サイゾーpremium  > 連載  > 小田嶋隆の「東京23話」  > 「小田嶋隆の東京23話」/文京区

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

「八百屋お七って知ってる?」

 と、七子がいきなり話しかけてきたのは、10月の第一月曜日のことだ。

 当時、私が所属していたICS(インター・カレッジ・ソサエティ)というサークルは、毎週月曜日と木曜日の午後、高田馬場の駅の向かいにある巨大な喫茶店に集まるならわしだった。

「サークル」という言い方は、必ずしも正確ではない。ICSは、当時、東京でいくつか生まれていたインターカレッジの社交クラブの走りで、より実態に即した言い方をするなら、メンバーから会費を徴収して、定常的な合コンを開催している一種のパーティー企画集団だった。

 インターカレッジとは言うものの、男子メンバーのほとんどはW大の理工学部の学生だった。あとはT大生が10人ほどと、R大G大など、近隣の大学からそれぞれ数名ずつの参加者がいた。私はW大の本部校舎から通っている少数派だった。

 当時伝えられていた創部伝説によれば、ICS(インター・カレッジ・ソサエティ)の前身は、戦後間もない時期に、W大の山好きの学生が作った山岳系の同好会だった。ほどなく、彼らは、山で知り合ったT大の山男たちと意気投合し、山行を共にするようになる。この頃、サークル名は、「W&A」(ウォーク・アンド・トーク)と名乗っていた。

 しばらくすると、都内にあるいくつかの女子大から女子大生の部員が加わるようになり、そうなってみると、サークル活動の実態は、山登りとは別に、月に二度ほど高田馬場近辺の喫茶店に集まって定期的な会合を持つ巨大な懇親会に似たものに変質して行く。この段階で、サークル名は、T&E(トライ・アンド・エラー)に改められる。

 で、さらにそこから十数年が経過して、まったく山に登らなくなったT&Eが、都内の女子大学の学生への、より積極的な入会勧誘を期して名前を変えたのがすなわちICSで、W&Aの末裔である我々は、山に登らない山岳サークルであり、テニスをしないテニスサークルであり、入会案内の活動項目のひとつに映画制作を掲げていながら、8ミリ映写機の操作法さえ知らない学生だった。

 女子は半分がN女子大、残りの半分をG短大とR女子大の学生が占めていた。毎年、W大の女子学生の中に入会登録を済ませる粗忽者が何人かいたが、他大学の男子学生同様、ほとんどは夏休み明けには顔を見せなくなった。練習や規則の縛りを持たない自由行動のサークルは、結局のところ、派閥と人間関係がモノを言うムラ社会を形成するに至る。そういう場所で、単独行の人間は生きていけない。インターカレッジは、オープンなようでいて著しくクローズドな空間だったわけだ。

 七子は、四谷にあるJ大からたったひとりで入会してきた変わり種だった。女子は、ふつう何人かのグループでやってくる。入会後も同様だ。必ず集団で行動する。トイレにさえ一人では行かない。彼女のような単独行動者は、例外だった。

「お七を知らないの?」

「いや、まあ、知ってるって言えば知ってるけど」

「はっきりしてよ」

 七子は、誰に対してもこんな調子で、その物おじしないマナーと、やや剣のある美貌で一部の男子学生の間に、崇拝者に似た取り巻きを生んでいた。たしかに、見た目は文句なく美しい。特に、人を見上げる時の表情は、ちょっと前に人気のあった大楠道代という女優とよく似ている。が、私は彼女の取り巻きではなかった。むしろ、高飛車な振る舞い方に辟易して、距離を置いていたと言って良い。

「知ってたらどうなんだよ」

「あんた東京生まれだよね?」

「そうだよ」

「じゃあ、お七のお墓とか知ってるでしょ?」

「え?」

「聞こえなかった?」

「いや、知ってるけどさ」

「案内してよ」

 私は返答に窮していた。

 真意が読めなかったからだ。

 七子が自分に異性としての興味を抱いているとは思わなかった。我々の間に、そういう空気が流れたことは一度もない。こちら側の感情を言えば、私は七子の馴れ馴れしい態度が苦手だった。彼女は彼女で、私を、その他大勢の一人と見ていたはずだ。何に対してのその他だというわけではない。彼女のような女にとって、自分以外の人間は、結局のところ「その他」なのだ。

