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批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×森 直人[映画評論家、ライター]

 今夏、映画好きを熱狂させた話題作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。「ヒャッハー」しているだけでは終われない、この「映画」の本当のすごさと、その背景を読み解いてみよう。

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『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』(玄光社)

 実に30年ぶりのシリーズ最新作となった『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ですが、率直な感想は「理屈抜きでめっちゃ面白い」に尽きる(笑)。そこにあえて理屈をつけるならば、初期映画のハイパーグレードアップ版をやっているってことですね。

 リュミエール兄弟の『列車の到着』【1】やジョン・フォードの『駅馬車』【2】までの「活劇」の黎明期、サイレント映画や初期トーキー映画を具体的に参照している。『駅馬車』は今ではクラシックの代名詞のような扱いになっているけど、同作が公開された1930年代当時のハリウッドは西部劇が一回衰退している時期で、ジョン・フォードは大手の映画会社ではことごとく企画を蹴られてしまい、インディペンデント系会社に持ち込んで作られた低予算映画なんです。『マッドマックス』シリーズも元はオーストラリアの低予算映画から始まったものなので、成り立ちもよく似ている。監督のジョージ・ミラーは、ジョン・フォードの映画史の神話に、自分を重ね合わせているところがあるのではないでしょうか。今回の『デス・ロード』は、『駅馬車』のアクション部分を拡大して、ストーリーはシンプルに削ぎ落としている。それゆえ初期映画感を明確に打ち出しているように見えました。

宇野 『デス・ロード』はある種の境界線にある映画で、ギリギリ20世紀の劇映画にとどまっているという印象を受けました。いま映画は3Dや4Dの影響によって、初期映画への先祖返りというか、動く絵を体験するというアトラクションに近づいている。『ゼロ・グラビティ』【3】がまさにそうなんだけど、その点『デス・ロード』は物語を失う寸前で踏みとどまっている。

 この作品の評価は、ライムスター・宇多丸さんのようにフェミニズム的な側面も含めて丁寧に読み解いていくタイプと、町山智浩さんのように初期映画などの歴史を参照しつつも基本は「バカ映画」とするタイプの大きく2つに分かれていますよね。

 前者はアクションの連続の中に物語を最大限詰め込んで踏ん張っているところに着目していて、後者は物語が必要とされなくなっている、映画という制度の、物語への依存度が相対的に下がる段階についての意識に注目して語っているわけです。実はこのふたつの立場は一見対立しているようで、とても近い状況認識を示していると思うんですよ。それがすごく象徴的だと思う。

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