、勤め先にはマジメに通ってるの?」

「うるせえな」

「うるせえなって、どこのガキよ。もう少し人間らしい返事できないの?」

「ほっといてくれよ」

「だから質問に答えなさいよ。仕事はどうしたの?アタマは何事? 人生投げてんじゃないの?」

「おまえこそアタマおかしいんじゃないか?」

「どうなのよ。仕事は辞めてないんでしょうね」

「辞めてないよ。毎日真面目に出勤してるよ」

「それは良かった。で、勉強はしてる? ちゃんと食事は摂ってる?」

「お前はオレのオフクロか?」

「あんたのお母さんのこと言ってるんなら、あのヒトはもう帰って来ないよ。きれいな人だったけど、人間が弱かった。あたしは、あんたがその弱さを受け継いでるんじゃないかって心配してるんだよ。わかってる? あんたヤケになってない?」

「うるせえな」

「ほら、やっぱり大切なアタマを金髪なんかにしてるからボキャブラリーが激減してる。きっと知能指数だって半分ぐらいになってるよ」

「メシはちゃんと食ってるし、仕事もしてる。アタマは気分転換。勉強は辞めた。以上報告終わり。満足したか?」

「ちょっと。勉強辞めたっていうのは、どういうこと? あんた自分の状況わかってるの?」

「余計なお世話だよ」

「あんたは余計なお世話が必要な人間なんだよ。わかってるの? で、勉強やめたって何よ。一体どういうつもりなの?」

 あゆみが颯太の現状にしつこく介入したがるのは、3年前に母親を亡くした颯太が、19歳で自活を余儀なくされている境遇をよく知っていたからだ。

 あゆみは、両親と兄の4人家族で、中学に上がるまでは、蒲田の駅から15分ほどの距離にある川沿いの公団住宅に住んでいた。その、エレベーターのない四階建ての建物の隣の棟に引っ越してきたのが颯太の一家だった。颯太はひとりっ子で、両親は共に不在がちだった。ひとりで留守を守っていることの多い颯太の家は、近所の子どもたちのたまり場になった。そんなわけで、引っ越してきた当時5歳だった颯太とあゆみは、4歳年長だったあゆみの兄や公団の同じ棟のよく似た年頃の子どもたちを含めて、一緒に遊ぶ近所の仲間になった。

 ほどなく、颯太の父親が失踪する。

 理由はわからない。行き先もわからない。というよりも、颯太は、父親が何歳で、どこの出身で、どんな仕事をしているのかといった基礎的な情報をついぞ知らされていなかった。本当の父親であったのかどうかさえも、だ。

 母子家庭になった颯太の部屋には、やがて見知らぬ男が通い始める。そして、週に二度三度と通って来る男は、いつしか住み着くようになる。その関係は、毎度のことながら、たいして長続きしない。颯太の家にやってくる見知らぬ男たちは、しばらくすると、颯太を邪険に扱うようになる。いつも同じだ。最初のうち、男は颯太のごきげんをとりにかかる。ところが、時間がたつにつれて、同じ部屋で不機嫌に黙り込んでいる男児をうとましく感じ始めるのだ。こんな状況にもかかわらず、颯太が家庭内暴力のターゲットになることを免れ得ていたのは、必ずしも男がマトモな人間だったからではない。賢い颯太が、暴力が発動される気配を察して、事前に身を隠す術を心得ていたことが、悲劇の発生を防いでいたに過ぎない。

 逃れる先は、あゆみの家だった。

 小学校時代を通じて、颯太は夕食のほとんどをあゆみの家で食べた。それだけ、自分の家で歓迎されていなかったということでもあれば、あゆみの両親に家族同様の扱いを受けていたということでもある。

 関係が途絶えたのは、颯太とあゆみが中学2年生になった時、あゆみの父親が神奈川県の郊外に家を買って引っ越して行ったからだ。

 以来、避難先を失った颯太は、羽田にほど近い公共図書館で長い午後をやり過ごすことが多くなった。家に近い蒲田の図書館でなく、羽田まで歩いたのは、同じ学校の知り合いに会いたくなかったからだ。当時も今も、中学生が図書館に入り浸ることは、スクールカーストの文化の中では、恥に属する習慣と見なされている。おそらく、ベンキョーに励むことは、彼らの間にある何かに対する裏切りなのだ。

 グレなかったのは、元々学校の成績の良かった颯太が、不良グループと打ち解ける関係を構築できなかったことと、あゆみの両親に厳しく勉強の大切さを伝えられていたことが影響している

「颯太はアタマが良いんだから、勉強で身を立てないといけない」

 と、あゆみの父親は、休日の午後に、颯太と顔を合わせるたびに、必ずそう言って彼を鼓舞した。

「勉強で身を立てるというのがどういうことなのか、颯太にはまだわからないかもしれない。でもとにかく学校の勉強を頑張っていれば、必ず道は開ける。特に母子家庭の子どもにはテストの点が生命線だぞ」

 そんなこんなで、颯太は、都立の進学校に進んだ。

 同じ学校に、あゆみがいた。

 あゆみは、現在、日吉にある私立大学の1年生だ。

 颯太は、大学に通える経済状態ではない。

 高校3年生の時、大岡山にある国立大学に願書を出してはみたものの、颯太の学力は、もう少しのところで合格点に届かなかった。となると、私立の大学に通う選択肢はあり得ない。

 結局、彼は、あゆみの父親の口利きで、高校卒業と同時に大田区内の精密機械メーカーに就職することになった。

 ただ、大学をあきらめたわけではない。というのも、あゆみの父親とも親しい颯太の会社の社長は、颯太の事情をよく理解しており、来年の入試で大岡山の大学の工学部に合格したらという条件付きで、学校に通いながらの勤務を認めてくれていたからだ。

 しかしながら、入社3カ月を経て、夏の到来と共に、颯太の気持ちには変化が兆していた。

 一流大学を出て、機械設計の仕事で身を立てるというあゆみの父親由来の人生設計が、どうにも陳腐な夢であるように感じられてきたのだ。

「あんた、来年受験するんでしょ? 落ちたら終わりだよ。自分の立場わかってんの?」

「わかってるよ」

 颯太は静かな声で答える。

「わかってるからうんざりしてるんじゃないか」

 あゆみは颯太の中にある絶望の深さを感じ取って、しばらく言葉が出ない。

 その彼女の口からようやく出てきたのは、

「……それ、冗談だよね?」

 という弱々しい問いだった。

 颯太は、もう一度静かに答える。

「冗談なんか言わないよ。大学生じゃあるまいし」

 2人の間にはとんでもない距離ができている。あゆみは、そう感じて呆然としている。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

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