 女子大からやってくる「その他」の女の子たちは、ほぼ必ず最初に入会勧誘の説明役を担当した上級生に憧れる。私たちは、それを「インプリンティング」と呼んでいた。つまり、ローレンツのあひるが卵から外に出て最初に見た動くものを自分の母親と思い込むのと同じように、女子大の一年生は、上京してはじめて口をきいた男に恋心を抱くのだ。

 七子はそういうタイプではなかった。

 彼女は、誰かに入会説明を受けて入ってきたわけでもない。J大には勧誘のビラも配布されていない。七子がどういう経路でICSの存在を知って、なぜ入会してきたのかは謎だった。ある日彼女は、サークルの集合場所である喫茶店に一人でやってきて、いきなり入会を申請したのだった。

「忙しいの? でなきゃ、あたしと歩くのがイヤだとか、まさかそういうこと言うわけ?」

「いや。忙しくはない。ただ、意味がわかんないからさ」

「意味なんか無いわよ。もしかしてあたしが口説いてると思った?」

「……まあ、それは無いだろうな」

「あたりまえでしょ。あたしのターゲットは篠田君だから」

 篠田というのは、東大から来ている2年生で、当時部内で私が唯一親しく行き来していた先輩だった。

「篠田さん?」

「あんたけっこう仲良いよね?」

「まあね」

 つまり、私を通して篠田先輩に話をつけようという算段だろうか。

「で、どうなの? 案内するの? あたしは今日これからでも良いんだけど」

「わかった。じゃあ。馬場から巣鴨まで山手線に乗って、でもって、巣鴨で地下鉄に乗り換えるぞ」

「やだよ、電車なんか。タクシーで行く。大丈夫。アタシが払うから」

 ICSのメンバーは、おしなべて裕福だった。それもそのはず、毎週パーティーをして過ごすための主たるハードルは、常に資金力だった。貧しい組の学生は、さっさと彼女を見つけて退会した。

 というよりも、恋人を見つけたメンバーは、サークルに通う目的と理由を失うわけで、してみると、夏休み明けの10月にもなって、いまだにICSに残っていた我々の方が、むしろ負け残りだったということなのかもしれない。

 文京区の白山に八百屋お七の墓があることを私が知っていたのは、白山から地下鉄でひと駅隣の町にある高校に通っていたからだ。本棚に井原西鶴を並べている一拍遅れのディレッタントだったからでもある。東京生まれだからといって、すべての大学一年生が八百屋お七の生地を知っているわけではない。当時もいまも、普通の大学生は、お七の名前さえ知らない。その意味では、彼女はうまい案内役を見つけたわけだ。

 道すがらに七子が語ったところによれば、彼女の名前は、母親が「たったひとつのわがまま」として命名権を主張した結果、八百屋お七の七にちなんで名付けられたものなのだという。

「なんでまたお七なわけ?」

 八百屋お七とは、寛文年間に生まれた実在の少女、江戸本郷の八百屋の娘お七を指す。

 天和の大火で焼け出された際、避難所となった寺の小姓、吉三と恋仲になったお七は、やがて避難所から元の家に戻った後、もう一度吉三に逢いたい一心から、放火をする。また、火が出て寺に避難すれば吉三に会えると考えたからだ。幸い、火はボヤの段階で消し止められたものの、お七は付け火の大罪で、火あぶりの刑に処せられる。 

 この逸話は、井原西鶴が「好色五人女」で取り上げて以来、文楽や歌舞伎にも翻案され、虚実入り混じった伝説として現在でも語り継がれている。

 七子の母親は、もともと本郷の生まれで、結婚して山口県の現在の家に嫁ぐまでは、八百屋お七の生家にほど近いあたりで暮らしていたのだという。

「だったら、本郷あたりにお母さんの実家があるわけだろ?」

「あるにはあるけど、縁が切れてるのよ」

「なんで?」

「駆け落ちっていうのか、実質的には略奪婚みたいな結婚だったからよ」

「略奪婚ってなにそれ?」

「まだ17歳だった母を、当時35歳だったあたしの父親が拉致したってこと」

「それ、お母さんがそう言ってる話なの?」

「だからこそあたしに七子っていう名前をつけたわけよ」

「……ん? どういう意味だ?」

「だからね。男に口説かれるのを待っていたり、男に攫われることに甘んじるんじゃなくて、自分の目で相手を見つけて、自分の意思で男を選ばないとダメだってことよ」

「それ、お母さんがおまえにそう言ったのか?」

「そういう意味の話をいつもしてたよ」

「ずいぶんと極端な話だなあ」

 七子に言わせると、母親の言い分は十分にスジの通った話で、要するに、男であれ女であれ、常に主導権を握り、相手を支配し、自由と権力を行使するのは、「狩る」側の人間だというのだ。

「狩るって、ハンティングのことか?」

「そう。お七は、惚れた男に会うために、火をつけたわけでしょ? それぐらいじゃないとダメだってこと」

 お七の墓は、都営三田線の白山駅からほど近い住宅街の中の円乗寺という寺の境内にある。参道の一角には、小さな祠が建てられ、中にお七地蔵尊が祀られている。

 お七の墓と、その場所から歩いて10分ほどの吉祥寺という寺の中にある「お七・吉三の比翼塚」を案内した後、私は彼女に言った。

「つまり、篠田さんに連絡をつけたいってこと?」

 七子は一笑に付した。

「バカね。そんなわけないじゃん」

「お七のお墓に行ったのは、ママに写真を送ってあげようと思ったからよ」

「それに篠田さんにはもう何回も電話してるし、家にも行ってる」

「え? じゃあ、もう付き合ってるってこと?」

「まだ」

「でも、家に行ったって」

「有り体に言えば交際を拒絶されたわけ」

「……」

「でも、私はあきらめてないよ」

 実際、七子には気落ちした様子は見られない。

「でも、先方の意向ってものがあるだろ」

「そんなもの、付け火をすれば良いのよ」

 まったくあっぱれな根性だった。

 たしかに、恋愛は火事と同じで、不始末や不注意の結果なのだろうが、いざとなったら自分で火をつける手だって無いわけではない。要は覚悟の問題だ。

 彼女の言うには、篠田はN女子大の二年生の雪乃にうじうじ片想いをしているらしく、そこが現在の難関であるらしい。

「あんたも雪乃さん好きでしょ?」

 いきなり、こっちの目をまっすぐに見て、七子はそう決めつけた。

 図星だった。どうしてわかったのだろう。

「そんなことないよ」

「どうして隠すわけ?」

「別に隠してないよ」

「雪乃さんに自分の気持ちを伝えなさいよ」

「勝手なこと言うなよ」

「まったく、あんたたちはどうしてそううじうじしてるんだろう。教えてあげるけど、あたしのママは、自分が好きだった人に気持ちを伝えられなかったことと、好きでもない男と結婚しちゃったことをいまだに後悔してるんだよ。そんな人生で良いの?」

「……じゃあ、つまり、お父さんとお母さんはあんまり仲良くないわけ?」

「なにおはよう童話みたいなこと言ってんのよ。35ヅラさげて17歳の女子高生を拉致する男が、結婚したからって、いつまでも良き夫の地位に甘んじてると思う?」

「……まあ、ハンターっていうのは、やっぱりハンターなのかもしれないな」

「言っとくけど、あんたはこのまんまじゃどっからどう見ても狩られる側だよ。獲物だよ。狩られた人間は、じきに飼われる人間になって、最終的には捨てられて忘れられる人間になるのよ」

「そうとは限らないだろ」

「あんたほんとバカだね」

 おどろくべきことに、それから3カ月後に、七子は篠田さんと同棲をはじめる。で、大学を卒業した年に入籍した。

 私は、七子から何度も雪乃を口説くべく促されたが、結局、私は動かなかった。

 七子と篠田さんが、どうしているのか、はっきりしたことはわからない。

 ただ、最近になって、名前を検索してみたところでは、K大学で文化人類学を講じている篠田教授は、独身で、離婚歴がある。

 たぶん、捨てられたのだと思う。いや、つまり捨てられたというのは、篠田さんの方が、だ。

 七子はどこかで幸せに暮らしているはずだ。

 彼女には幸福になる権利と、なによりその気概がある。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

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